Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

ヴィエラ・ヒティロヴァー「楽園の果実」

2006-10-23 12:45:48 | cinema
「楽園の果実」
1969チェコスロヴァキア
監督:ヴィエラ・ヒティロヴァー
脚本:ヴィエラ・ヒティロヴァー、エステル・クルンバホヴァー
音楽:ズデニェク・リシュカ

物語としてはわりと単純で、
リンゴをかじる女と、傍らに眠る男、女の腕を這う小さな蛇、と、
内容を示唆するイメージが冒頭から開示される。

奔放で好奇心旺盛なイブ(エヴァ)と、質素で寡黙なアダム(ジョセフ)の夫婦に、誘惑者としての蛇(ロベルテ)がからむ。
魅力的な外部としてのロベルテは言葉巧みにエヴァに近付くが、実は連続殺人犯でもある。エヴァは自らの知恵と行動でその真実とともにロベルテへの愛情をも知ることになり、ロベルテを殺す。
果実を味わい、真実を知る力を得て追放されるエヴァとジョセフ。

この創世記の楽園追放劇を、この映画は物語的にではなく、形式的な、記号的なあるいは映像的な語法で紡いでゆく。

砂山で遊ぶ姿、
自転車で転んでは起き転んでは起きする姿、
赤い長い布を引っ張って絡まり絡まり歩く姿、
湿地を難儀しながら歩く姿、
背の高い枯れ木の中を走り抜ける姿、
映像はそうした人物の所作をじっくりと写し、
音楽は時にパーカッシヴで、時にヴォイスパフォーミング風に、
所作によりそうようになり響く。

これは映画というより、ダンスや舞踏、パフォーミングアートに近いたたずまいといえるだろう。
私は、野外におけるダンス・ドラマとしての関連で、ローザスの映像作品を思い出したし、また、自然の風景と演劇的書き割りを原初的衝動で融合してみせた寺山修司の「田園に死す」や、やなぎみわの映像作品「砂女」なども思い出した。
即興的な動きと、それにあわせる音の饗宴としてみるだけでも、そのドラマ性は十分伝わってくるだろう。


とはいうものの、冒頭の10分くらいか?これはまさに映像の楽しみだ。
ひとときもじっとしていない多層的なイメージと色彩の移ろいに、アダムとイヴを思わせる裸の男女のダンスのような所作が織り込まれる。
グリーナウェイの「プロスペローの本」のプロローグを思わせる映像のマジック。
それに絡まる冒険的な音響。
この映画、これだけでも十分観る価値はあるだろう。

この冒頭にみられるアダムとイブのぎこちないコマ落としの動きは、
単に技法を超えて、プリミティヴな情動を私のなかに引き起こした。
見てはいけないもののうごめきをみてしまったような・・・うしろめたさに近い感覚。
これはたとえばシュヴァンクマイエルのアニメーションにみられる独特の緊張感に似ていた。
これをチェコ的な生理といってゆるされるだろうか・・・・

***

中欧映画地下上映会にて鑑賞

ヒティロヴァー略歴

1929年チェコのオストラヴァに生まれる。
1962年国立芸術アカデミー映画学部を卒業。
1966年「ひなぎく」を製作するが公開禁止となるが、翌年公開、ベルガモ映画祭でグランプリ獲得。
1968年プラハの春挫折、同僚たちが国外へ活動の場を求めるなか、チェコにとどまる。
1969年「楽園の果実」これ以降6年間映画製作を禁止される。
1970年「楽園の果実」カンヌパルムドールノミネート。
2006年最近作「保証のないすばらしい瞬間」

**

ミロシュ・フォルマンらとともにチェコ・ヌーベルバーグの一員として知られる。

フォルマンは後にアメリカに渡り、「カッコーの巣の上で」「ヘアー」「アマデウス」を撮りますね。

「楽園の果実」が撮られた69年というのは、関係ないけど、いろいろと面白いことが起きた年で、イエスがデビューアルバムを発表し、ザ・バンドが「ミュージックフロムビッグピンク」を出し、ウッドストックフェスティヴァルが開かれ、ヴァン・モリソンの「アストラル・ウィークス」が出て、ビートルズが事実上崩壊し、ブライアン・ジョーンズが死んだ。ゲンズブールとバーキンが結婚し(あ、これは68年のようです)、ボブ・ディランはナッシュヴィル・スカイラインでちょっとばかしみんなをびっくりさせる。

ああ、関係ないですかね・・・・





ひなぎく

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