Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

黒沢清「叫」

2007-03-20 12:48:01 | cinema
2006日本
監督・脚本:黒沢清
プロデューサー:一瀬隆重
音楽:配島邦明
出演:役所広司、小西真奈美、葉月里緒菜、伊原剛志、オダギリジョー





「呪怨」だの「リング」だの「らせん」だの並み居るホラーをプロデュースし、
かつ「帝都物語」や「D坂」などの実相寺作品も手がけ、
古くはあの「夢見るように眠りたい」を製作した一瀬隆重が製作。

で、意外にも黒沢清監督作品の製作は初めてなのではないでしょうか?(違ったらごめんなさい)

なんていうほど黒沢作品を観ているわけではなく、昔「スウィートホーム」を観ていまいち乗れなかった記憶しかなく・・・

でも「叫」はなかなか面白かったな。
ホラーとしても、謎解きとしても、その道を極めるようなものではないけれど、むしろそのいずれでもない全体の仕上がりを目指したようなもの。
たとえば「ツインピークス」がそうであるような。

**

まず、怨念の残る舞台を湾岸にしたのはセンスいいと思う。
東京の湾岸って虚実と表裏が混然とした地帯で、まさに埴谷雄高の言う「非現実」。
ほとんど正気でそこを受け入れることはできないんじゃないかって気がするよ。

新しいものを指向する意志が新しいものをつくる一方で、きたないもの、目に触れさせたくないものをそこへ追いやっている。古くからあるものは居場所を失いながらもそこにとどまりつづけ、終わりの日を待っている。
埋め立て地、ぬかるみ、海水のにじみ出るみずたまり、資材置き場、コンクリート堤防、汚い海、暗い夜。
場所柄からしてすでに現代のホラーだ。

水際での人間模様もやっぱり陰惨なもので。
そこに提示されるのは、まともに人間をはぐくむことのできない精神世界だ。
まともでない子供。子供が手に負えなくなった親、恋人が手に負えなくなった男、恋人が手に負えなくなった女。すぐに暴力をふるう刑事。
水際のもろもろが象徴するような、人物の心の荒れよう。岡崎京子がかつて「リバースエッジ」で看破した水際の心性が今も脈々と生き続けているということなんだろう。

***

水たまりと、それに通じる鏡をいちいち意味ありげに撮るこだわりはなかなかよい。頻発する地震も水たまりを揺らしてみたいがための小道具だったのだろう。
水のもつまがまがしい力を、我々の周りにあるまがまがしさとして意識させるくらいのこだわりがあったと思う。

古い団地も自分的にはだいぶツボ。古い団地はいいねえ。警察の建物といい、問題の建物といい、廃墟的なものばかりを選んで撮っている。廃墟フェチにはたまらんな。この視線がとてもよいだろう。現在の湾岸を見る目はこうでなくちゃいかんと思う。
同じ湾岸でもあれとは大分視点が違うな。(あれって?アレよほらアレ・・オモイダセン(老人力))

あと、顔を見せる/見せないの使い分けをかなり綿密に設計していて、F-18の顔は結局よくわからないし、かとおもえば葉月里緒菜の顔はドアップで見せるし、よく考えられている。

ということで、水際の心性と廃墟的なるもの、水たまりのまがまがしさ。見せる/見せないの恐怖。
そのほかにはそれほどのこだわりがあったようには思えなかった。
たとえば「俺なにやった?」という現実崩壊感であるとか、かんじんの「叫び」の意味とか。

でもそれで十分楽しめたし、古巣にもどったような気分になれた。(←ほめ言葉ね)

****

・小西真奈美って大根だな~と思い、葉月里緒菜の話し方に違和感を覚えたが、ラストでああ!なるほど!そういうことだったのか~と理解。
良心的解釈かもしれないけどね(笑)

・葉月里緒菜はしかしほんとに整った顔をしてるよな~ほれぼれ。(彼女、瞬きひとつしない!)

・「有頂天ホテル」ではそうは思わなかったが、この映画では役所広司はなかなかいい役者だ。同じ演技だけれど。

・いちばんぱっとしなかったのはオダギリジョーだと思うな。

・音楽は秀逸(主題歌じゃないよ)派手すぎずでもこわい。日本的奥ゆかしさ。


他の黒沢も観てみたい。
(そういえば明も観たいんだけどね)


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コメント (7)
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