自民党総裁選挙は、「安倍晋三官房長官で決まり」と観測されているなかで、政局は、「安倍晋三政権VS小沢一郎民主党」の構図で進行しつつある。次の焦点は、10月の衆議院議員補欠選挙、2007年4月の統一地方選挙、同年7月の参議院議員選挙に移っているので、自民党総裁選挙と民主党代表選挙への国民的関心は、希薄になっている。
そんななか、麻生太郎外務相が、谷垣禎一財務相に続いて立候補表明したものの、「気の抜けたビール」を飲まされるような気分である。それにしても、21日のTBS番組「ニュース23」において筑紫哲也キャスターが、麻生外務相に単独インタビューしたまではよかったけれど、「安倍政権で外務大臣を務めるのか」と失礼極まりない質問をしていた。いかに結果が見えていようとも、「決意」や「政策構想」を聞きながら、「負け」を前提にした質問に、さすがに麻生外相も「まだ立候補したばかりだ」と苦笑していた。「これはまずい」と思ったのか、「時間がきた」のを口実に慌てて逃げてしまった。
ところで、自民党総裁選挙は、たとえ負けたとしても、「大敗」して、政治生命を失う危険はあるが、「支持票」の出方によっては自民党内での影響力を残すことができ、「次の次」の布石にもなるので、最後まで勝負を諦めるわけにはいかない。
筑紫哲也キャスターに負けず、劣らず、不遜極まりないのが、テレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」の田原総一朗キャスターである。第二次世界大戦における日本の戦争責任について、「日中戦争」以後を「侵略である」と認めるか否か、あるいは、靖国神社の「遊就館」において示している「歴史観」について、「賛成か反対か」を政治家に詰問調に問うているが、これは思想信条に関する「踏み絵」に等しい。
政治家が国民に思想信条を明らかにする責任があるとはいえ、「YES」「NO」、「白」か「黒」かを炙り出さそうとするのは、やり過ぎであろう。
第二次世界大戦の戦勝国は、確かに「勝てば官軍」であるから「正義」である。「負ければ、悪」と決めつけられても仕方がない。 だが、未曾有の「世界大戦」において、戦勝国がすべて正しく、敗戦国である日本がすべて「悪」と決めつけるのは、いかがなものであろうか。
日本の戦争責任を追及しすぎると、欧米列強の「帝国主義」「植民地主義」が正しかったという錯覚に陥ってしまう。
欧米列強がアジアに持ち込んだ「帝国主義」「植民地主義」は、正しいとでも言うのであろうか。
「あのとき、日本は、アメリカや英国の言うことを素直に聞いていれば、戦争をしないで済み、アジア諸国に迷惑をかけないで済んだのか」
欧米列強の「帝国主義」「植民地主義」をそのまま認め、日本は中国から軍隊を全面撤退して、「石油」を使わず、「木炭」や「石炭」で文明社会に生きていく術を見つける努力をすればよかったのであろうか。
欧米列強の「帝国主義」「植民地主義」の成すがままにして、しかも、アメリカに従属し、太平洋戦争に突入しなかったならば、日本は、平和と繁栄を築くことができたはずだと言うのなら、今日、小泉首相が、「対米追従」の外交を進めてきたのは、正しいとも言えよう。アメリカに叛旗を翻すとひどい目に遇わされるのは、残念ながら、いまも変わりはない。
朝日新聞などの「反米論調」を聞いていると、戦前の「鬼畜米英」という言葉と悪夢を思い出さざるを得ないのである。
そんななか、麻生太郎外務相が、谷垣禎一財務相に続いて立候補表明したものの、「気の抜けたビール」を飲まされるような気分である。それにしても、21日のTBS番組「ニュース23」において筑紫哲也キャスターが、麻生外務相に単独インタビューしたまではよかったけれど、「安倍政権で外務大臣を務めるのか」と失礼極まりない質問をしていた。いかに結果が見えていようとも、「決意」や「政策構想」を聞きながら、「負け」を前提にした質問に、さすがに麻生外相も「まだ立候補したばかりだ」と苦笑していた。「これはまずい」と思ったのか、「時間がきた」のを口実に慌てて逃げてしまった。
ところで、自民党総裁選挙は、たとえ負けたとしても、「大敗」して、政治生命を失う危険はあるが、「支持票」の出方によっては自民党内での影響力を残すことができ、「次の次」の布石にもなるので、最後まで勝負を諦めるわけにはいかない。
筑紫哲也キャスターに負けず、劣らず、不遜極まりないのが、テレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」の田原総一朗キャスターである。第二次世界大戦における日本の戦争責任について、「日中戦争」以後を「侵略である」と認めるか否か、あるいは、靖国神社の「遊就館」において示している「歴史観」について、「賛成か反対か」を政治家に詰問調に問うているが、これは思想信条に関する「踏み絵」に等しい。
政治家が国民に思想信条を明らかにする責任があるとはいえ、「YES」「NO」、「白」か「黒」かを炙り出さそうとするのは、やり過ぎであろう。
第二次世界大戦の戦勝国は、確かに「勝てば官軍」であるから「正義」である。「負ければ、悪」と決めつけられても仕方がない。 だが、未曾有の「世界大戦」において、戦勝国がすべて正しく、敗戦国である日本がすべて「悪」と決めつけるのは、いかがなものであろうか。
日本の戦争責任を追及しすぎると、欧米列強の「帝国主義」「植民地主義」が正しかったという錯覚に陥ってしまう。
欧米列強がアジアに持ち込んだ「帝国主義」「植民地主義」は、正しいとでも言うのであろうか。
「あのとき、日本は、アメリカや英国の言うことを素直に聞いていれば、戦争をしないで済み、アジア諸国に迷惑をかけないで済んだのか」
欧米列強の「帝国主義」「植民地主義」をそのまま認め、日本は中国から軍隊を全面撤退して、「石油」を使わず、「木炭」や「石炭」で文明社会に生きていく術を見つける努力をすればよかったのであろうか。
欧米列強の「帝国主義」「植民地主義」の成すがままにして、しかも、アメリカに従属し、太平洋戦争に突入しなかったならば、日本は、平和と繁栄を築くことができたはずだと言うのなら、今日、小泉首相が、「対米追従」の外交を進めてきたのは、正しいとも言えよう。アメリカに叛旗を翻すとひどい目に遇わされるのは、残念ながら、いまも変わりはない。
朝日新聞などの「反米論調」を聞いていると、戦前の「鬼畜米英」という言葉と悪夢を思い出さざるを得ないのである。