ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

「山の神・仏(カミ・ホトケ)…吉野、熊野,高野」展に行って

2014年05月14日 | 随想…文化

  「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたのは、10年前の2004年である。

 10年を記念して、題の「山の神・仏展…吉野、熊野、高野」展が開催されている。

 「道」が世界遺産として登録されたのは、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼道に次いで2例目だそう。

 その後、和歌山県は、スペインのガリシア州と姉妹「道」提携をした。 

 なつかしいサンチャゴ・デ・コンポステーラとガリシア州について、本ブログ「冬のサンチャゴ・デ・コンポステーラ紀行」の1及び2 (2013、1、17、19) をご覧ください。

 世界遺産登録のおかげで、日本の秘境のような熊野の熊野本宮大社も、今では、西洋人の旅人を目にするようになった。

 熊野本宮大社は、元は、熊野川の中州である大斎原(オオオユノハラ)にあった。そこは、今、大きな鳥居が立ち、春には桜が美しい。

   ( 大斎原の大鳥居 )

        ★

 特別展「山の神・仏 … 吉野・熊野・高野」は、大阪市立美術館で 6月1日まで開催。観覧料1400円はちょっと高いが、見ごたえはある。

 

 吉野、熊野、高野の地域ごと、3つのコーナーに分けて展示されているので、先に2階に上がり、一番興味のある「熊野三山」から見学した。

 予想していたとおり、ここにあるのは、神像や神めいた仏の像。

 飛鳥・奈良・平安時代、或いは鎌倉時代の洗練された仏像彫刻は見慣れているが、熊野の像は、それらとは全く異質な世界である。

 素朴で、明るい。清らかで人懐っこい。癒される。

 日本の神々は、目に見えぬ神、見てはいけない神。仏教のように偶像化をしないし、偶像を拝まない。なのに、なぜ? なぜこのような造形をしたのだろう?

 村の神様は、村人と共に今年の収穫を喜ぶ神様である。米を収穫すれば、村人と一緒に食い、米からできた酒を呑み、餅を食い、神楽を喜び、はたまた、酔って、笑いころげる。

 そういう神様に対する素朴な親愛の情と崇敬の念が、思わず造形意欲をそそった … のに違いない。

 それは神様と対話しながら制作された。

 「神様って、こんな顔をしておられるのでは?」「体つきは、きっとこんな感じでしょう?」

 神様は、目に見えない。だから、像には刻めない。人の顔や形に似せても、意味がない。

 「でも、私の心のイメージとしては、こんな感じ。似ているかどうかではありませんよ。感じです。感じ」。

 (村の神様)「ふーん…。まあ…、そういうことにしておこうか。悪くないね 」

 たぶん、こんな感じで、神像はできたのだろう。

 ( 熊野の青岸渡寺の塔と那智の滝 )

           ★

 次は、「吉野・大峰」。吉野と言えば桜 …。それから後醍醐天皇。

   ( 吉野の桜 )

 いえいえ、もともとそこは、大峰奥駈道があるように、日本一の修験道の場だった。

 修験道の創始者は、役の小角(役の行者)。伝説上の人物である。小鬼を家来にし、峰から峰を駈けるように跳んだという。

 自然のなかに神を見る古神道に、仏教の密教的要素が加わわった神仏習合思想だが、深山の中で激しい修業し、神秘的な力を得て、人々を助けたいという動機がある。

 展示には、役の小角像が多い。怪異だ。面白い!! ちょっと怖くて、愛嬌がある。庶民のあこがれだ。

 話は変わるが、以前、吉野の桜を見に行ったとき、桜を求めてふと、吉野水分神社という由緒ありげな神社に出くわした。桜の季節にもかかわらず、訪れる人はない。

 見ると、社が古くなったのでぜひとも改築しなければならないと、募金のお願いしている。日本の文化を守りたいではありませんか それで、屋根を葺く萱の2、3枚にでもなればと、少額の寄付をした。

 1年以上も後であったか、新装なったというお礼のお手紙をいただいた。

 うれしかったですね。

 美術館内は撮影禁止なので、我が家の近くの役の小角像を。

 この像は、超人としての役の小角ではなく、人々を救済して旅する聖人としての役の小角像だ。

  ( 石仏の役の小角 )

          ★

    

     ( 高野山 )

 最後に「高野山」。

 高野山・真言宗は我が家の宗旨である。

 若き日の弘法大師は、奈良の大寺の経典を借りて1人で読破したりしたが、経典を読んでも心の満足が得られず、深山を走破したり、太平洋に対する洞窟に籠ったりして、修業した。太陽が昇り、また、沈む、自然界の営みの中に無我の真理をよみとろうとした。 

 唐から帰国し、密教の体系を構築するが、しかし、彼もまた、日本の古神道の上に、「世界」を構築したように、私には見える。

 真言宗が大切にする大日如来には、太陽神のにおいがし、いかにも汎神論的だ。だから、日本人に受け入れられる。

 その大日如来像も何点か展示されていたが、いずれも繊細な美しい仏像だった。

 

   

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分が負ける夢を何度も何度も見て、不安だった……世界卓球団体銀メダル

2014年05月06日 | 随想…スポーツ

   「世界卓球日本女子『銀』」

 卓球・世界団体選手権で、1983年以来、31年ぶりの快挙だそうだ。

          ★

 かつて卓球日本と言われ、ラバーラケットとペンホルダーで世界に君臨した時代があった。

 中国を始め、各国に招かれて教えた。

 やがて、弟子であった中国や韓国に追い抜かれた。

 日本のなかでも、マイナースポーツとなり、卓球界は長い低迷期に入ってしまう。

 福原愛ちゃんが大人になったころからやっと光が見え始めた。 男女に、新しい力が次々と育って、何とか世界と戦えるようになってきた。

          ★

 日本の若きエース・石川佳純選手(21才)の言葉が感動的だ。

  「 (大会前から) 自分が負ける夢を何度も何度も見て、不安だった。 みんなで、力を合わせて戦うことができて、良かった」。 (5/6  読売新聞朝刊 )

 準々決勝のドイツ戦。ここを突破しなければ、銅メダルも、ない。

 日本は、ドイツの超ベテラン中国人選手に2敗し (今やどこののチームと当たっても、中国人と試合することになる )、2勝2敗で最終戦を迎える。

 日本はエース石川。相手は、すでに平野にも1敗している格下の若手選手。

 石川は簡単に2セットを先取し、あと1セットと迫った。しかし、開き直ってのびのびと打ちまくる相手に圧倒され、表情がこわばり、自信を失い、セットカウント2対2となる。

 しかし、最後のセットで踏ん切りがついたのか、本来の攻めの石川に戻って圧倒。

 勝利の一瞬、重圧から解放され、思わず泣きながらチームの元に駆け戻った。そのあとは笑顔、笑顔。本当にうれしそう。

 準々決勝で敗退するのと、準々決勝を突破して世界第2位・銀メダルとでは、天と地の違いだ。

          ★             

 「今までなら、負けても、『負けちゃった』で済んでいました。しかし、今は……」。

 ここぞというところで出ていく今の立場は、相手選手との単なる一騎打ちではなく、それがそのままチームの命運を左右することになる。

 「(大会前から) 自分が負ける夢を何度も何度も見て、不安だった」。

  ……21才でエースを背負わされるのは、かなりきつい。 しかし、 きみしか、いない。頑張って。

 

 

 

 

 

 

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