ドナウ川の白い雲

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能登半島の最北端の岬へ … 能登半島バスの旅 ( 1/2 )

2018年11月05日 | 国内旅行…能登半島の旅

  ( 能登半島の最北端の禄剛崎灯台 )

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 10月24~26日。能登半島をめぐるツアーに参加した。ツアーのサブタイトルに「奥能登7景」とある。

   ちなみに能登半島は、その先端から根元に向けて、「奥能登」、「中能登」、「口能登」と呼ばれてきた。

 ただ、地図の上だけでは、どこまでを能登半島の根元とするか、難しい。「能登国」は「加賀国」とともに、今は石川県だが、地図上、能登半島の東側の根元と言っていい氷見市、高岡市は、旧国名で「越中国」、今、富山県に入る。 

 奥能登7景のうち、能登半島の最北端の禄剛崎灯台は、かねてからぜひ行ってみたかった。岬と灯台は私の旅のテーマの一つだ。「禄剛」は、ロッコウと読む。ちょっと読めない。

 今回のツアーコースに入っている雨晴(アマハラシ)海岸は、富山湾越しに立山連峰が見える名勝の地である。ここもかねてから行きたかった所だが、先ほど述べた富山県側だから、実は「奥能登」でも、能登国でもない。それでもツアーのコースに入っているのは、参加者を増やすためだろう。

 もっとも、立山連峰が雪を冠して青空に映えるのは5月ぐらいまでだろうから、今回、絶景は期待できない。

 もう一つ、これも奥能登ではないが、能登の国の一の宮である気多大社に参拝したいとかねてから思っていた。JR羽咋(ハクイ)駅から、歩いていくには少し遠いという距離にある。古代、この地方の国司として赴任した大伴家持も参拝したはずだ。能登国に入る以上は、まずここを参拝しなければならない。しかし、残念ながらこのツアーのバスは、気多大社の横を2度も通りながら素通りした。案内のアナウンスさえない。能登国で最も古い歴史と文化を伝え、今も生きる文化遺産だが、毎度のことながら旅行社と自分との価値観の相違は如何ともしがたい。自分で富山湾越しの冠雪の立山連峰を見に行く機会があれば、そのときにコースに入れよう。

 2泊3日のツアーだが、第1日目は大阪を昼前に出発し、金沢で各駅停車に乗り換えて羽咋へ。羽咋駅から迎えのパスに乗り、志賀町のホテルに夕方早く着いた。

 実際の観光は第2日目からである。

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 旅の始まりは七尾湾に沿って走る「のと鉄道」の旅。

 和倉温泉のある七尾市のあたりは古代から能登国の中心で、律令時代には国衙が置かれ、国分寺も建てられた。JR西日本が、金沢と七尾・和倉温泉の間を結んでいる。

 「のと鉄道」は、七尾駅からさらに北へ、穴水駅までの8駅を結ぶ鉄道である。その途中の「能登中島駅」までバスで行き、「穴水駅」までの25分間だけローカルな列車の旅を味わおうという趣向だ。料金の割には、少しずつ、いろいろと見学・体験させてくれるのが観光ツアーの特色で、こうして個人で行く旅との差別化を図っている。

 出発駅の「能登中島駅」は、和倉温泉に近く、乗降りする人もほとんど観光客だけののどかな駅だ。近くに知る人ぞ知る(私は知らなかったが)、「能登演劇堂」がある。駅舎には、今まで上演された仲代達也主演の演劇のポスターがたくさん貼られていた。地方に文化があることは良いことだ。

 

  ( 能登中島駅 )

 のどかな秋晴れのお天気の下、列車は七尾湾に沿って走る。沿線の駅には桜の木が多く、春に訪れたら楽しいだろう。

 車窓から見る民家の屋根は、能登瓦という光沢のある漆黒の瓦で葺かれていて、江戸時代、北前船による交易で豊かに潤っていた能登国の経済力がしのばれた。

  ( 七尾湾の車窓風景 )

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 穴水は、もう奥能登である。

 先回りして待っていたバスに乗って、七尾湾の北側の小高い丘にあるワイナリーを訪ねた。

 周りはブドウ畑で、ワイン工場のなかを見学して、無料でワインの試飲をした。

  ( ブドウ畑の中のテラスで )

 ここで造られるワインはほとんど石川県内で消費され、我々の口には入らないそうだ。

 我が家の近くにもブドウ畑が広がり、輸入もののワインに劣らないみずみずしさで、「河内ワイン」として知られているが、多分、全国に出回るほどの生産量はない。

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 バスはさらに北上して、能登湾にさしかかった。ここはもう能登半島の最先端の珠洲(スズ)市である。

 砂浜近くの林に停車すると、見附(ミツケ)島があった。

 写真で見たとき、こんなものをわざわざ見に行かなくても、と思ったが、近くから見るとそれなりに迫力があった。周囲400m。高さは28m。てっぺんには小さな社があるらしい。奥能登7景のうちの第3景。

 折しも干潮で、浜から島まで一筋の道ができていた。

  ( 見附島 )

 近くに看板が立っていて、伝説が紹介されていた。

 このツアーには現地ガイドが乗り込まず、添乗員は行く先々について説明らしい説明をしないから、面倒でも自分で勉強するしかない。

 弘法大師は唐で修業し、師の恵果からただ一人、宗派の伝承者と認められて、三杵(サンショ)を授けられた。帰国のとき、三杵を奪おうとする唐の僧たちに追われ、「我を待つべし」と三杵を東方の空に向かって投げた。

 帰国後、三杵を探し求めて佐渡から能登沖を船で通っていると、法華経を読む読経の声が聞こえてきて、その声に導かれ、この島に接岸した。そして、三杵の一つを見つけることができた。

 見附島(ミツケジマ)という名の由来である

   島までできた道を歩いてみた。ツアーの皆さんのなかにも挑戦する人がいたが、だれも暫く進んで、事の困難さを悟り、あきらめた。わが心にも、「やめておきなさい」と、弘法大師様の声。真言宗は我が家の宗派である。

 岩から岩へ跨ぎながら進まねばならない。時には濡れて滑る岩もある。思い思いに並ぶ岩だから、足元が不安定で、バランスをくずしてひっくり返ったら、岩角で怪我をする。島近くまでたどり着いていたのは、どうやら見知らぬこの若者二人だけ。かつてはたいして苦労せずできたことも、年とともに、いつの間にかできなくなる。

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 昼食は古民家でカニ丼をいただいた。この家の奥さんが料理されたそうだが、ご主人が挨拶に出てこられた。笑いをとりながら、スマートに話される。

 6代前から、北前船を経営していた。

 北前船は、近代に入るまで、日本列島各地の経済を動かす大動脈だった。「一航海で千両稼ぐ」と言われたが、千両は今のお金ではざっと1億円だ。

 「その時代に生まれていたらよかたのですが(笑)」とご主人。

 北前船は廃業され、お父さんの時代から珠洲(スズ)焼を始めた。

 北前船で全国に売られた能登の名産といえば輪島塗だが、珠洲焼も古代からの伝統産業である。ご主人は東京の大学を出て、東京でサラリーマンをしていたが、帰郷して焼き物を焼くようになった。風合いが備前焼に似ていて、備前焼ほど濃淡は出ず、全体に黒っぽい。

 最初、玄関から大部屋に入ったとたん、高い天井の下の巨大な神棚に圧倒された。

 なにしろ畳1帖分ぐらいはあり、注連縄が堂々としている。神棚は社の形になっていて、ちゃんと階段まで付いていた。その下に言葉を書いた紙を貼るのが習わしだそうだ。今は「瑞気集門」とある。

  ( 珠洲の神棚 )

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 さらにバスに乗って、いよいよ能登半島の最先端の珠洲岬だ。奥能登の第4景。

 このあたりの集落名は「狼煙」というらしい。いかにも奥能登らしい勇壮な響きがある。

 ツアーの日程表には「珠洲岬 … 日本三大パワースポットのひとつ『青の洞窟』と空中展望台『スカイバード』」とある。それで、イタリアのアマルフィ海岸やカプリ島の「青の洞窟」のような景観をイメージしたが、期待は裏切られた。

 空中展望台「スカイバード」とは、飛び込み競技の飛込板のように崖に突き出した橋状の施設で、もちろんしっかり手すりも付いてスリルはない。お金を出して数m進まなくても、手前の崖の上からの眺望で十分だ。

 ( よしが浦温泉「ランプの宿」 )

 崖の下には有名な「ランプの宿」が見えた。かつては廻船問屋だった。千石船も出入りしたそうだが、今は最高の立地を生かして、旅館業で大成功している。

 カプリ島の「青の洞窟」は、世界から集まってきた観光客が、小舟に乗り換えて海から洞窟の中に入っていくと、海水が驚くほど透き通ったブルーで、舟も空中に浮いているようだから、こう名付けられた。

 ここは、海水に浸食された自然の洞窟に横からトンネルを通して、観光客が歩いて入れるようにした人工的な施設だ。洞窟の中にいくつかの仏像が置かれ、洞窟全体を青色にライトアップしている。青色でライトアップして、「青の洞窟」と名付ける商魂のたくましさ。さらに、願い事を一つだけ唱えればかなうパワースポットだという。

 せっかくの奥能登に、こういうセンスのない観光施設をつくるのはやめてほしい。

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 少し先で、またバスを降り、徒歩で山の中へ入っていく。

   ( ススキの山道 )

 ひとしきり登って汗ばんだ頃、登り道が平らになり、草むらの向こうに期待の禄剛(ロッコウ)崎灯台が現れた。ここが能登半島の真の最北端。奥能登の第5景。

 環境庁・石川県の看板が立っていた。

 「ここは、能登半島の最北端で、ちょうど外浦と内浦との接点にあたるところです。『海から昇る朝日』と『海に沈む夕日』が同じ場所から眺めることができることで有名です。また、晴れた日には、立山連峰や佐渡ヶ島が見渡せます。

 この高台に建つ灯台は、明治16年にイギリスの技師が設計したものです。現在も禄剛崎のランドマークとして、この地の壮大なロマンを感じさせてくれます」。

 能登半島の形は、東にしなって傾いている。「内浦」というのは、半島の東側で、南に富山湾を抱え、懐に七尾湾があって、美しい景観を誇るおだやかな海だ。一方、「外浦」は、半島の西側の反りかえった方で、荒々しい日本海に直面している。

 かわいい灯台だ。だが、灯台の建つ崖が高く、48mの高所から海を照らす。「日本の灯台50選」の一つ。

 良く晴れて、雲も浮かび、野原の中の白亜の灯台は、のどかで気持ちが良い。ここに来たかった

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 午後の時間もおそくなり、太陽が傾いた能登の西海岸(外浦)に沿って南下する。海はおだやかだが、磯が続いて、日本海らしい風景だ。

 奥能登第6景「すず塩田村」に着いた。

 子どものころに、小学校の遠足で瀬戸内海の塩田の見学に行った記憶がある。

 このツアーは行く先々でサービスがあるが、ここでは蒸した塩味のジャガイモが配られた。塩味がなかなかの美味である。

 塩作りの過程を映した映像を見て、さらに外で説明を受けた。

   朝、砂の上に海水を均等に撒く。午後、塩分を含む砂を集めて、塩分の濃い海水を取り出す。

 海水を撒く作業の実演を見た。ねらった所に見事に散布され、見学している我々の足元にも撒かれるが、しぶきがかかることはない。朝ドラの『まれ』で田中泯がこの役を演じたそうだ。私は朝ドラは見ないが、そういえば、この人、どこか田中泯の雰囲気がある。

  ( 塩田の作業 )

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 バスは、今日の最後の見学地、「白米の千枚田」へ向かう。

 太陽の光が赤みを帯び、夕刻が近づいた。(次回に続く)

 

 


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