ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

旅の前夜に … 陽春のブルゴーニュ・ロマネスクの旅1

2015年05月22日 | 西欧旅行…フランス・ロマネスクの旅

        ( フォントネー修道院 )

 ご無沙汰しましたが、次のような日程で、明日、旅に出ます。 

第1日 (KL) 関空 ⇒ パリ ⇒ ジュネーブ  

                        (ジュネーブ泊)

第2日 ジュネーブ観光ローザンヌ観光

  → ラヴォ~地区観光  

        (ローザンヌ泊)                      

第3日 ローザンヌ ⇒ ディジョン 

    ディジョン観光

          (ディジョン泊)               

第4日 ディジョン ⇒ モンバール    

       フォントネー修道院見学

   モンバール ⇒ チュルニー 

       トゥルニュ観光

   トゥルニュ → ディジョン

        (ディジョン泊)

第5日  ディジョン ⇒ オータン ⇒ ディジョン  

   オータン観光   (ディジョン泊) 

第6日 ディジョン ⇒ オーセール

  オーセール観光  (オーセール泊)

第7日 オーセール ⇒ ヴェズレー

  サント・マドレーヌ寺院見学 

           (ヴェズレー泊)

第8日 アバロン ⇒  パリ

   パリ観光      (パリ泊)

第9日 (KL) パリ ⇒ アムステルダム ⇒

第10日 ⇒ (朝) 関空

        ★

   第1日目はジュネーブ泊。2日目はスイス・レマン湖付近を観光。

 3日目の朝、スイスのローザンヌからTGBで2時間。フランスのブルゴーニュ地方の中心都市ディジョンへ。

 それからは、鈍行列車や、時に列車の代用の路線バスに乗って、田舎の旅である。

 ツアーではない。今回は、全部、独力の旅。

        ★

 一昨年、「フランス・ゴシック大聖堂の旅」に行った。

 そのブログの1回目に、初めてシャルトルの大聖堂を訪ねたときのことを書いた。

 書き出しは、井上靖の『化石』という小説の一シーンの紹介。主人公が、シャルトルの大聖堂のステンドグラスを見て、その美しさに感動するシーンである。

 ちなみに、小説『化石』の主人公は、既に孫のいる初老のオーナー社長。一代で会社を立ち上げ、今は多くの従業員に信頼され、会社も軌道に乗っている。ここまで何十年も働きづめだった。家族も社員も、休養を取ることを勧める。勧められて、初めて休暇を取り、秘書の青年一人を連れてフランス旅行に出かけた。パリで少し体調をくずし、病院で癌が見つかる。癌と知るのは自分だけだ。そのまま旅を続けるが、自ずから「自分の死」と向き合うことを余儀なくされた旅になる。

 その当時、癌は死の宣告であった。癌が見つかったら、手の施しようがなかった。だから、医者は、家族に知らせても、本人には告知しなかった。最期まで、患者は癌と知らずに死ぬ。

 ところが、この小説では、外国旅行中のため、本人だけが知ってしまうのである。

                      ★

 主人公は、シャルトルに行ってからしばらくして、若い日本人夫婦の案内で、ブルゴーニュ地方のヴェズレー、オータン、チュルニーという田舎の町(村)の聖堂を見て回る。そこで見たロマネスク時代の聖堂や彫刻は、ゴシック建築の荘厳さやステンドグラスの華やかさはない。だが、その代わりに、素朴な野の香りがして、どっしりとした古い石の温もりがあり、主人公の心を包んでくれるのである。

        ★

 この小説を読んだときから、フランスの野の香りのする田舎を旅してみたいと思った。

 何度か、TGBの車窓からただ眺めて通り過ぎたフランスの田園風景。ゆったりと流れる川や林や牧場やブドウ畑や小さな村落……。

 観光バスで、有名な観光地から観光地へと走っていく、その途中、遥かに遠く、夕日を浴びて建つ聖堂の塔と静かな村のシルエット……。

        ★

  韓国も、ソウルとそれ以外、と言われる。フランスも同じだ。パリとそれ以外。TGB網は、パリを中心に張り巡らされいて、パリを経由せずに地方都市から地方都市へと旅するのは意外と不便なのだ。

 ゴシック様式の大聖堂は、当時、富が集積しだした地方都市に建てられた。今、その多くは県都だが、それでも、「フランス・ゴシック大聖堂の旅」は、結構、ローカルな旅だった。予約の必要のない「急行列車」で次の都市へ行くのどかな旅だった。

 今回のロマネスクの旅は、もっとローカルである。「快速」「各駅停車」「鉄道バス」の旅である。

 レンタカーを借りて運転すればよいのだろうが、それにはかなり勇気がいる。まあ、のんびりと、行ってこよう。

  

 

  

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春の 「竜田公園」 散歩道……散歩道10

2015年05月05日 | 随想…散歩道

  「竜田・三室・神奈備といった万葉故地にかかわる地名は、斑鳩町にある。しかしそれらは後世のコピーであって、竜田のオリジナルは、やはり竜田大社を中心にすえた地域一帯 ( 奈良県の三郷町から大阪府の柏原市 ) に求めるべきであろう」 (犬養孝監修 『万葉の道…明日香編 』)。 

 生駒山 (642m) から南へと尾根が続く山並みの、その最南端が大和川に切れ落ちるところに、竜田山がある。その竜田山の一部を指して三室山と言うらしい。龍田大社の神域である。

 龍田大社には、秋の女神である龍田姫も祀られているが、紅葉で有名な竜田川は、大和川の竜田山近くを流れる部分を言った、とされる。

         ★

 「後世のコピー」とされる斑鳩町のその辺りは、近年、「奈良県立竜田公園」としてきちんと整備された。

 竜田川沿いに2キロ。その一角には三室山があり、春の桜、秋の紅葉の名所である。

 ただし、地元の人たちが楽しむローカルな名所で、観光客が押しかけるようなことはないから、桜をのどかに楽しむにはなかなかに良いところである。

 本日のテーマは、この竜田公園。

 ただ、コピーを本物のようにして紹介しているように思われるのは気が咎めるから、斑鳩町には悪いが、もう少しコピーであることを言っておきたい。

 その三室山の麓に石碑があり、

   ちはやぶる / 神代も聞かず / たつ田川 /

        からくれなゐに / 水くくるとは

                                   ( 在原業平)  

   嵐ふく / 三室の山の / もみぢ葉は /

        たつ田の川の / 錦なりけり ( 能因法師 )

の二首が紹介されている。

 二首目は、上三句と下二句の関係が「原因→結果」の関係で、眼前の景としては、おびただしい紅葉の落ち葉が竜田川を錦に染めて美しい、と言っている。そして、その源に思いを馳せ、三室の山を強い風が吹いて、紅葉を盛んに落葉させているからであろうと、推測しているのである。

 もっとはっきりと、眼前の竜田川の錦を見て、三室の山奥を想像する歌に、次のようなものもある。

   たつた川 / もみぢ葉ながる /

   神なびの / みむろの山に / 時雨ふるらし

                              ( よみ人知らず )

 この歌の場合、竜田川と三室山では気象現象が違っている。眼前のたつた川の紅葉を見て、三室山の時雨を推定しているのである。このように三室山は、竜田川に対して、いかにも奥深い山である。

 下の写真のような、川のそばの小さな「丘」では、いかに作歌上の誇張としても、不自然である。

  ( 斑鳩町の竜田川と三室山 )                

         ★

 とは言え、それはそれとして、三室山の桜は本当に素晴らしい。丘全体が桜におおわれ、竜田川の流れに沿う桜の林につながり、お天気が良いと、橋の上では、かなりの人数の人が、画架を立てて写生をしている。              

 山頂まで、5分も歩けば達するが、桜越しに見る春の大和平野ものどやかである。古代の豪族の長が、ここから国見をしたであろうか? このあたり、平郡氏という有力な豪族がいたらしい。

 

   ( 三室山から見た大和平野 )

  川沿いの2キロに散歩コースが整備され、地元の老若男女が、花見を楽しんでいる。

 まだひんやりした空気の漂う川沿いの散歩道には、桜だけでなく、椿や雪柳も咲いて、楽しい。 

  

    ( 雪 柳 )

        ★

 3月末から4月初めの桜の時期を過ぎ、4月下旬の晩春のウォーキングも良い。

    ( 2キロの散歩道 )

 大和の田舎道には石仏があるが、ここでも大切に祀られている。その周りの新緑や山吹の明るくやわらかな彩りもよい。

 

   ( 新緑と山吹 )

     ( 石 仏 )

 付近の山も新緑で、遠くに山桜がひっそりと咲いている。

 近くには、辛夷の一種だろうか、白い花びらが優雅である。

     ( 辛夷?)

 この時期は、歩いていると、うっすらと汗ばんでくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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