函館 Glass Life

函館市田家町で眼鏡店「サポートGlass」を営む店主の趣味と感じたことの
日記です。

どうする家康、豊臣政権のナンバー2!!

2023-10-16 | 歴史

秀吉が遂に最後の時を迎えます

家康を呼び出し、「うまくやりなされや」と後を託した

秀吉ですが、天下の事よりも秀頼の生末しか頭にない様

でしたね 

稀代の英雄秀吉も老いには勝てない様です

「秀頼は、あなたの子だとお思い?」と問いかける茶々。 

てっきり、実の父親を告白するのかと勘繰りましたが、

「秀頼は私の子。天下は渡さぬ」と… 

「あとは私に任せよ、猿」と言い放つ様は、亡き母・お

市を彷彿させます

茶々の言葉を聞き何故か笑みを浮かべる秀吉ですが、も

しかして、秀頼が自分の実子だと確信しての笑みなのか

も知れません

絶命した秀吉を抱きしめ泣き声を上げる茶々ですが、

吉に対する愛情が無かった訳でもなさそうでしたね 

単に情だけなのかも知れまらせんが、心の奥底は凡人の

僕には理解し難いものがあります

ところで… 

家康は朝鮮従軍から除外されています よね。

何故なのでしょうか? 

地理的に遠い事は事実ですが、それだけが理由ではなさ

そうです 

朝鮮出兵中に東で反乱が起きないともいえません 

そこで重要なのが、関東に250万石を有し、睨みを利かせ

る事が出来る徳川です

 天下人となった秀吉ですが、政権の基盤はそれほど盤石

なものではありません。 

いくら庶民に人気があっても、それだけでは長続きしま

せん 

周りは農民出の秀吉よりはるかに出自が良い武将ばかり。 

そこで欠かせないのが、信長の同盟者だった家康の存で

 

本気で徳川を潰したければいくらでもチャンスがあった

筈です。 

それをしなかったのは、家康の武将としての存在感が豊

臣政権に必要だったとも言えます 

待遇を見ても、政権ナンバー2の秀吉の弟・秀長と同等の

処遇をしているところを見ても明らかです。 

織田政権の簒奪者とも言える秀吉にとって、徳川という

重しは政権維持に欠かせないものだったのかも知れませ

 

 


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