Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

P.K.ディック「最後から二番目の真実」

2007-06-06 03:49:18 | book
最後から二番目の真実

東京創元社

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サンリオ文庫から80年代に出版されたが、サンリオ文庫が廃刊になり。
以降ディックの作品たちは主にハヤカワと創元から順次復刻もしくは新訳で再発されたが、どういうわけかずっと出ていなかったのがこの作品。

で、このたびやっと新訳で出たのでご紹介。

***

未来のどこか。
世界は二つの勢力に二分され、核戦争が繰り広げられている。
各陣営は地下に巨大な都市を造営し、人類はそこに隠れている。
戦争は戦闘用ロボットが遂行していて、地下の人間は戦闘用ロボットの生産に忙しい。
地上の戦況は随時メディアによって報告されるが、戦況は混迷を深めいつ終わるとも知れない・・・
ところが・・・・・・・・・・・

***

この作品は、初期~中期のディックがどういう作家だったかが非常にわかりやすく表れているような気がする。
・人間にとって「現実」とはなにか
・高度な管理社会
・冷戦構造が落とす影
・SF的ガジェットのリアリティ
・宗教と未来社会
こういうモチーフをベースに、人が虚構に振り回されながらも、勇気を持って、しかし代償を払いながら、新たな局面を切り開く。


初期中期ディックの提示するSF的モチーフは一言でいうなら人間疎外に収斂するものだ。それだけで50年代や60年代は充分ユニークなのかもしれないが、ディックはなお疎外を生きるとはどういうことかという人間像を早い段階からテーマにしていたと思う。

ディックというと現実崩壊感覚やSF設定のリアルな描写が取沙汰されるけれど、確かにそのユニークさはそれだけで充分面白いのだが、実はそこに投げ込まれる人間の姿こそがディックの味わいの核心なのだと思う。

翻弄され、ある者は迎合し、ある者は破綻し、ある者は状況を切り開く。
でも一貫して弱者や敗者へのまなざしは救いがなく、しかし優しい。

ヒロイズムとセンチメンタリズムの同居する人間疎外の物語。
それが初期中期ディックの楽しみなのだ。

***

といってもまあこの作品はわかりやすい反面、突出した意外性はなく、そういう意味ではやはり「パーマーエルドリッチ」とか「火星のタイムスリップ」とかのほうが代表作となるのだろうな。

あとは思いきって後期に走るとまた違ったディックワールドが展開しますよ~
(実はそっちのほうが好きだったりする)


ああ、そうじゃ。「最後から・・」はクストリッツァ「アンダーグラウンド」にちょっとだけ似ているな。設定が。


オススメ度:



パーマー・エルドリッチの三つの聖痕

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火星のタイム・スリップ

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コメント (2)
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