函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

どうする家康、僧侶達の嫉妬??

2023-12-04 | 歴史

最近の説では、開戦前から和議を模索していた

とも言われています

しかし、多数の浪人達を抱えた時点で闘いは避

けられません

殆どの浪人達にとって豊臣家より御家の再興が

第一の目的。 

和議では再興が叶いません

そう考えると戦いを回避するのは難しそうです

豊臣軍は幾つかの砦を作っていましたが、木津

川口の戦いなどでは豊臣軍は全敗 

籠城戦を選択した時点で兵糧の確保は必須でし

たが、補給路も断たれ、豊臣恩顧の大名達から

の援軍も期待できない状態では戦いを続ける事

が出来ません 

福島正則や黒田長政は江戸留守居を命じられて

いるので万事休す

局地戦では真田信繁等が善戦していますが、大

局には影響なさそうですよね。 

無謀な戦だったと言わざるを得ません

 

「この戦は、徳川が汚名を着る戦となる。信長

や秀吉と同じ地獄を背負い、あの世へ逝く。そ

れが最後の役目じゃ」と決意を伝える家康 

秀忠に対し「人殺しの術など、覚えんでよい」

とは、幼かった自分自身にも言い聞かせている

様に聞こえたのは僕だけでしょうか? ?

本当は家康も秀忠の様に行きたかったのかも知

れませんね 

家康は、戦なき世を成すのを秀忠に託し、自ら

汚れ役を買って出るつもりのようです

戦嫌いの家康の最後の戦が始まろうとしていま

 

  

大阪の陣のきっかけとなった方広寺鐘銘事件。 

家康が言い掛かりをつけ豊臣を挑発したと言わ

れていましたが… 

勿論、そう言った側面もあったと思いますが、

鐘銘の文言を考案したのは豊臣に縁の深い清韓

と言う僧侶ですね 

清韓が後に捕らえられているところをみると、

故意に徳川を挑発しいたのではないかと疑って

しまいます

だとすれば、豊臣家の誰かの依頼があったのか?

清韓自身が豊臣家に対して忖度しただけなのか? 

事実は闇の中ですが… 

国家安康、君臣豊楽、鐘に刻まれていた文言で

す。 

家康の名前を切り離し、豊臣の繁栄のみを祈っ

ていると読まれてもおかしくありません 

この言い掛かりともとれる事件に暗躍したとさ

れるのが、黒衣の宰相の異名を持つ金地院崇伝。

崇伝は京都五山の一つ南禅寺の僧侶でもありま

因みに、清韓は東福寺や南禅寺にもいた京都五

山の高僧の一人です 

清韓は名声の高い高僧だったので、徳川が清韓

を罰すれば京都五山の僧達の反発が必至と思わ

れましたが… 

しかし、全く批判が出ません

何故か? 

どうやら崇伝が五山の僧達に根回しをした節が

あるのです 

清韓に嫉妬している僧達の心理を見抜き、清韓

を悪者に仕立て、家康指示へと導いたのです 

家康の参謀として仕えた崇伝の面目躍如といっ

たところでしょうか 

凡人の僕から見ると、偉い僧侶でも嫉妬するも

のなのか?と思っててしまいます。 

修業を積んだ僧達でさえ嫉妬するのです。 

人間の煩悩とは、どうやら位や立場に関係ない

見たいです

 

 

 

 


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