函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

どうする家康、幸せそうな最期でしたね!!

2023-11-06 | 歴史

「徳川一の忠臣、この鳥居元忠が、お守りいたしまする。」 

その言葉通り伏見城を13日間も守り抜いた鳥居元忠 

壮絶な最期でしたね 

西軍四万を相手に僅か千八百の兵力で13日間も伏見に釘付

けにしたのは流石です 

上田城に秀忠軍を釘付けにした真田昌幸にも匹敵する働き

ですね 

元忠は、家康が上杉征伐を止め西国に引き返す事が出来た

最大の功労者と言っても良いのかも知れません

ドラマでは… 

信玄の家臣だった馬場信春の娘を側室として娶っています

が、馬場信春の娘かどうかは定かではない様です

武田家に縁のある女性だったのは間違いなさそうですが… 

何れにしても、家康との約束を立派に果たし、最愛の女性

と最期を迎える事が出来た元忠には、悲壮感を感じなかっ

たのは僕だけでしょうか? 

僕の目には、とても幸せそうな表情に写りましたが… 

ところで… 

おっとりとした跡取りだとばかり思っていた毛利輝元 

叔父・吉川元春や小早川隆景の陰に隠れた人物だとば

かり思っていたのですが… 

俊敏な行動力を見ると、野心家でもあり凡庸な人物と

はとても思えません

三成からの依頼とは言え、短時間で意気揚々と大阪城

へ入り豊臣秀頼を確保 

淀殿は勿論、前田玄以、長束正家、増田長盛 の三奉行

を味方にし、五大老の一人・宇喜多秀家までも引き込

みます 

勿論、三成無しでの関ケ原の戦いは有りえませんが、

三成が西軍を統率していたとも思われません 

お飾りではなく、西軍の総大将は間違いなく毛利輝元

と確信している僕なのです 

三奉行の名で「内府違いの条々」という弾劾状をまと

めたのも輝元の指図だったのではないのでしょうか? 

この書状を読むと、正義は西軍にあります。 

つまり東軍は、賊軍となってしまったのです

 

秀頼を先頭に輝元が出陣すればおそらく西軍が勝って

いたと個人的には思っています。 

秀頼出陣ともなれば、福島正則や黒田長政などの豊臣

恩顧の武将は、中立を決め込むか?戦いを避け自分の

地に引き返すしかありません

関ケ原の戦いは、輝元が思っていたよりもかなり早く

開戦したための敗戦だった様な気がしてなりません 

総勢15万~20万もの大軍の戦いが数時間で勝敗が決す

るとは殆どの武将は思っていなかった筈です 

数日ないしは数カ月掛かっても不思議ありません。 

輝元にとって、時間軸の読み違いが決定的だったのか

も知れませんね

 

 

 


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