( ブルゴーニュの野で )
今回は、この数か月の間に読売俳壇、読売歌壇に掲載された俳句や歌の中から、手帳に書き留めておいた作品をいくつか紹介したいと思います。
私は俳句にも歌にも全く素人で、自分で作ったことはありません。ここに取り上げる作品も、作品の良し悪しを基準にして選んだわけではなく、私の感性に響き、私の気持ちや気分を代弁してくれているように感じる作品を取り上げています。作者の皆様には、不躾をお許しください。
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〇 春野行く バス一人降り 一人乗り
(小松市 / 山形 一彰さん)
※ 「春野」「バス」という言葉から浮かんでくるのは、春のブルゴーニュの旅の一場面です。ローカル鉄道もこの先へは行かず、ローカルな大聖堂を訪ねるために、ローカルバスに乗り換えました。
ブルゴーニュの野を走る小型の乗り合いバスは、日本と同じように人手不足なのか、地元のマダムの運転でした。
客の少ないそのバスが、林や畑の中の道をまるで野ウサギのごとく疾走し、手に汗を握りました。
最近、日本でも、大型バスの若い女性ドライバーが次々誕生し、人気を得ているようです。なにしろ制服姿や、大きなハンドルを鮮やかに回す姿がカッコいいのです。
ローカルバスのこういうのどかな句を読むと、また、「岬めぐりのバスに乗って」、日本の旅に出たくなります。
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〇 奥会津 そのまた奥の 遅桜
(須賀川市 / 関根 邦洋さん)
※ 選者の評に、「奥会津は雪の多いところだが、そのぶん春が生き生きとしていて、風光に一級品の趣がある」、とありました。
関西に住む人間にとって、東京より東の地には遥けさを感じます。まして、「奥会津」という語感は、「山のあなたの空遠く」です。しかも、選者が、「雪の多いところだが、…… 風光に一級品の趣がある」と言っておられますから、ますます心ひかれてしまいます。鈍行列車の旅もいいですね。
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〇 生涯を 娶らぬ不幸 墓掃除
(東京都 / 金沢 洋治さん)
※ 「不幸」は、この場合「親不幸」のことでしょう。
もし優しいお嫁さんがいて、孫たちに囲まれて人生の終わりを迎えることができたら、ご両親はもっと幸せだったでしょう。先祖からの墓を受け継ぐ者が絶えてしまうのも、淋しいことです。
しかし、ご両親にとって、そういう淋しさは、何とか折り合いをつけることができます。
ご両親にとって最期まで心配だったのは、この先、一人で生き、そして一人で死んでいかねばならない息子の行く末の淋しさです。そのことを案じながら死んでいかねばならない …… それがいちばん親不幸だったかもしれません。
子は親にしてあげられなかったことを思いますが、親は子の幸せが気になるのです。
季語は、「墓掃除」で秋。
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〇 小鳥来る 村に一社と 一寺あり
(日高市 / 駿河 兼吉さん)
※ 素人ながら、調べました。「小鳥来る」は、「渡り鳥」などとともに秋の季語なのです。
一般には、春に来て、秋に帰っていく鳥(夏鳥)も、秋にやってきて、春に帰っていく鳥(冬鳥)も渡り鳥ですが、俳句では秋に渡ってくる鳥が「渡り鳥」なのだそうです。夏鳥は群れをなさない。一方、冬鳥が澄んだ空を大群で渡ってくる様は壮観で、季語となったそうです。雁や鴨をはじめ、小鳥ではつぐみ、ひわ、あおじなどです。
稲刈りも終わった秋の野に鳥たちが渡ってきて、神社の杜が一つと、お寺の森が一つある。その大樹の中は小鳥たちのさえずりでにぎやか。日本の原風景です。
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〇 ひたすらに 月の出を待つ 団子かな
(土浦市 / 白田 ノブ子さん)
※ 月の出を待っているのは、もちろん団子ではありません。子どもたちでしょう。擬人法で、ちょっと微笑ましい句です。
わが家に月見のできる風流な縁側があるなら、「花より団子」ならぬ「月に燗酒」ですね。
ススキを生け、お団子を供える月見の風習も、今ではほとんど見なくなってしまいました。選者は、「現代のわれわれはなんと沢山のよき風習を失ってしまったのかと思う」と嘆いておられます。
辻邦生『時刻(トキ)の中の肖像』から
「1980年にパリ大学で日本文化論をフランス人学生に講義したとき、改めて年中行事の一つ一つを月を追って説明したが、その優雅な生活の色どりに、学生たち以上に、私自身が心を打たれた。新年の若水汲み、お雑煮から始まって、節分、雛祭り、端午の節句、七夕、お月見、そして大晦日の年越しそばに到るまで、私たちの祖先は真に生きることを深く楽しむことを知っていた。それは、西洋では味わうことのできない生の至福の数々なのだ。歳時記に現れた俳句の季語は世界文学の中でも大きな財産といえるものだ」。
でも、月見のできるような縁側こそ今はありませんが、月は見ます。それも、西洋人やアラブ人とは違った感性で。月の明るい夜には、「雲が少しかかって、風情あるいい月夜だ」と思ったりします。居酒屋の名にも「望月」とか 「十六夜」とか …。そういう感性は日本列島がある限り、日本語を母語とする人々の中にずっとつながっていくと思います。
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〇 元寇も 倭寇も朝の 海市より
(北本市 / 萩原 行博さん)
※ 「海士(カイシ)」は蜃気楼のこと。春の季語です。「歳時記」によると、蜃気楼は、天候が良く、風の弱い日に起こりやすく、船舶、風景、人物などが空中に浮かんで見えることが多い。富山湾やオホーツク海沿岸が知られる、とあります。
選者の評に、「どちらも『海市』すなわち蜃気楼から現れたとは、意表をつくとともに、実際にそのように見えたかもしれないと思わせる」とあります。
たった17音の中に、時を超え、空間を超え、現実と幻の境を超えた世界がとらえられて、夢幻能のように、素晴らしい句だと思いました。
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志賀島(シカノシマ)神社は、海人族・阿曇一族が綿津見三神を祀った神社です。玄界灘に突き出した長い砂洲の先の小さな島にあります。
唐・新羅軍の攻撃によって百済が滅亡したとき、救援のおびただしい軍船が船出したのはこのあたりでしょう。その先頭に阿曇の一族がいたはずです。
鎌倉時代の元寇の時には、このあたり一帯が戦場となりました。
その報復のために始まったと言われる倭寇の船は、対馬や松浦のほか、このあたりの湊にも出入りしたことでしょう。
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当ブログ「玄界灘の旅」から「海人・阿曇氏の志賀島へ行く」を参照
( 志賀島神社の拝殿 )
( 玄界灘を望む遥拝所 )
( 志賀島神社楼門 )
「拝殿の前で参拝しているとき、突然、目の前に正装した宮司さんが現れて、驚いた」。
「続いて、宮司さんは玄界灘を望む遥拝所で参拝された」。
「そして、舞台を去るごとく、楼門から退場された」。
「2千年の歴史が流れる、人けのない島の神社に起こった、幻のようなひとときであった」。
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皆さん、良いお年をお迎えください。
また、来年も