80分の1丁目16番地

ペーパースクラッチによる車両作りを中心に1/80、16.5ミリゲージの鉄道模型を楽しんでいます。

さようなら京王線地上駅(調布・中編)

2012-08-11 12:46:22 | 実物・資料系(現在)
おはようございます。
眠いですzzz
オリンピックと京王線散歩に翻弄されていて模型がいっこうに進みません (^^;


さて調布駅かいわい2回目は京王線西調布駅方面へと歩いてみます。

下り電車の前方から見る京王線(前方)と相模原線(左方)の分岐部。ダイヤモンドクロッシングが西日にキラリと光ります。今回の地下化によって18箇所の踏切除去による道路の渋滞緩和とともに、この平面交差によって生じていたダイヤ上の制約からの解放が期待されています。
相模原線の上り電車は京王線の下り1番線(中央やや左上)、下り2番線(中央)の順に本線を横切って調布駅に進入しますが、クロッシング部をみると1番線との交差部は固定式なのに対し2番線は可動式になっています。通過速度はどちらもそう高くないため、恐らく交差角度の違いによるものかと思われます。



このクロッシングの先にあるのが「調布1号」踏切。通称市役所前通りとの交差部で人・クルマともに多く2路線の列車が入り乱れるポイントなので、朝夕だけでなく昼間でも長い行列が出来ています。
南側からの眺めで手前がカーブする相模原線。前方には再開発で姿を消してしまう「萬来軒」が見えます。



線路に沿って西に歩くとすぐ右手に「調布銀座」という看板を掲げた横道があります。電車に乗っていると一瞬で通過してしまうので今まで気づきませんでした。「ゆうゆうロード」という愛称がつけられ、その下の横断幕には「ここに駅があったから調布銀座が誕生しました ありがとう京王線」と書かれています。移転前の調布駅はちょうどこのあたりにあったんですね。線路脇にはその名残と思われるスペースが広がっています。
先日萬来軒で常連客から聞いた話では、移転後もしばらくは調布駅北側には細い道路しかなく、バスもこの旧駅あたりで転回していたそうです。



下り線側には旧駅跡のスペースと思われる場所に短い側線があります。たまに保線用車両が停まっているそうですが、私が行くときはいつもカラです。地下化工事が始まる前は相模原線のカーブに沿って保線車両用の側線があったので、その代替施設かと思ったのですが有効長が短かすぎますね...



その側線の先端側にはボロボロに歯抜けになった木の門扉が。周辺一帯が緩くカーブしていて昔の相模原線の分岐跡かと思われますが、目測で延長していくと現在線よりかなり西に行ってしまうので、線路敷そのものではなく関連施設の境界の跡か、単なる先入観による誤解?かも知れません。



ところで工事現場に貼ってあった工事概要図面にキニナルものが描かれていますよ。ちょうど真ん中付近のシーサスクロッシングの上あたりを見てください。ちょろりとヒゲ線が出てませんか? つまりこの保線用側線は地下に潜ってもなお生き続けるっちゅうことのようです。しかも分岐する位置がホームの途中とは恐れ入ります。果たして本当なのかどうか、答えは1週間後に判明します!



さて調布銀座前を抜けてさらに西へ歩くと2車線道路の「調布3号」踏切に出ます。普通の踏切ですが、脇にある架線柱の根元にご注目ください。地上から2.5メートルくらいの高さまでコンクリートで固められています。これは基礎というよりは明らかに何かを防御しているように見えます。京王線に限らず昭和30、40年代頃は踏切でダンプと電車が衝突する事故が絶えませんでしたが、この架線柱はあまりに踏切に近いため、万が一の際に電力系統までダメージを受けるのを回避しようとしたのでしょうか?



その先にはとても狭い「調布4号」踏切があります。



踏切脇の畑の一角では軽トラの荷台で朝取り野菜を直売中。行きがけにはたくさん積まれていたナスや枝豆が、帰りに見たらほとんど売り切れてました。調布の農業、元気ですね。



線路脇の道路との境は古レールで組んだ柵で仕切られています。京王線ではおなじみの光景ですね。
ふむ、これは1970年製の50Nレールか・・・。期待したほど古くはない(^^;



このあたりはシールドトンネルなので地上の風景は普段どおりです。普通ならもうこの辺で地上に出てもよさそうですが、まだ先まで潜らなければならないのは前方にオーバーパスが見える鶴川街道の踏切を除去する必要があったからです。



鶴川街道は4車線で、うち2車線がオーバーパスとなり、片側1車線ずつの側道が「調布5号」踏切となっています。中央で分断されているため便宜的に調布方から順に「調布5-1号」「調布5-2号」の番号が付けられています。この写真は「調布5-号1」部分で、側道を通る車は数えるほどです。ここがシールドマシンの西側の折り返し点でした。



「調布5-2号」側から見たところ。9000系の高尾山口行き各停が通過していきます。このオーバーパスは2003年に供用されましたが、まだこのような連続立体化(地下化)には時間を要するとみた東京都が短期間で踏切渋滞を解消すべく実施したモデル事業で、技術提案した建設コンサルタント会社のHPによれば躯体の施工期間はわずか10ヶ月だったそうです。当時はまだ京王線は高架になるか地下になるかは決まっていなかったと思いますが、いずれにせよ将来の撤去を見据えた構造(特に基礎など)になっているものと思われます。



同じく「調布5-2」を南側から。この写真ではガラガラですが、オーバーパスが渋滞する時はこちらの側道にもだいぶクルマが流れ込むようです。



先述のようにシールドトンネルはこの鶴川街道の下までで、ここからやっと地上へ顔を出す準備区間に入ります。
木製の作業用足場が敷き詰められているのでつい足が向かいそうになります「立入禁止」ですぞ。



この区間しばらく踏切はなく、次の「調布11号」踏切のところで地下線がちょうど顔を出す計画です。
その「調布11号」から調布方を見たところです。電車3両分くらいにわたって門型の鉄骨が組まれています。これは国領駅東方のアプローチ区間には見られないものですが工法の違いによるもののようです。すなわち国領~柴崎間は並行して比較的広い道路があったため、線路を付け替える仮線方式でアプローチ部分を掘ることができましたが、こちらは両側がすぐ民地と接していてそのスペースが取れないため「直下地下工法」という工法で施工されるのだそうです。



仮設の軌道桁はワイヤーロープで吊るされています。いや、最初見たときは吊るされていると思ったのですが、昼間はどうも既に構築済みの擁壁の上に置かれているだけのようです。この写真ではわかりませんがロープがたるんでいるところがありましたから・・・(^^;



で、ロープの上の方は油圧ジャッキで引っ張られるようになっています。センターホールジャッキというらしく、中に通したロープがどうやって油圧で引っ張れるのか不思議でしたが、どうやら中には上下一対のチャック(つかみ手)が仕込まれていて、上でつかむ、引っ張り上げる、下でつかんだら上を離す、下に戻ってまたつかむ・・・という動作を繰り返すらしい。つまり両手で綱を引く動作を機械がやるわけですね。



18日深夜の新旧切り替え工事ではコイツをガーっと引っ張り上げて新線に移行するわけですね。
でも引っ張り上げた仮設軌道桁はその後どうするの?って話ですよね。下を電車が通過するなか、上げたまんま??

このテの話は突き詰めないと気が済まないもので..(^^;

調べたらSTRUM(ストラム)工法っていうんですって。土木屋のはしくれなのに知らないのかって言われそうですが(^^;
住宅密集市街地で一夜にして新旧線を入れ替えてしまうワザ。
ここは東急建設の施工になっていて、こうした直下地下或いは直上高架の工法は同社の得意分野とのこと。確かに最近施工された東横線や目黒線などの工事では一夜にして新旧線を交換する芸当を披露していますね。
詳しくはコチラを参照していただきたいのですが、要はフロのふたをパタパタ重ねて端っこにしまうイメージですか。そんな簡単なもんじゃないって?(^^;

いやあ、でもすごい技術ですね。これはぜひ切り替え日に見学しないと。


実際、沿線は住宅などが迫っていて寸分の余裕もありません。周りにお住まいの方は工事期間中、ずいぶん苦労されたと思いますが、まもなくそれも終わりますね。



お釈迦様の後ろでも粛々と工事が進行中。



塀のところにはなんと蝉の抜け殻。地下に入ってはこんな光景も見られなくなります。



そしてネギ畑の向こうを走るこんなのどかな風景も。



この日は作業関係者を集めて切り替え工事の事前説明会をやっているようでした。ここは事業区間の西端に当たる「調布12号」踏切で、この踏切自体は立体化されませんが、さきの「調布11号」踏切がアプローチ区間で分断されてしまうため、線路両脇に迂回のための側道を新たに整備し、あわせてこの12号踏切も拡幅整備するということのようです。



「調布12号」踏切から工事区間を見たところ。写真の中央付近から下り勾配が始まります。こうして見ると門型の構造物の手前がややカーブに差し掛かっています。東急の不動前駅付近の工事を紹介した論文だったか?には「STRUM工法は直線区間以外で実施したことがなく曲線区間への応用が課題」とありましたので、その後の施工例がなければ今回が初挑戦ということになるでしょう。



ということで無事、京王本線の事業区間の西端まで来ました。
最後にこの周辺で見つけた「いいね!」的物件を2題ほどご紹介します。

ひとつめがこちら。何号か忘れましたが上の12号踏切の次の踏切。ちょっと狭めなのをのぞけば何の変哲もないように見えますが、2つの警告灯のカバーに注目! ドライバンの荷台で削られないように?あらかじめカットしてあります。そういえばATC化される前の京王線の出発信号機にも建築限界に入らないように半分カットされたのがあったように記憶。電車も道路も狭いんだ、この沿線...



ふたつめはこちら。見つけました汽車ぽっぽ標識(^_^v
たしか下石原1丁目あたり。源正寺の西側の路地だったかと思います。



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