( カッパドキア地方の村 )
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< 遥かなるカッパドキア >
11世紀後半、衰退するビザンチン帝国のアナトリア地方に、イスラム化したテュルク系遊牧民(テュルク語を話す中央アジアの遊牧民)が侵入し、支配するようになる。やがて彼らは、ルーム・セルジューク朝を打ち立てた。大セルジューク朝の地方政権で、ルームはローマ。都をコンヤに置いた。
カッパドキアに行く途中、コンヤを見学し、一泊した。草原の風のなかから興った文化も宗教も素朴で、イスラム教・メヴレヴィ教団の祖メヴラーナの遺した書や遺品には、村夫子風情を感じた。
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旅の6日目。トルコツアーで人気のカッパドキアに入る。
アナトリア地方の中央部にあたり、山岳・高原地帯で、夏と冬の寒暖差が大きい内陸型気候。そこに大奇岩地帯が広がっている。
カッパドキアのこの景観は、エルジェス山(3916m)やハサン山(3268m)の噴火によって噴出された火山灰や熔岩が、地学的な年月を経て凝灰岩や熔岩層となり、洪水、風、雨、雪などによって浸食・風化されて、固い凝灰岩のみが奇怪な形象として残ったものである。
そこに、4世紀ごろから12、13世紀ごろにかけて、迫害を避けて逃げ込み、洞窟教会や洞窟住居をつくって暮らしたキリスト教の修道士や信徒たちがいた。
彼らが残した遺跡を含めて、この大奇岩地帯はユネスコ文化遺産に登録されている。
カッパドキア地方の人間の歴史は、様々な民族が交差したトルコの歴史そのものである。
中央アナトリアに本拠を置いたBC15~12世紀のヒッタイト王国は、人類史上初めて鉄で武装した国である。
BC6世紀には、東方に興ったペルシャの1州となった。
アレキサンダー大王の東征のあと、独立王国も建てられたが、AD17年にはローマ帝国の属州として併合される。ローマの分裂後は、東ローマ帝国領となった。
4世紀の初期キリスト教の時代、迫害を逃れて地下洞窟に人が隠れ住むようになる。
その後、キリスト教は国教化されるが、11世紀の後半、東ローマ帝国がセルジューク朝との戦いに敗れ、イスラム教徒の遊牧民が多数入ってきてアナトリアを支配するようになると、それから13世紀にかけて、再びキリスト教徒たちがこの荒涼とした大奇岩地帯に逃げ込んで暮らした。
現在のカッパドキア地方には大小の町や村が点在しているが、荒涼とした土壌の上、冬は寒さが厳しく、夏は乾燥して、農業には向かない。わずかにワイン用のブドウ栽培が行われるだけ。
収入源はもっぱら牧畜、そして、羊毛を使った絨毯づくり。トルコと言えば絨毯だが、カッパドキアはその本場である。
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< アザーンの声で目を覚ます >
旅の8日目。カッパドキアを出て、サフランボルに着く。
その翌朝、午前3時半ごろ、突然、ホテルの部屋の外から、マイクを通した大音声が聞こえて、目が覚めた。独特の抑揚は、近くのモスクが祈りの時間を知らせるアザーンだ。
イスラム教の祈りの時間は日に5回。最初の祈りの時間は夜が明ける時刻だから、いくら何でもまだ早い!!
今はラマダーンだ。この1か月間、夜明けから日没まで、絶食しなければならない。だから、早く起きて、暗いうちに朝食を済ませ、そのあとモスクに来て、夜明けの祈りをせよ、というのだろうか
それにしても、傍若無人。住宅街で、こんな時間にこんな音を出せば、日本では許してもらえないだろう。1年に1度の除夜の鐘さえ、うるさいと文句を言うクレーマー住民がいる。
一度目覚めると、もう眠れない。
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< ボスポラス海峡に臨むテラスで >
旅の9日目。サフランボルを出て、この旅の出発地であり目的地でもあるイスタンブールに午後おそく着く。トルコを半周して、走行距離は約3500キロ。
久しぶりの和食に感動した。
夕刻、散歩に出て、ボスポラス海峡に臨むテラス席でトルココーヒーを飲む。コクがあって美味。
行き交う船や対岸のアジア側の街を眺めて、しばらくは時の流れに身を任せた。トルコ旅行に来た目的が、この時間に果たされたと感じた。
波の上に、ブルーモスク、聖ソフィア、トプカピ宮殿が並んで見える。
夢枕獏『シナン』から
「イスタンブール ── コンスタンティノープルは、このボスポラス海峡のヨーロッパ側を中心にして、アジア側にもまたがって発展してきた都市である。
古代シルクロードの東の端に、人口100万人の都長安があるなら、西への入口にこのコンスタンチノープルがあったのである。
東と西の文化、人種、宗教、文物がこの街で混然として一体になっていた。
混沌(カオス)の都市である」。
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< あこがれの聖(アヤ)ソフィアで >
旅の10日目は、旧市街を見学して回った。
新市街と旧市街の間に金角湾がある。金角湾に架かる橋がガラタ橋。
橋の上に立てば、旧市街の景色を一望できるから、世界からやって来た観光客でいつも賑わっている。東方からの旅人には言うまでもないが、西洋からの旅人にとってもやはりエキゾチックな風景であろう。
橋の上に並んで、日がな一日、釣り糸を垂らすおじさんたちも、イスタンブールの風物詩の一つだ。
金角湾越しに眺める旧市街の景色のなかでひときわ存在感を示しているのは、オスマン帝国最高の建築家とされるシナンの建てたスレイマニエ・ジャーミー。あそこに行きたいが、ツアーの行程表には入っていない。
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夢枕獏『シナン』から
『聖(アヤ)ソフィアこそ、人が造り出した、最も神がよく見える場所なのだよ』『本当に?』
『見れば、その瞬間に、それがわかる』
『見れば?』 『ああ』。
だが、聖ソフィアは、21世紀の観光客の目にはガランとして、空虚で、感動はうすかった。ここでは、誰も、神を見ることはないだろう。
理由は、ここが、「アヤソフィア博物館」になっているからだ。
例えば、上賀茂神社にしろ清水寺にしろ、国内ばかりか今や世界からやってくる観光客で賑わっているが、しかし、そういう日常性の世界とは別の世界で、神官や僧侶による生きた宗教活動や修行が日々行われ、また、訪れた以上はきちんと手を合わせる多くの名もない日本人の姿があるから、今も日本の文化の一つとして生きているのである。それを見て、見よう見まねであっても作法どおりに参拝する西洋人も多い。
文化というものの「幹」は、過去から連続する「人々」の日々の生の営み、願い、祈りである。その幹から、枝が出て、花が咲く。「幹」が死んで、押し花を見ても、感銘は薄い。
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「神を何かに似せるとしたら、それは、宇宙に似せなければならない」…… というシナンの、或いは夢枕獏の想像するシナンの思想は、一神教というより、汎神論に近い。
そこまで考えを進めるなら、もう一歩進めて ──
本当は巨大な大聖堂も、大モスクも、大寺院も必要ないのではないか。どうして、そこに神がいるというのだろう??
山、霧、風、岩、滝、樹木、そして岬 …… そこに神の存在を感じる人に、神はこたえる。
古神道の心である。本来、社(建物)は必要としない。
注連縄で囲って、ここは聖なる空間とした境内には、太古の杜(森)がある。杜は自然。その気に包まれ、人は神を感じる。神社の杜は、神々の気配で満ち、宇宙につながっている。
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< ボスボラス海峡クルーズ >
旅の最終日。第11日目の午前中は、ボスポラス海峡クルーズ。
新市街のはずれのオシャレな地域・オルタキョイの桟橋から船は出港した。
オルタキョイ・メジディエ・ジャーミィは、19世紀にバロック様式の影響を受けて造られた。白い瀟洒なモスクがボスポラス海峡に臨んで、一幅の絵になっている。
19世紀のモスクは、15~16世紀のモスクの権威主義的な大きさや重々しさがなく、まるでこの界隈のプリンセスのようだ。
クルーズ船が出港すると、海上から眺めるオルタキョイ・ジャーミィは物語の中の絵のように美しい。風景の中のモスクの美しさを初めて知る。
黒海の方向へ遡った船は、ルーメリ・ヒサールを越えた先の地点でUターンする。ボスポラス海峡30キロの半分あたりの地点だ。これが一般的なボスポラス海峡クルーズのコース。
このまま進めば黒海へ到達する。1日1本だけ、黒海の入口まで行く遊覧船がある。もし個人旅行で来ていれば、往復6時間ののんびりした船旅ができた。
かつてヴェネツィアの商船は、イスタンブールをさらに遡って、ボスポラス海峡を抜けて黒海に出、黒海各地の港に寄って貿易をした。黒海の各港も定期でやってくるヴェネツィア商船を待っていた。
ここまで来た以上、黒海の入口まで行ってみたい。
そこは、人間の目にはただ茫々と広がる大海だろうが、それでも船からその光景を眺めてみたい、と思った。旅は、時々、心を残して終わる。
宿泊したリッツカールトンが見え、手前にはサッカー場があり、汀にはドルマバフチェ・ジャーミィが佇んで、風情がある。
金角湾のガラタ橋からUターンして、出港桟橋のオルタキョイへ向かった。
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< 旅の終わりに >
この旅で良かったところは??と、問われれば、一番はボスポラス海峡クルーズと答えるだろう。汀のカフェで飲んだトルココーヒーも、美味しかった。
セーヌ川の遊覧船から、いくつもの橋をくぐりながら見上げたパリの街並みは、端正で、気品があって、しかも哀愁があった。今はもう流行らないが、パリにはシャンソンがよく似合う。
ヴェネツィアのサンタルチア駅から水上バスに乗ってホテルへ向かったとき、まるで劇場のように海の上に展開する水の都の華麗さに感動した。ハトの群がるサンマルコ広場の楽団の演奏も心楽しかった。
岸辺のすべての建物が海峡に向かって微笑んでいるようなボスポラス海峡クルーズも、人生を楽しくさせてくれるひとときの旅だった。
パリのセーヌ川も、ヴェネツィアの運河も、イスタンブールのボスポラス海峡も、歴史と豊かな水のある街並みは印象的である。
ボスポラス海峡以外で良かったのは??
旅の初めに見て回ったエーゲ海地方の古代都市遺跡も印象的だった。真っ青に晴れ渡った空と、その下に眠る遺跡。崩れた遺跡の石の間には赤い野の花が咲いていた。
それらは、明らかに、セルジューク朝、オスマン朝、そして、現代のトルコとは異質の文明である。
だが、それはそれとして、この旅で心を残した風景もある。
他えば、オスマン帝国の大軍を防いだテオドシウスの城壁の跡は見ていない。そのどこか、1枚で良いから写真に収めたかった。
イスタンブールにあるシナン作の2、3のモスクを訪ねたかった。
黒海の出口まで、ボスポラス海峡を遡りたい。
聖ソフィアは、もう一度、個人で、ゆっくりと見学したい。
夕日が沈むころ、ガラタ橋から旧市街を眺めてみたい。
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観光バスに乗って、朝から日が暮れるまで、あれもこれもと駆け足で見て回る。そういう旅は感動が薄い。
旅の楽しみは、あれもこれもと見て回るのではなく、日常性を脱し、新鮮な目でものを見、感じるところにある。途中、漂泊感を感じたら、旅らしい旅である。
「歳月は人を深くする。旅もまた、人を深くする」。(夢枕獏『シナン』から)