Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「革命前夜」ベルナルド・ベルトルッチ

2013-03-20 01:34:03 | cinema
革命前夜PRIMA DELLA RIVOLUZIONE
1964イタリア
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
脚本:ベルナルド・ベルトルッチ、ジャンニ・アミーコ
出演:フランチェスコ・バリッリ、アドリアーナ・アスティ、アレン・ミジェット


ベルトルッチの初期作品を劇場で観る機会があるとは。
「革命前夜」は、説明的な運びがなく、関連性があまりないシーンをつないでいき
全体としてふりかえるとあそこはああいうことだったんだな、と思わせる、
そういう作風という点で、ああ、これはベルトルッチだ、と冒頭から思わせるものだった。

最初からそういう資質を持っていたのは面白いのだが、
ベルトルッチについてはその映画以外にはほとんど資料などに当ったことがなく、
それがどこで培われたのかすぐにはわからないのが残念。

パゾリーニの助監督をやっていたということなのだが、
たしかに『アッカトーネ』や『マンマ・ローマ』に似た雰囲気はあるかもしれない。
話の運びはパゾリーニの方が激しさがあるし、題材がベルトルッチの方がより個人的な事柄にあるし、大部違うとは思うのだが、それでもどこか似たところがある。

パゾリーニの初期の監督作品はイタリアのネオレアリズモの香りを引き継いでいるように思える。
頽廃とは遠く、いやおうなく人々を取り巻いている世の中を即物的に見ている。
ベルトルッチのこの作品は、そういう即物性を持ちつつ、関心が人の心の作用へと動いたような印象がある。
ネオレアリズモが社会と人間をとらえる大きな画角を持っているとすると、
ベルトルッチはぐぐっと寄って心をアップにしたような世界である。

パゾリーニにもそういうところはあるけれど。
ベルトルッチらしさというのはそういう視野狭窄的な小世界における人間のリアリズムということなんじゃないだろうかと、直感的にだけど、なにやら納得してしまったというのが、『革命前夜』を観た感想。

そしてそれはおそらくはフランスのヌーヴェルバーグにも大きく影響を受けていることにあるだろう。そういうこともある。
ヌーヴェルバーグもまたイタリアのネオレアリズモに大きな影響を受けているわけだけど、
それが巡ってまたイタリアの後の映画作家のもとに届いて次の映画を準備することになるのは面白い。

特にベルトルッチのこの後の展開では、小世界的リアリズムの視点のままに画角だけを広げていくような感覚があり、
そこがベルトルッチの独自性なんじゃないかなどと思ったりもするのだが。

****

若い叔母さんとの危ない関係という題材は
これまたいかにもベルトルッチ臭のするもので、
後の『ルナ』を思い出したりもする。

危ない関係だからといって事件に発展するでもなく
淡々と少年(というか見た目立派な青年なんだけど)の逡巡する様をとらえるだけで
その心持ちというか愛の姿がまたいいんだけど
それは物語的によいというよりは
日常のつらなりからたまたま切りとってきたようなやりかたで提示されるやり取りや動きによって見せることで得る即物性、心情そのものがそこに浮かんでいるような、隔絶感を持った姿で現れるところがいいんだよね。愛が。

ここんとこはベルトルッチの後の作品でもあまり変わっていないよな気がするんだよね。
舞台がどんどん大きくなるんだけど、扱われるものはそういうもの。
『暗殺のオペラ』や『暗殺の森』を経て、『1900年』とかだんだん風呂敷は大きくなって、いよいよ清朝だの仏陀だのとなるんだけどもね。

ときどき思い出したように世界がきゅっと縮まるのも面白いかも
『ラストタンゴ・イン・パリ』とか『シャンドライの恋』とか。
『ドリーマーズ』もかな。

ということで、図らずもベルトルッチらしさというものをぼんやり実感することになったのでした。


『革命前夜』の中味については、何回か観ないと書けない感じ。
(そこもまたベルトルッチ臭い。)

***

アドリアーナ・アスティさんはなかなかの60年代的美人さんでありうれしい。
『アッカトーネ』にも出ていたのね。ブニュエル作品などにも。
彼女の本作でのもっさりした髪型が気になって仕方がなかった。
髪型というか髪のボリューム。

****





。。。というふうに、ああベルトルッチだな~とちょっと安心しうれしくもなり、満を持して次なる『分身』に臨んだわけですが、そこには。。。。

【続く】ww


@シアターイメージフォーラム
コメント
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