「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたのは、10年前の2004年である。
10年を記念して、題の「山の神・仏展…吉野、熊野、高野」展が開催されている。
「道」が世界遺産として登録されたのは、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼道に次いで2例目だそう。
その後、和歌山県は、スペインのガリシア州と姉妹「道」提携をした。
なつかしいサンチャゴ・デ・コンポステーラとガリシア州について、本ブログ「冬のサンチャゴ・デ・コンポステーラ紀行」の1及び2 (2013、1、17、19) をご覧ください。
世界遺産登録のおかげで、日本の秘境のような熊野の熊野本宮大社も、今では、西洋人の旅人を目にするようになった。
熊野本宮大社は、元は、熊野川の中州である大斎原(オオオユノハラ)にあった。そこは、今、大きな鳥居が立ち、春には桜が美しい。
( 大斎原の大鳥居 )
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特別展「山の神・仏 … 吉野・熊野・高野」は、大阪市立美術館で 6月1日まで開催。観覧料1400円はちょっと高いが、見ごたえはある。
吉野、熊野、高野の地域ごと、3つのコーナーに分けて展示されているので、先に2階に上がり、一番興味のある「熊野三山」から見学した。
予想していたとおり、ここにあるのは、神像や神めいた仏の像。
飛鳥・奈良・平安時代、或いは鎌倉時代の洗練された仏像彫刻は見慣れているが、熊野の像は、それらとは全く異質な世界である。
素朴で、明るい。清らかで人懐っこい。癒される。
日本の神々は、目に見えぬ神、見てはいけない神。仏教のように偶像化をしないし、偶像を拝まない。なのに、なぜ? なぜこのような造形をしたのだろう?
村の神様は、村人と共に今年の収穫を喜ぶ神様である。米を収穫すれば、村人と一緒に食い、米からできた酒を呑み、餅を食い、神楽を喜び、はたまた、酔って、笑いころげる。
そういう神様に対する素朴な親愛の情と崇敬の念が、思わず造形意欲をそそった … のに違いない。
それは神様と対話しながら制作された。
「神様って、こんな顔をしておられるのでは?」「体つきは、きっとこんな感じでしょう?」
神様は、目に見えない。だから、像には刻めない。人の顔や形に似せても、意味がない。
「でも、私の心のイメージとしては、こんな感じ。似ているかどうかではありませんよ。感じです。感じ」。
(村の神様)「ふーん…。まあ…、そういうことにしておこうか。悪くないね 」
たぶん、こんな感じで、神像はできたのだろう。
( 熊野の青岸渡寺の塔と那智の滝 )
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次は、「吉野・大峰」。吉野と言えば桜 …。それから後醍醐天皇。
( 吉野の桜 )
いえいえ、もともとそこは、大峰奥駈道があるように、日本一の修験道の場だった。
修験道の創始者は、役の小角(役の行者)。伝説上の人物である。小鬼を家来にし、峰から峰を駈けるように跳んだという。
自然のなかに神を見る古神道に、仏教の密教的要素が加わわった神仏習合思想だが、深山の中で激しい修業し、神秘的な力を得て、人々を助けたいという動機がある。
展示には、役の小角像が多い。怪異だ。面白い!! ちょっと怖くて、愛嬌がある。庶民のあこがれだ。
話は変わるが、以前、吉野の桜を見に行ったとき、桜を求めてふと、吉野水分神社という由緒ありげな神社に出くわした。桜の季節にもかかわらず、訪れる人はない。
見ると、社が古くなったのでぜひとも改築しなければならないと、募金のお願いしている。日本の文化を守りたいではありませんか それで、屋根を葺く萱の2、3枚にでもなればと、少額の寄付をした。
1年以上も後であったか、新装なったというお礼のお手紙をいただいた。
うれしかったですね。
美術館内は撮影禁止なので、我が家の近くの役の小角像を。
この像は、超人としての役の小角ではなく、人々を救済して旅する聖人としての役の小角像だ。
( 石仏の役の小角 )
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( 高野山 )
最後に「高野山」。
高野山・真言宗は我が家の宗旨である。
若き日の弘法大師は、奈良の大寺の経典を借りて1人で読破したりしたが、経典を読んでも心の満足が得られず、深山を走破したり、太平洋に対する洞窟に籠ったりして、修業した。太陽が昇り、また、沈む、自然界の営みの中に無我の真理をよみとろうとした。
唐から帰国し、密教の体系を構築するが、しかし、彼もまた、日本の古神道の上に、「世界」を構築したように、私には見える。
真言宗が大切にする大日如来には、太陽神のにおいがし、いかにも汎神論的だ。だから、日本人に受け入れられる。
その大日如来像も何点か展示されていたが、いずれも繊細な美しい仏像だった。