Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「スカイラブ」ジュリー・デルピー

2013-04-09 14:20:30 | cinema
スカイラブLE SKYLAB
2011フランス
監督・出演:ジュリー・デルピー
出演:エマニュエル・リヴァ、ベルナデット・ラフォン 他


ジュリー・デルピー監督作を観ました。
ある面予想通りではありましたが、大変ステキな映画でありました。
ロメールやアルトマンがどうしたって記憶や歴史に残るのと同じように、
デルピーの映画も我々の意図とは関わりなく残っていくでしょう。


監督自身が述べているように、この映画には劇的な要素は一切なく、
舞台となるブルターニュの一軒家の主であるお婆さんの誕生日に、
あちこちから集まった一族老若男女の他愛もない大騒ぎを延々113分に渡り写しているそれだけのモノです。

誰でも、誰の記憶においても、実感されると思うのだけど、大事なこと、ずっと残るものは、人生のなんでもない細部にこそ宿っているのだと、改めて思わざるを得ません。
そして、映画はそのことを表現すること、共感を持ってそのことを人に伝えることに優れた表現形式だということも。

形や重みはそれぞれ違うけれど、タルコフスキーやアニエス・ヴァルダやロメールや小津安二郎や晩年のベルイマンなどは、そのことを踏まえて映画の可能性を信じていた作家だと思います。
極めて個人的な出来事の連なりが人の記憶や意識を型取り大切な澱としてずっと残っていくことへの共感は、時代や地域を越えていく普遍性のようなものを帯びる。大げさではあるけれども、そこにこそ映画が地道に作品を無数に更新していくことの一つの意味のようなものが見出せるのかもしれません。あるいは、無数の映画のあとでなお撮る意味はなにかということに対する一つの答えがここにはあるのかもしれません。

様々な社会矛盾に我々は立ち向かい、日々よりよき人生を、よりよき世界を実現しようと動くわけだけど、どこか根本にはこの映画の世界がある、おりに触れ「それぞれの」この映画に立ち戻り、思いを新たにする、そんな映画だと思いました。

*****

カット割も編集も脚本も、どうやっているのか想像がつかないくらいに滑らかで自然。脚本で魅せる力については、以前の作品『パリ、恋人たちの2日間』でも存分に発揮されていて、ほとんどウディ・アレンクラスなのだが、本作でも見事としか…

出演にはエマニュエル・リヴァ、ベルナデット・ラフォン、と、その筋のw人が華を添えているのも嬉しい。
前日にハネケ『愛、アムール』を観ているのでエマニュエルは2日連続で観た^^


スカイラブが落ちてくる話も懐かしい。そう、舞台は70年代なんだわね。
左翼かぶれの俳優一家とかそれと思想的には対立するアルジェリア帰還兵の一家とか。
もしかしたら自分のものだったかもしれない家族の物語。

『ブリキの太鼓』と『地獄の黙示録』の話も笑えた。

惜しむらくは、ギルバート・オサリバンだが、
あそこまでいったらいっそフルコーラスを望むのは贅沢だろうか?


メッセージ性があるとすると、あの少女が長じて得たあの家族のあり方だろうか。
よくも悪くもあの女性のメンタリティはあの一族の記憶と共にあり、人目を気にせず家族の一体感を優先した彼女の行動は、顰蹙とも言えるし、あれを世間が許容すべしという風にも見える。
そこはよくわからない。



@シアターイメージフォーラム
コメント (3)
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