ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

靖国神社 … 心に残る杜と社 4

2013年02月24日 | 国内旅行…心に残る杜と社

       (皇居から)

  小泉首相の靖国神社参拝が、近隣国から大バッシングされていたころの、ある若い知人との会話。

  「 靖国神社に行かれたことがありますか?」

  「 ない。きみはあるの?」

  「 右翼の街宣車が何台も来ていて、すごいボリュームでがなり立てて、やっぱり異様なところだと感じました 」

  「 ふーん。でも、右翼は、本来、静かに参拝する人たちの邪魔をしたくないのでは? 『靖国神社反対』の左翼や外国人のグループが拡声器で叫んだり、ビラを配ったり、デモしたりするから、対抗して彼らも出動したのでは?」

  「 ええ、まあ、とにかく騒然としていました。それに、神社の中に遊就館という施設があるんです。そこには太平洋戦争当時の日本軍の戦闘機や人間魚雷が展示されていて、軍歌が流されて、『軍国主義復活!』 という強烈なメッセージが感じられて、すごく違和感を覚えました」。

  「へー。そうなの …」

  それから数年後のある日、テレビの討論番組を見ていたら、田嶋陽子氏が、遊就館の展示はひどい!やっぱり靖国神社は軍国主義復活の神社だ。靖国反対!と叫んでいた。

  一方、故三宅久之さんは、遊就館には、女性を知らないまま戦死した若者のお母さんが供えた、白無垢の花嫁人形が展示されている。あれを見ると、私は涙が出る、と声をつまらせていた。

 人によって、こんなに感じ方が違うものなのだろうか?

             ★

 話題一転。

 65歳になっても70歳になっても、自分はまだまだ元気だ、元気のある間は、ばりばり働きたい、と考える人は多い。

 しかし、‥‥人生において仕事は大切だ。だが、すでに十分、働いた。やってきた仕事に十分満足している。 残りの人生まで、「宮仕え」に燃焼したくない、と考える人間もいる。

 ステータスとなるポストも、高給も要らない。その代わり、自分の興味と関心のあることだけをやって、残りの人生を悠々と全うしたいと。 

 勉強だとか、自分を高めようとか、まして、何かに役立てようとか、そういうことは全く考えない。自分の興味と関心のおもむくままの、自由な日々である。

 ただし、自由には、精神の自立が必要となる。「宮仕え」していないと、日々をもてあまして不安だという人には、向かない。

             ★

 2010年12月。2泊3日で東京へ行った。

 東京は、遥か昔、大学の4年間を過ごした町である。

 その後も、出張で、何度も行く機会があった。だが、当時は全身が仕事に向いていて、今振り返ると、いつも、心あわただしかった。

  まだ一度も、皇居の堀を渡ったことがない。日本国に生まれて、まだ一度も、国政の議論される国会議事堂に入ったことがない。 あれほど大騒ぎされた靖国神社に参拝したこともない。

 あの有名な六本木ヒルズも見ていないし、表参道や原宿も知らない。

 よし、行ってみよう、と思えるのは、「宮仕え」などしていないからである。心のおもむくままに、 自由なのである。

             ★

  1 日目は、インターネットで事前に申し込んでおいた皇居に行き、宮内庁の職員に誘導されて皇居の堀を渡った。

 そのあと、国会議事堂に行って、当日申込みで、議事堂内を案内してもらった。ついでに、遠くからではあるが、首相官邸も見た。

 2日目の朝、一番に、靖国神社へ行った。

 地下鉄を出てしばらく歩き、大鳥居を見て、来て良かった、と思った。

 この大都会の中にあって、しんとした静寂感がいい。

 

  静寂ではあるが、ゴシック大聖堂のごつごつと厳しく、天にそびえ立つ姿と比べて、神社のたたずまいはいかにも晴朗である。樹木に囲まれているのも、いい。

  参道を、大村益次郎さんの像を見ながら行き、手水舎できよめて、第二鳥居をくぐる。

  回りの参拝者のなかには、先の大戦で戦死した人々とつながりのある人たちも沢山いるであろう。私の縁者も祀られている。

  拝殿で、心しずかに参拝した。

  神池庭園を拝観したあと、問題の遊就館に入った。

  戊辰戦争の展示からはじめて、最後に太平洋戦争の零戦や回天の展示も見た。そして、思わず心の中で笑ってしまった。

  70 年以上も前の兵器である。

 当時、これで、多くの将兵が戦い、死んでいったにしろ、今では、これは玩具の兵器だ。 零戦のなんと小さいことか。こんな兵器では、今、どんな貧しい国の軍隊と戦っても、負けてしまうだろう。

 大阪城の天守閣の博物館に展示されている刀剣や鎧と同じである。これは、どこの国にもある戦史・武器博物館の一つに過ぎない。

  この程度の兵器の展示を見て、「軍国主義復活!」とは、やっぱり平和ボケと言うしかあるまい。

  中華人民共和国の各地にある同種の博物館、なかんずく「南京大虐殺記念館」などの、事実の捏造、嘘、デフォルメ、愛国的宣伝臭などと比べると、遥かにマシである。

            ★ 

  塩野七生に、「靖国へ行ってきました」というエッセイがある。( 『日本人へ‥‥国家と歴史篇 』文春新書 ) 。そのエッセイの中で、塩野は、遊就館について、以下のように書いている。

  「 その感想を簡単に言えば、遊就館の展示とは日本側の歴史認識を示したものである、ということだった。つまり、追い込まれてやむなく起ったのが日本にとっての第二次世界大戦であった、と主張するのが目的なのだ。この「目的」のための「手段」である展示の内容だが、なかなかに良く出来ていた。過度に感情的ではなかったし、感傷というか想い入れも、許容範囲に留まっていると思う。勝っていたのが負けに転じた時点の記述も、意外なくらいに冷静になされていた 」。

 歴史を善悪二元論で語るのは、全くまちがいである。第二次世界大戦における日本について、当然、日本には日本の言い分があった。だが、それを、今、声高に言えば、煎じ詰めれば、また戦争をしなくてはならなくなる。それに、実際、日本にも、非は大いにあった。だから、声高に言えば良いというものではない。だからと言って、日本の非ばかり言うことが正しいわけではないし、それでは死者も浮かばれない。

 大切なのは、歴史的事実である。日本人がどのような思いで戦場に赴いたのかという事実である。そのことを記録にとどめ、鎮魂することである。(その意味で、『永遠のゼロ』は名著である)。

 塩野によれば、彼女の書く作品の性質上、過去の歴史的な戦争の武器や戦術をなどを知りたくて、ヨーロッパから中近東、北アフリカにかけての、この手の博物館を観て回ることがあるが(どこの国にも戦争博物館はあるが)、それらの展示は、「思わず笑ってしまうくらいに」、どの国も、誇らしげで、非客観的で、非中立的であるそうだ。

 そういう博物館を見て回ったことはないが、それらと比べて、遊就館の展示の仕方はもの静かなのだと思う。

 悲劇的で、鎮魂的で、この国のために死んでいった人たちに改めて想いをはせるが、それはこの国に生まれてきた人間として当たり前のことで、別に軍国的に煽られたとは思わない。

 それとも田嶋さんは、「南京大虐殺記念館 」 を観た中国の児童・生徒が反日になるように、この展示を観て、「鬼畜米英!きっと敵を討つぞ」 という気分にさせられたとでも言うのであろうか?

           ★

  2泊3日の東京旅行は、良かった。

  何よりも、靖国神社に行って、すっきりした気分になった。

  「日本の軍国主義復活」などというより、隣の大国の軍備拡張と覇権主義こそ、目の前の現実である。

 時代錯誤の観念論ばかりで「世界」を見ていると、世界の現実が見えなくなる。

           ★

 ただし、日本古来の神道を再び国家神道化することには反対である。現在の神社神道が、夢よ、もう一度と、その未来を保守政治家との結びつきに託することには、神道のためにも、保守政治家のためにも、反対である。

 日本は融通無碍な神々の国であって、アマテラスの国ではない。「古事記」「日本書紀」は、神道の経典ではない。                                       

  

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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金刀比羅宮 … 心に残る杜と社 3

2013年02月18日 | 国内旅行…心に残る杜と社

   (金刀比羅宮から讃岐平野を見る)

 

 金刀比羅宮、ことひらぐう。こんぴらさん。

 「世俗的」というイメージがあり、長い間、足が向かなかった。

           ★

 縄文・弥生の昔から、海上を行く海人たちは、目印になる、印象的な岬の突端や山を、神のおわすところとして崇敬した。

 先に書いた厳島神社(その後ろの霊峰・弥山)もその代表的な例であるが、日本列島の海岸線には、数え切れないぐらい鳥居があり、その奥の森の中に社があり、さらにその上にこんもりした神体山がある。

 そのなかでも、特に船乗りたちの厚い崇敬を集め、全国の金刀比羅神社の総本山になっているのが、讃岐の象頭山(琴平山)である。その中腹に金刀比羅宮はある。

  ( 神社は象頭山の中腹にある )

 祭神は、海の彼方から波間を照らして現れた神とされる、大物主命。

 それが中世に、本地垂迹説で、仏教の金毘羅さんと習合する。

 コンピラはインドの神様で、釈迦を守った十二神将の一人、クンビーラ。彼はガンジス川のワニの化身だそうで、それが日本に入ってくると龍神に見立てられた。龍と言えば、古来から雨乞いの神である。

 かくして、船乗りや漁民だけでなく、たちまち農民の信仰も得るようになる。

 そのこんぴらさんが全国の庶民の間に爆発的に人気を広げたのは、世も治まった江戸時代の中期のこと。

 西ヨーロッパでも、近世になると、聖地・聖物巡礼を兼ねた「旅行」が盛んになり、旅行業が生まれ、ツアーが組まれるようになるが、日本でも、江戸時代、伊勢神宮参拝やこんぴらさん参りが盛んになり、庶民の間で講が組まれた。

 「こんぴら船船‥‥」という民謡が歌われ、江戸や大阪から「こんぴら船」が出されて、年間500万人が参拝したという。大変な賑わいである。

 かくして、架空の人物であるが、あの森の石松も、清水の次郎長親分の名代で、こんぴら詣でをすることになる。

           ★

 そういう繁栄と賑わいが、ご利益主義とも重なって、俗っぽいイメージを形成したのであろう。

 まあ、一生のうち一度は、「こんぴらさん」というちょっと得体の知れない信仰の地に行ってみるのも悪くないと、墓参で四国に行ったついでに寄ってみることにした。

 「こんぴらさん」のもう一つのイメージは、階段。

 若いころならともかく、… とにかく運動靴を履き、ホテルの玄関で勧められて杖を借り、「精神一到」の意気込みをもって、朝、宿を出た。

 

      (大門)

 大門までは駕籠もあるそうだが、ここから神域に入る。これ以後は、茶店もない。すでに365段。

 本宮までの階段は785段。

 西欧の大聖堂の塔に昇るような、急で、連続したらせん階段をひたすら昇るというようなことはなく、… 山の中の木立に囲まれ、10段か20段も昇れば、平坦な道を歩き、そのうちまた石段があるという感じで、樹木の中を道は曲がり、そこここに小さな社があり … 杖を突き、足元を見つめ、一段ずつ、一歩ずつ昇っていく。

 時々、立ち止まって一息入れ、汗を拭く。

 

    ( 本 殿 )

 ついに本殿に着いた。

 大門をくぐって以来、世俗的なものは全くなく、山に深く分け入った分、晴朗にして、神聖な地にやってきたという感じがして、すがすがしい。

 風が吹き、讃岐平野が一望に見渡せた。

    (神官と巫女)

 先ほど渡殿を歩いていた神官と巫女が、縦一列に並んで、向こうから地面を歩いて来た。

 列の最後尾を歩く若い、小柄な巫女二人の歩き方を見て、前を行く神官のおじさんたちと違って、これはアスリートの歩き方だ!と直感した。

 地上から本殿までの785段、いや奥社までの1368段を、日に何度も、走りあがり、走り降りているような?鍛えられた歩き方だった。

            ★

 下りで、一休みしている80歳のおじさんと話した。苦しそうだった。

 しかし、そのおじさんが先ほど立ち話をしていた二人の老人は、このおじさんより、さらに年上だったと言う。自分より年上なのに、自分よりずっと元気に昇って行ったと、感心していた。

 二人とも、かつて海軍兵学校の生徒だったと言っていたそうだ。毎年、二人で参拝に来るとも、言っていたそうだ。

            ★

 この社と杜は、古来から、船乗りたちの信仰の対象だった。

 戦前には、帝国海軍の慰霊祭が行われ、戦後も海上自衛隊の殉職者の慰霊祭が行われると言う。

 ご利益主義の世俗的な神様と思っていたのは、どうやら先入観・偏見であった。

 今も、あの大戦中、遥かな海原で亡くなった先輩や上官の慰霊のため、この神社に参拝する老いた男たちがいる。多分、足腰が立たなくなるか、病に倒れるまで、あと何年か、あの老人たちは参拝をし続けるのであろう。

 心の礼儀のあるところに、神はおわす。

  

 

 

 

 

 

 

 

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『舟を編む』ほか

2013年02月13日 | 随想…読書

 三浦しをん『舟を編む』(光文社)は、辞書づくりの世界を描いた題材そのものが新鮮で、面白かった。

 読後感もすがすがしい。

  世間では頼りないと思われるであろう主人公も、辞書づくりの責任者としては大いに頼もしく、やがて妻となる女性の登場の仕方も鮮やかで、お互いをリスペクトしあう結婚後の二人がカッコいい。

 辞書づくりという目的に向かって、それぞれがそれぞれの個性とやり方で貢献し、悪い人が一人も登場しないのも良い。

             ☆

 宮本輝『約束の冬』(文春文庫)は、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した作品のようだが、ちょっと冗長な感じ。登場人物も類型的かな。

             ☆

 紅山雪夫『魅惑のスペイン』(新潮文庫)を、他のものと並行して読んでいる。

 サブタイトルに「添乗員‥ヒミツの参考書」とあるが、この人のヨーロッパ旅行ガイドは、本当にすごいと思う。

 その博識ぶりに感動するが、そればかりでなく、例えばスペインの歴史といった込み入った話を、わかりやすく、かつ面白く、かつ要領よく叙述する力量に感心する。

 博識といっても、枝葉の細切れ知識ではなく、かなり本質的なところで知識欲を満足させられるから、読んでいてわくわくする。

 

 

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