地球散歩♪

いもとなおこのBLOG

モザンビークの楽園編。

久々に日本に帰ってきて思うこと

2005年03月09日 | Weblog
寒いっ!
このあいだ雪が降った時、真剣に感動してしまった
最近ちょっとずつあったかくなってきたけどね

建物が高い

インターネットが速い

テレビ番組がくだらない
まぁナイジェリアのドラマほどではないけど…
(よく言葉で説明できない)
みんなホリエモンが好きなのね

時間に正確すぎる
地下鉄など、3分くらい遅れただけでそんなに誤らんでよろし
しかし染みついてしまったアフリカ時計を早く戻さないとね

女の子が綺麗 おしゃれ 痩せている
でも携帯いじりすぎ
肌の露出は少ないのね
気をつけよう…

生きることがすごく簡単なこの国で
日本人は何のために生きているんだろう?



シエラレオネだより2

2005年03月09日 | sierra leone
2004年10月の日記

まず、この間の飛行機の話の続き。
ある日、新聞を見ていたら、驚嘆の記事が!
「立ち往生の乗客200人がガーナ航空事務所を襲う」

ついに犠牲者は立ち上がりました。そりゃそうだ。2週間以上も飛行機が飛ばないのに、宿泊費等のなんの賠償もないどころか、ろくな情報もないのだから…。

でも彼らには悪いけど笑っちゃう!
「怒った客はガーナ航空の職員を数分間オフィスに軟禁した」だって。
あまりにもオモロイ記事なので、大切にスクラップしておきました。

さて、シエラレオネ。
私は現在、国際協力機構(JICA)で、3ヶ月という短期ですが、シエラレオネの調査・プロジェクト企画・立案といったお仕事をしています。

なぜシエラレオネ?
それは自分でもよくわかりません(笑)
10年間内戦してたから?
大学院で勉強したから?
世界一貧しい国のひとつと言われているから?
とにかくずっとシエラレオネで仕事がしたかった。
直感に従って、ここまで来てしまいました…

首都フリータウンに降り立つと、両手を切り落とされた少年たちが迎えてくれました。
いきなり目の当たりにする、戦争の傷跡。
戦争終結から2年半経った今も、街はぼろぼろ。ガーナが先進国に見えた。
道という道がぼこぼこ。
電気も微々たるものしか通ってなくて、夜はほぼ国全体が自家用発電機(ジェネレーター)かケロシン・ランプで明るさを保っている。
機能している信号は国中にひとつもない。

平均的なシエラレオネ人は、40歳まで生きられない。
100人に28人の赤ちゃんは5歳まで生きられない。

戦時中、RUF(反乱軍)は罪のない住民の四肢を切断するという残虐な手を使いました。
それは人々に恐怖を与えるだけでなく、一度味方に加わった者が再び農業のために戻らないようにとか、選挙をボイコットさせようとか、いろいろな意味があったらしいけど。
フリータウンには Amputee(切断された人)キャンプなんていうのもある!
社会福祉とは言え、そうやってデカデカと看板立てなくてもいいのにね。

少しカルチャーショックだったんですけど、みんな平気で「この子たちはRUF兵士によるレイプ被害者です」とか、「この子は元兵士です」とか、私に紹介してくれるのです。
そのたびに、「シーッ!聞こえるよ!」とあたふたしているのは私だけみたい。

内戦終盤、反乱軍RUFの基盤であったマケニという町で不思議な光景を見た。ぴかぴかのバイク(しかもHONDA)がやたらと多いのだ。こんなに貧しい国に新しいバイクなんて、何故?
聞くと、戦時中、反乱軍に参加すると、バイクが与えられたのだそうだ。
今ではその元兵士たちは、そのバイクを使ってタクシーの運ちゃんとなっている。
元兵士のバイクタクシーなんて、利用できるかしら。背中になんてつかまれるかしら!
そんな私に知り合いが笑った。
「今では元兵士もみんな、普通の若者なんだよ。身内を殺されたって、もう昔のことは忘れて、共存するしかないんだよ」

10代の女の子たちが、両親を殺されて、レイプされて、子どもができても、皆黙々と職業訓練校で識字やお裁縫を習っています。
こういう子たちは、どんな体験をしてきて、今はどんな想いで人生を送っているんだろう。
もうちょっと仲良くなったら、自然に話してくれるかなぁ。
そう思っていたら、ある人が言いました。
「この子たちは、過去を振り返らない。過去がない、未来もない、moment、momentを生きる人たち」

シエラの海は、今までに見たことがないくらい綺麗。
そんな海を見ていると、切なくなる今日この頃です。

まずは過去の日記を掲載。

2005年03月09日 | sierra leone
2004年9月

シエラレオネだより①

ご無沙汰しております。みなさま、お元気ですか?
シエラレオネという国にいます。聞いたことありますか?
西アフリカにある、世界で一番貧しいと言われている国です。(「貧しさ」をどうやって量るか、というと議論が長くなります)

シエラレオネでは11年間、それはそれは残酷な内戦をドンパチやっていました。2001年に終わって今は平和が訪れてようとしています。

今回はそんなシエラレオネのお話をいろいろとしたかったのですが、それよりもガーナへの帰路の旅が凄まじかったのでそちらに焦点を当てることにします。

私は2週間の滞在を終え、火曜日にガーナへ帰ることになっていました(拠点はガーナです)。しかし飛行機は前週金曜日から「エンジン・トラブル」で飛んでいなかった。不安になったけど、絶対自分の日は飛ぶのだ!と楽観していたおめでたい私でした。

月曜日、翌日の私の便が運航しないことが告げられました。やれやれ。では水曜日は飛ぶのかしら。

水曜日。13時発の飛行機を目指して、空港へ。空港行きの船は1時間半遅れたけど、こんなこともあろうかと早めに出ておいた。
途上国では気を長く持たないとやっていけません。
空港に着くと、チップ目当ての従業員がまとわりつく。
「自分でできるからほっといて」と冷たく一蹴。しつこい人が多いので現地人についつい冷たくなってしまう、そんな自分が嫌だ。
空港内のカフェで待つ。出発はどうせ遅くなるから、と持参のPCを開いて報告書なんて書いてしまう真面目な私。

15時。まぁ2時間遅れなんてよくあること。昼食がまだだったからサンドウィッチなどオーダーしてみる。
場内アナウンスが16時出発と告げる。でも信用してはいけないわ。きっともっと遅れるはず。

18時。案の定、まったく動く気配なし。報告書はすでに書き終えてしまった。
「今だけを生きる」、のんびり屋の私が少し先を考えるようになってきた。
今日はマジで飛ばないかも…。
もう首都のフリータウンに帰る交通手段は遮断されてしまった。こうなったら空港近くのホテルを確保しておかなければ…。

20時。とうとう搭乗手続き!わーい!このままだと夜遅くてもアクラ(ガーナ)には着く。やれやれ。
デブの金持ちアフリカ人の合間を縫って席に着く。
アフリカの飛行機ではよくあることだが、飛行機の岐路は直行ではない。いろんなところに寄りながら自分の目的で降りる。バスみたい。
前から乗っていた隣のおじさんはビル・クリントン元大統領の分厚い自伝を大事そうに読んでいるつまらない奴だ。だけどちょっと声をかけてやるか。

「どこから乗っているの?」
「アクラだよ」
へ?それって私の目的地です。
「え、この飛行機、これからどこに行くの?」
「バンジュール(ガンビア)、ダカール(セネガル)、コナクリ(ギニア)だよ」

はあああああ???
つまり、ガーナ行きが飛ばなくなった代わりに、これら3都市行きの便に私たちを詰め込み、最後にちょっと足を伸ばそうという魂胆だったのです。やれやれ、これじゃ着くのは朝か…。

1時間でガンビアの首都バンジュールに着いた。まさかガンビアに降り立つことになるとは。何人かの乗客が降りて、残された私たちは機内で次の目的地ダカールへの出発を待つ。

1時間ほど待ったところで機内アナウンスがあった。
「この機体は都合により離陸不可能になりました。手荷物を持って降りて下さい」。

はああああああああ???
よくわけがわからないまま、他の乗客と一緒にぞろぞろと空港に下り立つ。
「飛行機が飛ばないってことは、今日はどこに泊まるの?」
「ホテルに連れていってくれるらしいよ」。

大した説明もないまま、私たちはバンジュール市内に向かいました。
ガンビアというのは実はヨーロッパ人に人気の観光地なんです。
ホテルに向かう途中の家々があまりにも立派で驚きました。
こんなに発展したアフリカの国は見たことない…。

ホテルは超豪華。4ツ星くらい。まぁこれならちょっと許してやろうかな。
それにしても相変わらず情報はなさすぎです。
「明日の飛行機は何時に飛ぶの?」
「また明朝、連絡します。」
「はっきりしなさいよっ!」
とブーブー文句をいいながらも、皆、昼から何も食べていないので(機内食も出なかった)空腹で弱っていた私。すでに深夜0時。
「どこかに食べるところはないの?ルームサービスは?」
「もうサービスは終わっています」。
皆の怒りは爆発して廊下で騒いでいたけど、私は空腹で力も出ず、不貞寝することにした。

翌朝。朝食バイキングを皆でガツガツと食べる。
人間は空腹だとこうも行儀が悪くなるのか。
西アフリカの果物はものすごく甘くておいしい。
ガンビアでもマンゴ、パパイヤがサイコー。

ガーナ航空の担当者は料金を課されないようにチェックアウトの時間には私たちをホテルから出した。こういう時だけ素早い。

空港で待つこと4時間。ようやくガンビアを出た。
セネガル、ギニアを経由してアクラに戻ったのは22時。

アフリカ人は、飛行機が目的地に降り立つと拍手するクセがあるのです。
私はいつもはそんな彼らを見て、「飛行機なんて滅多に落ちないんだよ。ちゃんと着くんだからいちいち騒ぐなー」と馬鹿にしていましたが、今回の着陸で真っ先に拍手したのは、私でした。

そして「もうガーナ航空は一生利用しない」と心に誓うのでした。

今は東京です。

2005年03月09日 | Weblog
ブロガーになっちゃった!

数週間前にアフリカから帰ってきました
もっといろいろ書いておけばよかったなーと今さら後悔
でも忙しかったし、
もう書けなくなっちゃったと思ってた
書く「細胞」が動かなくなっちゃったよ~って

でも帰国してからまたNumberからお仕事頂いて
書けない!!と思ったけど、また挑戦してみた
そしてやっぱり私は書くのが好きなんだなーと実感しました

だからこれから、続けたいと思います
アフリカのこと いろいろ書き留めておきたいしね

でももうアフリカに行かなかったりして・・・