気が向いたとき感じたままに

皆さんの文章を読ませて戴くのは楽しいのですが、気が向いた時には自分でも・・・と思い

ご飯

2007-08-12 06:26:44 | Weblog
食事に関する私の1番の拘りは“ご飯”である。
保温してあったものはパサパサした感じになって戴けない。電子レンジでチンしたものは、“時間が経ってしまったご飯”の食べ方としては1番かもしれないが、いまいち気が進まない。丼もの等で、幾ら具が新鮮で味付けが良くても、下の“ご飯”によっては台無しになってしまう。
そこで、贅沢と言われるが、ご飯の場合は毎回炊きたてを食べることになる。硬くなく軟らかくなく炊けた、出来たてのご飯は本当に旨い。炊き上がりを待っていて食べるのが最高だ。だから外で食事をしても、“ご飯”だけは、わが家のより旨いのには滅多に出会えない。
一般に飲む席では“ご飯”が出るのは最後だ。だが私は、飲みながらも“飯”をツマミにしたくなる。ましてや旨い刺身のときなどは尚更で、邪道と言われながらも注文してしまうことがある。有難いことに、普段の行いがいいのかタイミングがいいのか判らぬが、美味しいご飯に当たることが多い。

外食

2007-08-11 05:50:44 | Weblog
急に蕎麦を食いたくなった。それも旨い田舎蕎麦を。
家の近所にも旨い蕎麦屋はあるが、香りのいい適度の歯応えのある田舎蕎麦は食べられない。私が1番気に入っている蕎麦は、女房の実家がある茨城県で食べられるが、そんなに遠くまでは行かれない。
普段外食をするのは精々市内の飲食店である。だが昨日はどうしてもその蕎麦を食べたくて、1時間ほど掛けて、麻布十番にあるお気に入りの「更科堀井」まで出かけた。
私はこれまで、会食等は別にして、“食事だけの目的で”わざわざ電車に乗って東京まで出向いたことはなかった。だが、今後は、どうせ外食をするのなら面倒がらず、食後の満足感を優先させるようにしたいと思った。少し位は遠くまで足を延ばそうと思う。
外食は間に合わせのものではない。家では食べられないものやプロだからこそ出せる味、そうした「やはり旨い!」と思えるものを食べたい。
私が嫌いなのは、「作るのが面倒だから・・・、何か外で済まそう!」という言葉だ。

映画「怪談」

2007-08-10 05:47:15 | Weblog
家の中で為すこともなくぼんやりしていても仕方がない。
夏でもあり、三遊亭円朝による古典落語の傑作「真景累ヶ淵」を映画化した「怪談」を観てきた。この話には昔から親しんでいたので、特別に恐怖感を味わうことはなかったが、一応の満足は得られた。
中田監督は「“得体の知れない”恐怖ではなく、よく見知った、“得体の知れた”怖さ・情念を描いた」と言っているが、正にそんな感じを受けた映画だった。
主演の黒木瞳を始めとする5人の女優が尾上菊之助に絡む“ラブ・ホラー”で、時々ゾクッとする愛のドラマといえる。
それにしても女の執念は恐ろしい。尤も、それほど惚れられない男には関係ないだろうが。

努力?

2007-08-09 06:22:39 | Weblog
昨日のテレビで“フラッシュ暗算”東京大会1位の少女を見た。
いま流行のゲームらしい。2秒間隔程度で次々とディスプレーに表示される3桁の数字を暗算で足していく。全部で10回位足すのだが、結果は見事正解だった。その後更に、会話をしながら或いは歌を歌いながらその暗算をやってのけた。この子は特殊な子だ、天才なのだと私は思った。
だが、その後のアナウンサーの言葉にが気になった。「でもこれは、脳を使い分けて訓練すれば誰でもできることなのです。母親もお兄さんもお姉さんも立派な成績を上げています」
事実、家族は“日本一”、“全国2位”、“全国2位”に輝いているという。塾へ通い努力した結果だと思う。だが同じ塾で学んだ他の人の成績はどうだったのだろうか? また全国で同じような努力をした人は大勢いたと思うのだが・・・。
勿論、私は努力を否定するものではないし、努力する人を尊敬する。だが、やはり他人の上を行く基は、持って生まれた才能だと思うのだ。私の考えは間違っているだろうか?

立ち小便

2007-08-08 05:37:09 | Weblog
先日のNHKラジオでTOTO職員から聞いた話を発展させて・・・。
≪川柳、「小便をすわってしろと女衒(ぜげん)いひ」
女衒:田舎娘を買い・さらい、江戸の遊郭などに斡旋する業者≫
江戸時代、京都の女性が立ち小便をするのは一般的習慣であったようだし、農村部に行けば、女性の立ち小便はもっと当たり前のことであったそうだ。エジプトでは現代でも地域によっては立位が女性の標準スタイルのなのだそうだ。
1964年開催の、東京オリンピックの競技会場として建設された国立競技場、ここのトイレには、世界各国からやってくる女性選手のために、立ち小便器が設置されているということである。尤も、現在では使用されていないそうだが。
日本では、この「女性用立ち小便器」は1951年にTOTOから「サニスタンド」の名称で発売されたが20年後の1971年には生産中止になったという。その形状は? 使用方法は? 男性とは逆向きで、膝は曲げず大きく前に屈むのだそうだ。

「1円以上」

2007-08-07 05:31:41 | Weblog
安倍首相の指示に基づき、政治資金規正法の再改正案が執行部から出された。その内容は、総ての政治団体を対象にして領収書添付の義務付けを「1円以上」に変更するというものだ。しかし、党内からは反対意見が相次ぎ、結論は内閣改造以後に先送りされることとなったという。
反対理由は、「慶弔費で領収書をくれ、とは言いにくい」「切符はどうするのか」「飲み物は……」等だそうだが、それらは、税務調査のある一般企業では総てクリアーしている。
政治団体が“慶弔費”を支出するのは如何なる場合だろうか? 従来団体から支出していたものも、本来なら個人で出すべきケースではないのか? 国会議員は無料パスがあるのではないか? Suicaを買う場合もレシートは手に入る。飲み物? 個人的に飲む場合はポケットから出すのが当然で、会合等で大量に必要な場合は、黙っていても先方から領収書をよこすだろう。 
現在の物価事情から見て “1円の取引”など実際にはない。「1円以上」には“総てをガラス張りに”との意味が込められている。ぐずぐずしているとまた民主党に差をつけられる。

8月6日:広島原爆の日

2007-08-06 05:31:24 | Weblog
以下は、62年前、広島市の練兵場で被爆した森岡敏之さんの言葉である。
「人はみは、身に付けていたものを総て剥ぎ取られ、まるで蛙の皮を向いたようになって息絶えていた。そこにも向こうにも、黒焦げになった人間が転がっている。回りは、ところかまわず燃えている。人間も燃えている」
「のどの渇きに耐えられないのだろう。「水!水!」とせがむ人のこ声が俺の体にまとわりつく。まるで地獄からのうめき声のようだった」
「近くの破れた水道管から噴出す水で頭を洗い、タオルで頬被りをした俺は、ジリジリと焼け付く熱さと水をせがむ声にたまりかね、前の蓮池に飛び込んだ。そこも地獄だった。次々に人が飛び込んできて、次々と息絶えていった」
また、次の一節は、その夫を介護した夫人“まさ子”さんの言葉だである。
「頭は20センチも割れ、タオルが真っ赤に染まっている。耳は半分ちぎれて垂れ下がり、右腕には5寸釘が刺さっていた。背中にはガラスの破片が蜂の巣のように刺さっていた。
夫を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。生きていてくれ喜びを失う程のものだった」

学歴詐称

2007-08-04 05:48:28 | Weblog
高等専門学校・短大・大学卒業生の学歴詐称が問題になっている。
この度表面化した大阪市や横浜市の例によると、資源循環局のごみ収集員をはじめ、市立学校の給食調理員・用務員、市営バスの運転手、水道局のメーター検針員などの受験資格は、「義務教育修了者、ただし高等専門学校や短大、大学卒は不可」と規定されているにも拘らず、それら高学歴の卒業生が最終学歴を高校卒業と“詐称”して受験し、就職していたのだ。
横浜市では、これまでに自己申告した職員の詐称が確認された場合、停職1カ月の懲戒処分にするそうだ。また今後、「懲戒処分の標準例」に学歴詐称の項目を新設し、新たに発覚した場合は、原則として懲戒免職にするという。
確かに、規則に反し受験し、学歴が高校卒業以下の人たちが就職する機会を奪ったともいえるが、彼らとて好き好んでランクを下げたわけでもないだろう。同じ学歴詐称といっても、卒業してもいない外国の大学名を、国政選挙の選挙公報に記すような“悪質さ”は感じられない。複雑な思いが残る。

「好きこそ物の上手なれ」

2007-08-03 06:20:37 | Weblog
数ある諺の中で誰でもが知っている「好きこそ物の上手なれ」
この言葉の意味は、「好きなればこそ、飽きずに努力するから、遂にその道の上手となる」ということである。これを少し発展させて解釈すれば、「好きでないことは上手になれない」更には「下手なことは好きになれない」となるだろう。
正にその通りで、私の場合はスポーツ・習字・絵画・音楽関係等の総ての点で当てはまり、本当に残念だが、それらのものには臆病になり引いてしまう。
ところで、多くの諺にはまるで逆の意味を表す諺が存在する。今回の例でいえば「下手の横好き」だ。私に該当するものを挙げると、“株”と“女性”である。
私が無類の女好きというわけではないが、女性に対する関心は世の男性の標準には達していると思っている。だが情けないことに声をかけてその先に発展させられない。要するに下手なのだ。その結果は僅かに女房が1人だけ!
尤も、女性にだけでなく男性に対しても親しい人間関係を作り上げるのが苦手なのだから、それも当然だろう。異性との関係も、所詮は人間関係なのだから。

朝青龍の処分

2007-08-02 07:49:34 | Weblog
朝青龍に対し、相撲協会から厳しい処分が下された。
これまでも朝青龍に関しては、横綱として首を傾げるような行動がしばしばあった。だが親方や相撲協会は、1人横綱の機嫌を損ねてはと考えたのか、当然行なうべき教育・指導をおろそかにしてきた。今回の問題も従来の流れからすれば、起こるべくして起こったといえなくもない。
今回は、横綱審議委員会から厳罰を申し入れられていた相撲協会が、“2場所出場停止”と“減俸処分”を言い渡した。事実上の引退勧告と見ている人もいる。散々放任し続けられていた朝青龍にしてみれば「何で急にこんなことに!」との思いもあるだろう。だがその処分に対し素直に反省しなければならない。本人もこれを真摯に受け止めると言っている。今後また横綱らしからぬ態度を取るようなことがあれば、その時は除名であろう。
朝青龍は確かに強い。強い横綱が土俵から去るのは寂しい。だが何の世界も同じで、「俺がいなければ・・・」と思っている人間がいなくなっても、必ず、代わりの人間は出てくる。

五木寛之の本名

2007-08-01 06:57:59 | Weblog
作家五木寛之には複数のペンネームがある。
彼に関しては五木寛之、松延寛之、のぶひろし、立原岬の名があるが、どれが本名かご存知だろうか? そのことについて本人は次のように語っている。
≪私の五木という姓をペンネームだと思っている人が少なくないが、これは戸籍上の本名である。有名な出版社や、全国紙が出している情報のなかには、私の項目に「本名・松延寛之」と出ているものが少なくない。正しくは「旧姓・松延」とすべきだろう。私がそれをほったらかしにしてきたのは、いわゆる情報というやつがいかに適当なものであるかを言いたいからである。もっとも半分くらいは生来のいたずら癖のせいだ。立派な辞典や、データベースのアラを探してほくそえむのが老後の楽しみなのである。
つれあいの親戚に、品のいい老婦人がいらした。「わたしが死ぬと、五木という姓が絶えることになるのが淋しゅうてー」と、心細げに金沢弁でおっしゃる。「なんなら私ども夫婦でその名前を引きつぎましょうか」ということで、五木姓に鞍がえしたのだ。≫
尚、「のぶひろし」「立原岬」はCMソングやは歌謡曲でのペンネームである。