こんばんは。
3週間ほど前にUPした「1980年夏の記録」の続編です。友人と九州へ2人旅したときのようすを振り返ります。
前回は夜行急行「雲仙・西海」で福岡に降り立ち、天神で西鉄電車を眺めたところまでをご紹介しました。1980年(昭和55年)8月27日のことです。
天神からは西鉄特急に乗り大牟田へ向かったようです。途中の写真はありませんが、確か久留米で途中下車をしているはずです。その年の春に華々しくデビューした松田聖子に傾倒していた私は、彼女の出身地である久留米がどんなまちなのか純粋に知りたくて、ただ駅周辺をうろついたように記憶しています。
次の写真は終点の西鉄大牟田駅から始まっています。乗ってきたであろう2000形。方向幕はすでに「福岡」になっています。ローレル賞を受賞したイエローカラーの特急車は当時デビュー6年目で、天神・大牟田線の看板列車として大活躍していました。
国鉄大牟田駅側から撮った西鉄電車。奥に2000形、手前は旧特急車の1000形と思われます。
大牟田からは鹿児島本線で熊本へ向かっていました。これが乗ってきた列車か定かではありませんが、熊本駅2番線で発車待ちする西鹿児島行き急行「かいもん3号」。形式番号はモハ456-10と読めます。昼行の電車急行「かいもん」はこの年の10月に特急「有明」に昇格しているので、その最末期の状況をとらえた写真といえます。
同じく熊本駅に停車中の急行「えびの3号」。キハ58700以下、キハ65やキロ28を含む5連です。カラカラアイドリング音が今にも聞こえてきそうですね。これからこれに乗車し、肥薩線経由で“矢岳越え”に挑むようです。
古い木造駅舎、そして奇麗に手入れされた花壇のある未舗装ホーム。写真の裏には矢岳駅と書かれています。駅舎寄りホームにはDD51が牽引する旧型客車。全国どこでも見られたのどかな交換風景です。
そして列車は吉松に到着。ここからは快速「やたけ」で西鹿児島を目指したようです。吉松駅2番線に停車中のキハ282025ほか2連の快速「やたけ」。左手には貨物ホームと黒い無蓋貨車が見えます。空撮写真で見ると、現在このあたりは駐車場になってしまったようです。
日もだいぶ傾いて列車は鹿児島市内へ。どうやら終点の西鹿児島(現鹿児島中央)まで乗らずに鹿児島駅で降りたようです。鹿児島駅を通過するED76 58が牽引する貨物列車。タキ、コキ、ワム?・・・とバラエティ豊かな編成です。
市電の鹿児島駅前電停。談笑する運転士たちの後ろには発車待ちの500形。ヨーロッパのトラムを想わせる大きなパンタが印象的です。
そして市電に乗り市内中心部へ。場所は忘れましたが市内のどこかのホテルへチェックインし、2日ぶりに布団にくるまって寝たはずです。
次回は流線型気動車キハ07の私鉄版・キハ100形が最後の活躍をしていた鹿児島交通が登場します!
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3週間ほど前にUPした「1980年夏の記録」の続編です。友人と九州へ2人旅したときのようすを振り返ります。
前回は夜行急行「雲仙・西海」で福岡に降り立ち、天神で西鉄電車を眺めたところまでをご紹介しました。1980年(昭和55年)8月27日のことです。
天神からは西鉄特急に乗り大牟田へ向かったようです。途中の写真はありませんが、確か久留米で途中下車をしているはずです。その年の春に華々しくデビューした松田聖子に傾倒していた私は、彼女の出身地である久留米がどんなまちなのか純粋に知りたくて、ただ駅周辺をうろついたように記憶しています。
次の写真は終点の西鉄大牟田駅から始まっています。乗ってきたであろう2000形。方向幕はすでに「福岡」になっています。ローレル賞を受賞したイエローカラーの特急車は当時デビュー6年目で、天神・大牟田線の看板列車として大活躍していました。
国鉄大牟田駅側から撮った西鉄電車。奥に2000形、手前は旧特急車の1000形と思われます。
大牟田からは鹿児島本線で熊本へ向かっていました。これが乗ってきた列車か定かではありませんが、熊本駅2番線で発車待ちする西鹿児島行き急行「かいもん3号」。形式番号はモハ456-10と読めます。昼行の電車急行「かいもん」はこの年の10月に特急「有明」に昇格しているので、その最末期の状況をとらえた写真といえます。
同じく熊本駅に停車中の急行「えびの3号」。キハ58700以下、キハ65やキロ28を含む5連です。カラカラアイドリング音が今にも聞こえてきそうですね。これからこれに乗車し、肥薩線経由で“矢岳越え”に挑むようです。
古い木造駅舎、そして奇麗に手入れされた花壇のある未舗装ホーム。写真の裏には矢岳駅と書かれています。駅舎寄りホームにはDD51が牽引する旧型客車。全国どこでも見られたのどかな交換風景です。
そして列車は吉松に到着。ここからは快速「やたけ」で西鹿児島を目指したようです。吉松駅2番線に停車中のキハ282025ほか2連の快速「やたけ」。左手には貨物ホームと黒い無蓋貨車が見えます。空撮写真で見ると、現在このあたりは駐車場になってしまったようです。
日もだいぶ傾いて列車は鹿児島市内へ。どうやら終点の西鹿児島(現鹿児島中央)まで乗らずに鹿児島駅で降りたようです。鹿児島駅を通過するED76 58が牽引する貨物列車。タキ、コキ、ワム?・・・とバラエティ豊かな編成です。
市電の鹿児島駅前電停。談笑する運転士たちの後ろには発車待ちの500形。ヨーロッパのトラムを想わせる大きなパンタが印象的です。
そして市電に乗り市内中心部へ。場所は忘れましたが市内のどこかのホテルへチェックインし、2日ぶりに布団にくるまって寝たはずです。
次回は流線型気動車キハ07の私鉄版・キハ100形が最後の活躍をしていた鹿児島交通が登場します!
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(他の46都道府県もほとんどは私的な旅行ではなく、仕事で行った、通過したというだけでカウントしてますが)
記事中に記載がありますが、国鉄の写真は、ホントに全国どこでも見られた光景ですね。地方色が無いと言ってしまえばそれまでですが、同じ光景ということでの安心感があったように思います。
今で言えば、コンビニやファミレスのある光景ということですかね?でも、それはちょっと違うよなあ。
コンビニ・ファミレスは店内のレイアウトが似てて安心しますね。(笑)
行ってました9月に、55.10改正で廃止になる列車に乗りに^^。
「富士」(宮崎行に短縮)で西鹿児島へ、南九州6線区を乗り歩き、「おおよど」に乗り「えびの」で矢岳越え、「雲仙・西海」と同様に廃止となる「阿蘇・くにさき」で帰ってきてました。
メモに「当時流行の国鉄完乗を目指し10000キロ突破」ありました。
懐かしい^^
同じ年の翌月に旅行されてたんですか!偶然ですね(^^)
「阿蘇・くにさき」も懐かしいですね♪
天気はいかがでした?次の投稿で出てくるんですが、僕らが旅した期間中はほぼ毎日雨。しかも台風に前線が刺激されたのか、ものすごい豪雨に見舞われ続けのだけはよく覚えています。
チャレンジ2万キロはその後達成されたのでしょうか?(^^)
台風にも合わず穏やかだったようです(写真を見る限り)
2万キロ>
1983.6に只見線で12000キロの記録があるんですがその後は・・・
興味が地方私鉄に移っていて出かけている割に記録がないです。・・そんな中、JR化で無意味に^^;
その3を楽しみにしています。
>そんな中、JR化で無意味に^^;
そのJRも新幹線が開業するたびに在来線が削られていく時代に。。
>その3を楽しみにしています。
鹿児島後編を今日UPします!