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Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

沖縄記1998 2:波照間島

2010-03-03 02:03:43 | 沖縄記1998

沖縄記1998 2:波照間島

次の日は波照間島へ船で。
八重山諸島で最南端にあるこの島へなぜ行くことになったのか?
友人親子とここで落ち合ったので、そういうノリで決めたのだろう。

石垣島から波照間島への船旅は、時間にして小一時間だったかな。
しかし、その道程は厳しいものだった!
外海の波は高かった!20人くらいが乗る小さな船だったが、揺れるなんてモンじゃない。
ぐ~っと何メートルも持ち上がったかと思うと、どど~ん!と落ちる、ほとんどジェットコースターのノリである。
ジェットコースターみたいに体を押し付けるものはないので、乗客は必死こいて椅子にしがみつくが、
落ちるたびに体が浮かび上がるありさま。
きゃ~~とかひえ~~とか悲鳴を上げながらひたすら耐える。
下の子はワタシのひざに抱っこされ、あまりの現実の厳しさにすやすやと寝て逃避!
上の子は必死に耐えたけれども、船が港に着いたところでとうとうげろ~~~っと・・・

甲板においてあった荷物などはふっとんでいないのだろうかと心配だったが、
なんとか港に着きへろへろになりつつ下船したワタシたちを待つのは、宿の送迎の車。
ってよく覚えてないけど。


宿は最果ての島らしくどこまでも民宿チックな、あるいは最果ての島にしては整った、趣のあるところ。
ここには1週間弱の滞在だ。

宿のことはあまり覚えていないのだが、
ここで落ち合った友人の子供はウチの下の子と同じくらいの年で、
宿の入口で一緒に遊んでるところを写真に撮ったな。
それから初日の夕ご飯はソーキ入りのカレーライスだった。

波照間島、とにかくのどかでいいところ。
集落には石垣と赤瓦の伝統的な家が並び、ふとのぞくと入口に置く石垣塀(ヒンブンというそうですね)の向こうに、
戸を広く開け放した板の間におばあさんがノンビリ涼をとっているのが見えたりする、
現役の沖縄文化です。
白い砂の砂利道を散歩すると、普通にバナナの木が道端に生えていたりして南国。
それに、暑い!もう細かいことはどうでもよくなるほどに暑い。
どこにいっても暑いのであきらめるほかない。

島の真ん中辺に集落があって、そこに多少商店や食堂がある。
ないこともないという風情。
沖縄そばの店があってお昼はだいたいそこで食べた。
泡盛に沖縄の唐辛子を漬け込んだクースという調味料が美味で、そばにかけて食べた。
クースは帰りにお土産で買って帰ったが、
我が家のものはだいたいは、大事に大事に取っておいた末、カビが生えるというパターンで
クースもまた同様の運命を辿ってしまった。

宿から最寄の浜辺までは自転車で10分くらい。
ちょっと遠かったが、結局海で遊ぶ以外にはあまりやることがない。
遠浅の澄んだ海。海が初めてな下の子2歳は、浮き輪に乗っかりながらびーびー泣いていた。
地図を改めて見てみたが、どの浜にいったのか記憶にすでにない。
ニシ浜というところかな~と思う。
泊まったところはみのる荘というところだったはずだ。

浜の近くにちょっとおしゃれ風なカフェというか食堂というか、
いかにも都会から新天地を求めて来た人がやっていそうな店があって、何度か行った。


そこにはたくさん本が置いてあって、
そのなかにボブ・ディランの70年代ローリング・サンダー・レビューの行状をルポした
サム・シェパード著「ディランが街にやってきた」があった。
最果ての地で当時既に絶版だったあの本に出会うとは、なんとも不思議な感覚だ。
その店は新しい建物なんだけれど、四面を大きく開け放てるようなつくりになっていて、
気候によくあった設計だった。
よく考えて作られているのだなあ。いまはどうなっているだろうあの店。

宿の近くで原付を貸してくれるところがあったので、2日ほど借りて、
家族が昼寝しているあいだに島内一周した。
時間はかかるが、そんなに長旅というほどではない。
日本最南端の碑(実際の最南端は南鳥島らしいけど)を見て感慨にふけり、
そのちょっと先の断崖絶壁の縁まで行ってお尻をむずむずさせたり、
丘にぽつんと立つ灯台の写真を撮ったり。

島内は概してサトウキビ畑がずーっと広がる、なにもないところ。
昔の村跡などがあるが、島民の聖地のようになっており勝手に入るといけないとかで、自粛。
沖縄での岡本太郎のことなども思い出す。
(彼はきっと立ち入り禁止など気にしないだろう)

バイクの足乗せるところに上の子をたたせて海岸まで乗っていったりして、
よい思い出である。
上の子はいまだにそれを覚えているそうだ。

****

波照間島での事件といえば次のふたつか。

ひとつめは、サンピン茶のボトルなどをよく買った雑貨屋さん。
アイスなんかもあったので子供も喜んで行っていたのだが、
あるとき、買い物に寄ったとき下の子がなにやら微妙な表情になり、
こ・これは!と思ったが既に遅く、こどもの足元にだんだん水のしみが大きくなっていく・・・(おもらしw)。

床はコンクリートのたたきなので、どんどんしみてしまう(笑)。
そこで妻がひとこと「逃げろ!」(笑)
反射的にわたわた逃げ出した親子とばーちゃんでしたが、
考えたら逃げる必要も道理もないよなあ・・・

もうひとつ。
上の子5歳は現地の女の子Kちゃんとちょっと仲良くなり、道端で一緒に遊んだりしていたのだが、
ある日、やはりジモティな坊主狩りの男子(やはり子供と同年代くらい)がわらわら4人くらい自転車でやってきて、
女の子たちにちょっかい出し始めた。

Kちゃんとは顔見知りであるようで、なんだかんだと難癖をつけいじめ始めた。
Kちゃんの自転車を倒したりして目に余る。
ワタシは分別ある大人として、威厳を持ちつつ
「おいおい、男の子は女の子にやさしくなきゃいかんぞ!」とかなんとか適当に阻止を図ったのだが、
奴らいっこうに聞く耳もたず。
「うるせー」とか「女じゃねえの?」(ワタシはロン毛ストレートだったモンで・・)とか実に憎たらしい。

それでもなんとか冷静にやめろと諭していたのだが、
やつらKちゃんの自転車を棒でがんがん叩き出し「壊してやる~」とかやり始めた。
その瞬間ワタシの脳のなかでなにかがブチブチッと音を立てた。

「てめえらいいかげんにしろぉおぉ~~!!!」

腹の底から喉も裂けよとばかりの大声で
「ぶっころしてやる!」と思いつく限りの罵詈雑言が口から出る。
と同時に体はつかみかからんばかりに奴らを追いかける。
びっくりした奴らは、文字通り飛び上がり、
それはもう真剣な顔つきになってサンダルも脱げんかという勢いで脱兎のごとく散っていった。
頭に完全に血が上りつつも、そのやつらのあまりのあわてぶりがなんだか可笑しかった。

事態を不安げに見守っていた上の子は、ガキどもが散っていくと、「ふふっ」と笑い、
Kちゃんのもとに走っていった。
Kちゃんのおかあさんが公民館にいるということなので、
がきんちょどもの復讐を避けて、自転車引きながらKちゃんを公民館まで連れて行った。
おかあさんにそんなことがありましたと話して保護下に。

あのあと保育園だかでKちゃんが、このことをネタにいじめられるかもな~と後悔したが、
やってしまったものはしかたがない。

すべてが終わったころにウチの奥さんが自転車でやってきて、
その自転車のカゴに下の子がちょこんと乗っかっていたのを覚えている。

そのあと自転車で海にいったのだが、途中の民家のなかから少年が恨めしそうにこちらを見ていた。
蹴散らしたがきんちょのひとりだったろう。
こっちもにらみながら通っていった。



あとは、あれだ。当時docomoだったワタシのケータイに職場から電話があったんだ。
こんな日本の果てまで追ってくるなー!ということもあるが、
たまたまケータイを携帯していないときにかかってきて、
それに出たのがいっしょに来ていた友人(♀)。
奥さんじゃない女の人がでたぞ、manimaniは一体誰と沖縄に行ってるんだ?疑惑が職場で吹いたそうである(笑)


とにかく暑い波照間島。
圧倒的な日差しの誰もいない砂浜でめげる子供たち。
宿のクーラーが1時間100円のコイン式だったので、寝苦しくなるまで必死に我慢した夜。
波照間島はそんなところかな。

あ、まだあった。夜に天文観測所で星を見るツアーがあったので参加したな~。
南十字星とか見て軽く終わるのかなと思ったら、天文台の人が異様に話が長く、
小一時間熱心な説明を聴き続けて、正直疲れた。
天文には至極興味がある大人のワタシですらそうなのだから、
もう子供は眠い~まだおわらないの~?とか言い出すしね。

天文台の周りには明かりがまったくなく、星はそれはきれいだったけど。


そいから、夜港でバーベキューやるというので行ったな。
泡盛が進むと現地のひとは当然サンシンを弾きだし一大オキナワンダンス大会に。
ワタシも子供を肩車してぐるぐる走って踊ったよ。
子供の笑い声がいまも耳に残るよ。


つづく~~~~


(2020.10.31改行調整と若干文言修正)


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