Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

散歩で考えた

2004-12-19 04:12:01 | diary

うちの近所は再開発で
そこらじゅうクレーンが立って
昼間は物を壊す/作る音がどこかしかでしている。

町並みもちょこちょこと変わっていき
なんだか住環境としてはどうなんだろう

近所の河で橋の架け替えがあり、
新しい橋には、仕組みはよくわかってないけれど
河の水質向上のために一定時間放水をするような
仕組みになっているらしい。
夜はライトアップなんかされててちょっとした噴水状態。

でも周りをみると
ちょっと上流の再開発工事現場からは、泥水が元気よく河に落ちている。
(ケータイ写真なのでかなりわかんないなあ)



そもそもこの河
雨水を集めて河に放流するように周囲の側溝が切られていて
雨がふると路上のゴミもろとも河に落ちるようになっている。

思うに、世の中の事象の複雑で広範な関係性に対して、
人間の知恵がどれだけ切り込んでいけるかというと
やっぱりほんの一部なんだよな

橋の架け替えに際して水質向上システムを取り込むという
意志はとても尊い。
でも本当に意志を貫徹するには、沿岸の再開発工事関係者と
すべて調整して放流水の清浄化を進めないとだめだし、
雨水の河川放流もちょっと考えて見ないとダメだし、
ゴミやベントナイト汚泥の不法投棄取り締まりなんかも必要だし、
すごいことになってくる。

こういうことを一貫した思想の元に進めることのできる
リーダーシップと組織なんてそうそうないだろうな。

やっぱり60年・70年代に描いた輝く未来都市なんて
そう簡単には作れなかったんだ。
今だとポケモンに出てくる都市。
広大な緑に囲まれた高度な科学技術都市。
あんなのも無理だろうな。

銀河鉄道999の鉄郎が育った都市
摩天楼とその麓のバラック
あれはなかなか現実っぽい
(ちょっとネタが古いか・・)

もちろん「できることからすこしずつやる」しかないことは
そのとおりだ。
けれどそのできることが何を理想としてどこにつなげて
ゆくべきか
ということをずっと意識して引き継いでゆくことは
かなり難しいよな。

人間の知恵と勇気と行動力を信じて
理想に向かって日々邁進するのが健全なのかもしれないが、
人知の及ぼしうる力の限界を知り
つつましく質素に短く生きるのが正解?という気に
ちょっとだけなってしまわなくもない散歩でした。(歯切れ悪し)

疲れたぞ今日のログ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする