イリスの色いろのお話

イリスのエレガンス★コミュニケーション blog
色彩・着物・ファッション・アート

SAYURIをみて思う、旦那の必要性

2006-01-02 19:39:53 | Weblog
新春映画鑑賞は『SAYURI』。予告を見た時は、「なぜ日本の芸者なのに中国人?これが芸者の踊り?」など、意外に思うところもあったけれど、実際観ると、一切、そのようなものは感じませんでした。
芸者、という特殊な世界を通じて、でもメッセージは、人の生き方、愛、なのでした。
貧しくて置屋に売られた身寄りのない少女が、絶望の中で、ある紳士と出会い、希望を見いだす。それだけもいい物語じゃないですか!誰でも、視点が変われば、苦しい現状から抜け出すチャンスはあるのかもしれないと、思わせます。
でも、単なるシンデレラストーリーで片付けられないのは、芸者の世界であったこと。厳しいおかみさんや先輩、仲間の嫉妬や裏切りなども描かれます。苦労なくして成功はなし。そのときいる環境に応じて、最大限できることにチャレンジする強さが必要だということも伝わってきます。
そして、思いがけないことから少女は一流の芸者として仕込まれることになります。最後になぜ、女中の少女が芸者として磨かれるチャンスを得たのか、謎解きがあります。ここで私は、「源氏物語」の若紫や「愛しのサブリナ」、「プリティ・ウーマン」を連想しました。いつの時代も女は男によって磨かれる。女性は憧れの男性に認められることが目標になり、できる男は、相手を「所有する」のではなくて、理想の女性に「育てる」のですね。

ところで、置屋の「おかあさん」と、「旦那」は、そのまま日本語でした。英訳すると、本来の意味がなくなるからでしょうか。日本は1億総中流社会になった時、本来の「旦那」はいなくなりました。「旦那」が育てるのは女性だけではありません。文化や芸術、まちづくりにも、やはり「旦那」が必要です。
世の男性諸君に、旦那的発想を求めます!でも、もしかしたら、これからは女性が自ら「旦那」になっちゃう!のかもしれませんね・・・