天皇・皇后陛下のサイパン訪問を活かし、これからの日本人は、「我慢強く」ならねばならない

2005年06月28日 20時51分53秒 | Weblog
両陛下、サイパン訪問 激戦の地で平和祈る (共同通信) - goo ニュース

 天皇・皇后両陛下が27日、戦後60年の慰霊のため、政府専用機でアメリカの自治領である北マリアナ諸島のサイパン島を訪問され、「平和」を願い、慰霊碑などにお参りされた。
 南洋諸島のなかには、国際連盟により日本の委任統治領となっていた島々があり、マリアナ諸島もその一つであり、日本が「侵略」して領有していたわけではない。アメリカは、これらの南洋諸島をも日本からもぎ取り、支配下に置こうとして、「太平洋戦争」を遂行し、日本軍は惨敗したのである。
 この姿を映像で見ながら、「太平洋戦争は、日本が一方的に仕掛けた侵略戦争だったのか」と疑問が沸いてきた。正しくは、「アメリカの太平洋戦略の障害になっていた日本を殲滅するための戦争だったのではないか」ということである。
 日本は、戦場に引きずり込まれて、馬鹿なことをしてしまった。だが、よく考えると、アメリカにより強引に引きずり込まれなくても済んだのではないだろうか。
 そう思うと、アメリカに敗れた日本の姿が、アメリカ・インディアンのそれとだぶってくる。
 ハリウッド映画製作の西部劇では、アメリカ・インディアンは、西部開拓の幌馬車隊を襲撃する「野蛮人」として描かれている。騎兵隊は、正義の味方であり、インディアン集落を襲い、どんなにひどい殺戮をしても、正当化される。征服者は、「正義」であり、被征服者は、決まって「悪者」にされる。
 西部開拓に乗り出した白人たちは、
 ①インディアンを駆逐して、辺境地に追いやる。
 ②ロッキー山脈を越えて、カリフォルニアに進出し、太平洋を臨  む。
 ③海軍の活動を大西洋、カリブ海から、太平洋に広げる。
  (アルフレッド・マハンの「海上権力論」)
 ④カリブ、フィリピン、グァム、ハワイで同時多発戦争。
 ⑤大日本帝国と太平洋戦争。
 ⑥朝鮮半島で朝鮮戦争。
 ⑦ベトナム空爆。
 ⑧イラン・イラク戦争。
 ⑨アフガニスタン空爆。
 ⑩イラク戦争。
 これらは、「海洋国家」であるアメリカの「太平洋覇権戦略」であった。
 インディアンは「野蛮」とされて、勝手に移民してきた白人たちに、追い立てられた。
 ベトナム人は共産主義者だという理由で、一方的に攻められた。 イラン・イラク戦争でイラン人はアメリカになぜ攻撃されるのかわからないまま、日本に習ってハチマキ特攻隊を編成してペルシャ湾で突撃せざるを得なかった。
 アフガニスタン空爆では、9 ・11事件の犯人グループの大半はサウジアラビア人であったのに、オサマビンラディンに関係付けられて攻撃を受けた。
 イラク戦争では、フセインの態度が気に食わないことからと悪と決め付けられ侵略された。
 そして北朝鮮は、金正日がアメリカとの直接対話を求めているのに、攻撃が時間の問題となってきている。
 近年のアメリカの攻撃の歴史を振り返ってみても、日本が戦争に巻き込まれた状況は似たようなものであったことは、想像に難くない。実際に戦争を仕掛けているのは、アメリカであっても、負けた以上謝るしかない。また、そうこうしているうちに、本当に悪いのは日本だったと思い込むようにもなってしまったというところだ。
 日本が、パールハーバーを奇襲攻撃しようとしまいと、アメリカの「太平洋覇権戦略」は、強引に実行されたはずである。
 「太平洋戦争」は、アメリカが「制海権」と「制空権」を獲得するためのプロセスの一環であり、日本が避けようとも不可能であった。
 これと同じ論理は、ベトナム戦争のときにも貫かれている。ホーチミンが指導するベトナム民族解放戦線は、「アメリカと仲良くしたい」と思っていたのに、フランスの後を引き受けたアメリカが、戦争を仕掛け、空爆した。
 だが、ベトナム民族解放戦線が、アメリカ軍と南ベトナム軍を追い詰めて、ついにはベトナムから追い出すことに成功している。
 ちなみに、ベトナム民族解放戦線が、グエンザプ将軍の下で行ったジャンナグルでの地下通路作戦は、日本軍が硫黄島で行った「蛸壺戦術」の応用であったと言われている。アジア人という立場で言えば、日本は、太平洋戦争に敗北したが、ベトナム戦争でベトナム人に勝利をもたらしていたとも言えよう。
 日本は太平洋戦争に敗北し、多くの将兵を消耗させ、民間人のなかからも多数の犠牲者を出してしまった。
 こんなことになるのなら、早々とアメリカの軍門に下り、南洋諸島を放棄してアメリカに提供し、また、アメリカの要求通りに旧満州から関東軍や中支に派遣していた日本軍も撤退させたり、保護国にしていた韓国を独立させたりしていればよかったのである。
 だが、小泉首相は「アメリカに追随している」とか「ブッシュ大統領の言いなりになっている」などと批判を受けているが、いまでさえ、こんなふうなのであるから、当時の日本人は、アメリカの要求を受け入れて、日本国土に閉じ籠もるだけの勇気も英断も簡単にはできなかったのである。
 これから日本が、「平和と繁栄」を維持し、経済大国として生きていくには、決してアメリカに逆らってはならない。たとえ「アメリカに追従している」とか「アメリカの言いなりになっている」とか批判を受けても、我慢しなくてはならない。これは残念ながら、「海洋国家・日本」の宿命である。
 問題は、これからの日本人が、どこまで我慢していけるかかである。どんなに悔しい思いをさせられようとも、決して堪忍袋の緒を切ってはならない。とくにアメリカと戦ってはならないのである。 ましてや、「今度アメリカと戦うときには、絶対に勝つ」などと大それた考えを持ってはならない。
 日清戦争後、ロシア、ドイツ、フランスから「三国干渉」を受けて、遼島半島を清に返還させられた際、当時の日本人は「いまに見ておれ」と「臥薪嘗胆」などという言葉を使ってじっと堪えたものの、日露戦争に勝利して、その仇を討ったのだが、これからの日本人は、「臥薪嘗胆」という言葉を思い出してもいけない。
 だが、「長いものに巻かれろ」というのではない。超軍事大国・アメリカと戦っても勝ち目は絶対にないからである。
 それでも「卑屈」になることはない。「負けるが勝ち」という言葉がある。「戦わずして勝つ」という孫子の兵法の名言もある。
 戦前の日本人は、「我慢強くなかった」のである。これからの日本人は、たとえ中国や韓国から馬鹿にされても「我慢強く」ならなくてはいけない。天皇・皇后両陛下の「慰霊の旅」を映像で追いながら、そう痛感させられた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする