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Comment ca va?
1976フランス
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール、アンヌ=マリー・ミエヴィル
いや~ハードコア・ゴダール
いや、ミエヴィルの力学か?
***
字幕
「能動と受動の間のフィルム」
どうやらこれから女の子をこまそうとしている男が運転する車の車内。
固定カメラで男と、アングル外の女との会話
その男のもとに手紙が届く。父親からの手紙。
以下はその内容。
共産党系新聞の編集者(父)が、新聞と印刷所の様子を伝えるビデオ映画を作ろうとしている。
が、コンビを組んだ女性(オディール)は謎めいたことばかり口走る。
このタイプライターの音はダメだ。手の動きもよくない。タイプライターと手はわかった。が、それを「司るもの」が見えていない。それは視線である。
文章を読む時、視線は左から右へ動き、一行下へ改行する。タイプライターの動きと同じだ。
あなたはなにも見ようとしなかった。目が手の動きをしている。手は文章の動きに気を取られている。ベトナムを見ることをせず読んだだけ。
ポルトガルの写真に拘泥する。男が荒々しく右手を振り上げ、左手では対面する兵士の腕をつかんで挙手させているように見える。ここでは連帯と暴力の二重性がみられる。写真にはこのような二重性が必要である。写真の意味が単一である時、写真は説明が必要となる。詳しい説明が付け加えられた時写真は必要なくなる。
編集者は脂汗をかく。なんのこっちゃ?
しかし幹部とのディスカッションでオディールの議論は幹部の心をつかんでしまい、編集者は厳しく叱られる。
編集者は女性に従うことにする。
しかしオディールは、上層部ではきっとこのビデオをボツにするという。
そんなことはない、と食い下がる編集者。
夜になって上層部の見解が伝えられる。
答えはボツ。
編集者はオディールを食事に誘うが断られる。
編集者は明け方の街を歩き、息子が生まれた時のことを回想する。
おまえは回廊を通って出てきた。
おまえは私のコピーである。
しかし必要のない所までコピーされてしまったのかもしれない。
字幕
「俳優と観客の間のフィルム」
そして書き換えられる。
「受動と能動の間のフィルム」
カーソルが縦横にうごきまわり
うごきまわり
うごきまわり
終わる。
****
まあ、こんな映画。
写真のもつ政治学
報道のもつ政治学
書き表わされたものと現実の間の政治学
映画的な躍動を一切排した、徹底的非説話的フィルム。
汗をかいた。
疲れた。
耐えた。
***
前年の「ヒア&ゼア」でしきりに「うまくいかない」とつぶやいていたゴダールが、次は「うまくいってる?」っていうのは、これは遊んでいるのか?
で、うまくいったかというと、やっぱり最後では「うまくいっていない」とつぶやかれてしまう。
製作した作品を上映/放映拒否にあうという経験を(早くも長編第2作から)重ねてきたゴダールにとって、特に68年以降うまくいかないのが映画製作なわけで。ただそういう映画システムに内在する政治みたいなものを暴くのがきっと大好きであろうゴダールは、作品を作るにつれうまくいかない度をますます深めてしまうわけで。
本作も結局76年にヴェネツィア映画祭で上映されたはいいけど78年までは一般公開ならず。
いや、一般公開されたことはすごいことなのだろう。
***
女性はオディールという名だったと思うがウロオボエ。
ミエヴィルが演じているらしい。常に後ろ姿で、顔は見せない。
オディールはゴダールの母親の名前。
関係ないかな・・
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