鉄コン筋クリートHP
2006日本
監督:マイケル・アリアス
アニメーション制作:STUDIO4℃
動画監督:梶谷睦子
演出:安藤裕章
原作:松本大洋
脚本:アンソニー・ワイントラーブ
声の出演:二宮和也(クロ)蒼井優(シロ)田中泯(ネズミ)本木雅弘(蛇)
原作を読んでいるので、インパクトは薄かったが、ほぼ原作の持つ味わいは出せていた。
ただ、どうしてもアニメ一般上映の足枷か、暴力の「重み」はだいぶそぎ落とされてしまったように思う。
前半の小気味よいテンポや、意味ありげなシノギの立ち回りなどがあって、そこに目がいってしまうが、ストーリーテリングには実は意味は無い。
結局この作品は「宝町」という架空の舞台装置にちりばめられる、街と人間の戯画絵巻なのだと思う。ストーリーを含めてそこでは全てが記号なのであって、シニフィエに対するシニフィアンは観るものにすっかりゆだねられている。最初から最後まで、抽象的な作品なのだ。
ということでいうと、これは映画よりも漫画の方が、より記号的提示が可能であると言う点で、よりよく作品の本質を表現しているとも思う。
映画を見たら、ぜひ原作を読んでみることをオススメする。
***
いちばん気になったのは、暴力の必然がうすめられているように思えること。
クロとシロは、親兄弟といった人間のつながりとは無縁で、そのかわり、宝町という街とのつながりのなかで生きている。
街とのつながりとは、ホームレスな暮らしに伴うイノセンスと暴力によるつながりである。ふたりにとってそれが生きることであって、暴力は必要の暴力ではなく必然の暴力なのだ。
存在に食い込んでしまっている暴力は、もはや説明の範疇を超えている。なぜか?という問いが無効なのだ。原作の描く暴力はそういう種類の暴力だ。
理由や因果とは無縁の絶対的存在。
だから線形の時間に支配される映画という形式ではそれをうまく描けないのかもしれない。映画の限界?
***
クロとシロの二面性、陰と陽の物語として観るのが「正しい」のだろう。
監督がいうように、これは友情の物語なのだ。
イノセンスと暴力性の同居という典型的な幼年期を誇張した物語。
忌みをはらみながらも補完しあう二人の少年の出会いと別れ。
そこにイタチという、クロの内面をもちこんだことが、この物語のカルト的人気の根源なのだ。陰陽で説明できない葛藤は、最後の陰陽合一も、未来への不安をはらんだものにしてしまう。この永遠の不安感こそ、時代の心象かもしれない。
****
松本大洋を特集した雑誌がいくつが出ている。
立ち読みしたところこんなことが心に残った。
・バンド・デシネの影響下にこの作品を描いたこと
特にエンキ・ビラルの名前が挙がっていた。
・タイトルは、子供のころ作者が言ってたボキャブラリーのひとつである、
という理由だけらしい(^^;)
・宝町は、香港・東京・藤沢を混ぜ合わせたイメージ
香港の町並みは映像でしか知らないが、この「藤沢」というところがすごいツボだと思った。地方都市というのとは違う、もちろん東京とも違う、独特の開け方をしている街だと思うな。あそこは。
町並みは、映画のほうはそれはそれですごいつくりこみで見ごたえがあり面白いが、町のどこか悪い夢のような半現実感は、これまた原作のほうがより個性的だと思う。
ってなわけで、面白かったが原作に軍配・・・という結論で。
【追記】
あの田中泯がアニメの声優をやるなんて!?
それから、カメラの手ブレ感をアニメに持ち込んだのは面白かったな。
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2006日本
監督:マイケル・アリアス
アニメーション制作:STUDIO4℃
動画監督:梶谷睦子
演出:安藤裕章
原作:松本大洋
脚本:アンソニー・ワイントラーブ
声の出演:二宮和也(クロ)蒼井優(シロ)田中泯(ネズミ)本木雅弘(蛇)
原作を読んでいるので、インパクトは薄かったが、ほぼ原作の持つ味わいは出せていた。
ただ、どうしてもアニメ一般上映の足枷か、暴力の「重み」はだいぶそぎ落とされてしまったように思う。
前半の小気味よいテンポや、意味ありげなシノギの立ち回りなどがあって、そこに目がいってしまうが、ストーリーテリングには実は意味は無い。
結局この作品は「宝町」という架空の舞台装置にちりばめられる、街と人間の戯画絵巻なのだと思う。ストーリーを含めてそこでは全てが記号なのであって、シニフィエに対するシニフィアンは観るものにすっかりゆだねられている。最初から最後まで、抽象的な作品なのだ。
ということでいうと、これは映画よりも漫画の方が、より記号的提示が可能であると言う点で、よりよく作品の本質を表現しているとも思う。
映画を見たら、ぜひ原作を読んでみることをオススメする。
***
いちばん気になったのは、暴力の必然がうすめられているように思えること。
クロとシロは、親兄弟といった人間のつながりとは無縁で、そのかわり、宝町という街とのつながりのなかで生きている。
街とのつながりとは、ホームレスな暮らしに伴うイノセンスと暴力によるつながりである。ふたりにとってそれが生きることであって、暴力は必要の暴力ではなく必然の暴力なのだ。
存在に食い込んでしまっている暴力は、もはや説明の範疇を超えている。なぜか?という問いが無効なのだ。原作の描く暴力はそういう種類の暴力だ。
理由や因果とは無縁の絶対的存在。
だから線形の時間に支配される映画という形式ではそれをうまく描けないのかもしれない。映画の限界?
***
クロとシロの二面性、陰と陽の物語として観るのが「正しい」のだろう。
監督がいうように、これは友情の物語なのだ。
イノセンスと暴力性の同居という典型的な幼年期を誇張した物語。
忌みをはらみながらも補完しあう二人の少年の出会いと別れ。
そこにイタチという、クロの内面をもちこんだことが、この物語のカルト的人気の根源なのだ。陰陽で説明できない葛藤は、最後の陰陽合一も、未来への不安をはらんだものにしてしまう。この永遠の不安感こそ、時代の心象かもしれない。
****
松本大洋を特集した雑誌がいくつが出ている。
立ち読みしたところこんなことが心に残った。
・バンド・デシネの影響下にこの作品を描いたこと
特にエンキ・ビラルの名前が挙がっていた。
・タイトルは、子供のころ作者が言ってたボキャブラリーのひとつである、
という理由だけらしい(^^;)
・宝町は、香港・東京・藤沢を混ぜ合わせたイメージ
香港の町並みは映像でしか知らないが、この「藤沢」というところがすごいツボだと思った。地方都市というのとは違う、もちろん東京とも違う、独特の開け方をしている街だと思うな。あそこは。
町並みは、映画のほうはそれはそれですごいつくりこみで見ごたえがあり面白いが、町のどこか悪い夢のような半現実感は、これまた原作のほうがより個性的だと思う。
ってなわけで、面白かったが原作に軍配・・・という結論で。
【追記】
あの田中泯がアニメの声優をやるなんて!?
それから、カメラの手ブレ感をアニメに持ち込んだのは面白かったな。
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どこから来ているのか、ずっと腑に落ちなかったのですが、
記事を読ませていただいて、なるほど!と思いました。
深いレビューですね。たいへん勉強になりました。
いや、あの暴力がどこからくるか、わたしにもやっぱり謎のままです。この作品は、謎を謎のまま提示してくるところに、まあ大げさに言えば芸術としての力があるんでしょう。
今後ともよろしくお願いします。
TBありがとうございました。
私は原作を読んでいないので
何も考えずに 観てました。
そんな深さがあったとは・・!
ぜひ 原作を読みたいと思います。
こちらからもTBさせて頂きます。 宜しくお願いします。
おひさしぶりです。
いや、勝手に深読みして遊んでいるだけなのです。あの結末も、実は連載打ち切りがきまって適当につくりあげたものらしいですし・・・(笑)
TBありがとうございます。
なかなかの力作でした。
私は原作を読んでないのですが、映画を観て読んでみたくなりました。
暴力はどうなのでしょう。映画だけ観ると特に違和感は無かったです。
何かで読みましたが、マイケル・アリアスは本作の描写に「シティ・オブ・ゴッド」を参考にしたそうです。
あの作品をリスペクトする人物なら、あえて抑えたと考えても良いような気がします。
「シティ・オブ・ゴッド」未見ですが必見ですね。
情報ありがとうございます。
またお越くださいませ。
そうですね、私も、ノラネコさん同様、『シティ・オブ・ゴッド』を思い出しました。
監督は、これを参考になさっていたのですね。
この作品、ちなみに、私のその年のベストになりましたよ♪
>そこに目がいってしまうが、ストーリーテリングには実は意味は無い。
>結局この作品は「宝町」という架空の舞台装置にちりばめられる、街と人間の戯画絵巻なのだと思う
ああ、やはりそう取る見方でいいんですよね。
manimaniさんの文を読んで、原作がとっても読みたくなりました★
もし、ご迷惑でありましたら、どうぞ、遠慮なく一言おっしゃってくださいまし。
よろしくお願いいたします。
「鉄キン・・」はぜひ原作も。
>すみません、manimaniさんのこのブログを、記事中で紹介させていただきました
あ、なんだか恐れ多いです。迷惑ということはないです。ありがとうございます。