靖国神社は戦死者の御霊を祭る神聖な場所であり、映画「靖国」ごときで騒ぐな!

2008年04月05日 19時49分07秒 | 政治
◆今年の桜は、早く咲いて、長持ちして、ゆっくりと散っていきそうである。4月1日夜、JR市ヶ谷駅からお堀端の桜並木を歩き、そのまま靖国神社の境内に入る。満開の桜の木々の下では、花見の宴が終わりつつあった。俄か作りの簡易「飲み屋」さんも店じまいの支度を始めていたけれど、飲み足りない花見客は、椅子から離れがたそうであたった。
帝国陸軍の創立者・大村益次郎の銅像を見上げ、失礼してその台座の下に座り、人肌に温められたワンカップ「大関」を一本500円の鮎の塩焼きにフーフー息を吹きかけながらほうばる。
 桜の木の下では、いまは神と祭られている帝国陸海軍の戦士たちも約束通り集い、戦友たちと旧交を温めているような雰囲気だった。そのなかには、母の兄である伯父も混じっていたに違いない。
◆巷では、映画「靖国 YASUKUNI」の上映をめぐって、「表現の自由を守れ」などとマスコミがワイワイ騒いでいた。映画館の多くが右翼からの妨害を恐れて上映中止を決めていた。
しかし、映画は、映画館で上映できなくても、会場にこだわることはない。戦後しばらく、映画と言えば、小学校の校庭や講堂で鑑賞していたものだ。マスコミ各社は、映画館での上映妨害をいかにも「言論弾圧」でもあるかのように大騒ぎしていて、何とも滑稽な光景である。
◆そんなに騒ぐくらいなら、新聞社が持っている「会館」や「ホール」を上映のために開放し、提供すればよいのにと思ったが、どの新聞社もそんな措置を講じるところがない。これも不思議な話である。そんなに右翼が恐いのだろうか。論説委員たちは、映画館に「勇気を持って上映せよ」と偉そうに論じているけれど、万一被害を受けた場合、責任を持てるのも怪しい。無責任極まる論調である。
◆しかし、「靖国神社」は、戦死者の御霊を祭るまさに神聖な場所である。映画監督がどんな映画をつくろうと、それをだれが鑑賞しようとしまいと知らないが、神聖な場所を汚したり、不敬を働いたり、誹謗中傷したりすることだけは、何人たりとも避けるべきである。それが「礼儀」というものである。アメリカのアーリントン墓地や中国の戦勝記念碑などに無礼を働く者がいたら、アメリカ人や中国人は、怒らないだろうか。
 もし、騒ぎたいのなら、桜の木の下で、戦死者の御霊を感じながら、酒盛りした方が、戦死者への供養になる。
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