ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

杜と社2…… 登りでは気づかなかった絶景に驚いた

2012年08月26日 | 随想…文化

南木佳士 『急な青空』 の 「源流へ」 から

 そして、3時間、苔むした針葉樹林間にひっそりと建つ 「千曲川・信濃川水源地標」 にようやくたどり着いた。オニギリを食べ、源流の水をペットボトルに汲んだ。

 帰りはゆっくりと景色を楽しみながら下った。登りでは足元に気をとられて気づかなかった絶景にあらためて驚いた。渓流の脇の草地で水音を聞きつつ木漏れ日を浴びながら寝ころぶと、いまこうして在ることのありがたさを感謝せずにはおられなかった。神は周囲の山川草木に満ちみちていた

       ★

 「登りでは足元に気をとられて気づかなかった絶景にあらためて驚いた」。── そう、私も残りの人生は、こういう発見と感動をしながら、景色を楽しんでゆっくり下っていきたいと思う。

 「神は周囲の山川草木に満ちみちていた」。

 この黒潮あらう日本列島に生まれ、生きた人々は、縄文の昔から現代まで、「国敗れて山河在り」 という一時期さえもあったのだが、時代を超えて、山川草木のなかに神を感じてきた。

 それは、生まれや肌の色によるのではなく、従って、身分や遺伝子によって身についたものではなく、また、この島国にやって来て長いか短いかということでもなく、この列島に生まれ育ち、 「日本語を母語としてきた人々」 に共通する感性であった。

 この列島の風土と言語によって培われた、基調となる「文化」である。

 好むと好まざるとにかかわらず、また、それぞれの思想・信条・宗教観などという表層を超えて、この列島に生まれ、育った人が共有する「文化」である。   

       ★

南木佳士『急な青空』の「源流へ」の続きから

 車を止めた場所の近くまで下りてくると、道の脇に小さな祠 (ホコラ) があった。これも行きには反対側の距離表示板に気をとられて目に入らなかった。無事の下山に感謝して深く頭を垂れた。

       ★

 神が、山川草木に満ちみちているということに気づかないのは、日常の何かに気をとられているからであって、目には見えていなくても、心には感じているのである。 

 

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杜と社1 …… 古神道の精神 (司馬遼太郎から) (改定版)

2012年08月23日 | 随想…文化

             ( 伊勢神宮 滝原の宮 )

 神道 ( シントウ ) については、司馬遼太郎に全面的に共感する。 

 以下、『この国のかたち五』 の  「神道」 から

      ★

 神道に、教祖も教義もない。

 たとえばこの島々にいた古代人たちは、地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも底つ磐根の大きさをおもい、奇異を感じた。

 畏れを覚えればすぐ、そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした。それが、神道だった。

 むろん、社殿は必要としない。社殿は、はるかな後世、仏教が伝わってくると、それを見習ってできた風である。(神道一)

      ★

 古神道というのは、真水のようにすっきりとして平明である。

 教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在す(オワス)。

 例として、滝原の宮がいちばんいい。

     (瀧原宮鳥居)

 滝原は、あまり人に知られていない。伊勢にある。伊勢神宮の西南西、直線にして30キロほどの山中にあって、老杉の森にかこまれ、伊勢神宮をそっくり小型にしたような境域に鎮まっている。

 場所はさほど広くない。

 森の中の空閑地一面に、てのひらほどの白い河原石が敷きつめられている。一隅にしゃがむと、無数の白い石の上を、風がさざなみだって吹いてゆき、簡素この上もない。

 十世紀初頭の 『延喜式』 にすでにこの滝原の宮のことが出ている。

 「大神 (伊勢神宮の内宮) の遥宮 (トオノミヤ) 」というのだが、遥宮の神学的な意味はわからない。神名の記載もない。

 このふしぎな滝原の宮と、それを大型にしたような伊勢神宮との関係についても古記録がない。

 本居宣長のいう言挙げ (コトアゲ) しないまますくなくとも十世紀以来、滝原の宮は伊勢神宮によって管理され、祭祀されてきた。神道そのものの態度というほかはない。(神道三)

      ★

 平安末期に世を過ごした西行も、(注:伊勢神宮に) 参拝した。

 「何事のおはしますをば知らねども辱さ(カタジケナサ)の涙こぼるる」

 というかれの歌は、いかにも古神道の風韻をつたえている。その空間が清浄にされ、よく斎かれていれば、すでに神がおわすということである。神名を問うなど、余計なことであった。 (神道四)

      (伊勢神宮内宮)

       ★

まとめれば次のようになる。

 古神道においては、神を感じ、その空間を清浄にすれば、そこが聖地となり、社である。社殿さえも必要としない。 

 神名 (祭神) を問うなど余計なことである。西行も、あの伊勢神宮に参拝して、「何事のおはしますかは知らねども」 と詠んだ。

 「言挙しない」 のが、神道の態度である。説明しないし、議論しない。教祖も教義もない。

 

 

 

 

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下り道の景色を楽しむ

2012年08月22日 | 随想…文化

 南木佳士のエッセイはいい。

      ★  

南木佳士『急な青空』所収「山林はどこだ」から

 ボヤ取りの山は急な坂を登り、神社の鳥居の前を通って行くのだった。子供の足で片道一時間近くかかった。

 「下を向いて、足元の一歩一歩を見てりゃ自然に山につくだ。先ばっかり見てるから遠く思えるだ」         

 まだかよお、とべそをかく私に祖母はやさしく言って聞かせてくれた。

 こんな、実践に裏打ちされた彼女の言葉が私の脳を創ってきた。でも、人生の峠を越えたいま、

「おばあさん、もう足元ばっかり見るのは飽きたから、ゆっくり景色を眺めながら坂を下るよ」

 と、天国の彼女に力なく笑いかけたい。

「いいさ。もとからおめえはそればかりの器だったんだから」

 祖母は哀れみながら許してくれそうな気がする。 

    ★   ★   ★

 社会に出たときから、仕事を通して世に尽くそうと、40年以上心身を燃焼させてきた。それなりに楽しかったし、充実感も感じて生きてきた。

 もういいだろうと、完全リタイアして5年。

 熱い日々が遠ざかっていくにつれ、年々、何も世の中に役立っていなかったような気がしてくる。

 心ならずも、人を傷つけ、人に迷惑をかけたことも思い出される。「もとからおめえはそればかりの器だったんだから」。…… 本当にそのとおりである。

 年を取ってなお恋々と 「宮仕え」 して一生を終えることはない。

 それに、組織という大樹に寄らず、独り、自らの生そのものを楽しんで日々を過ごす。── これはこれで、なかなか本当の人間力がないと、できないことである。

 今は、残りの人生、景色をゆっくり楽しみながら、山を下っていきたいと思っている。

       ★

 昨年行った「ドナウ川の旅」は、気候も良く、のどかで、心たのしく、印象的な旅だった。滔々と流れるドナウ川に沿って、列車を乗り継ぎ、古代ローマが造ったいくつかの町を訪ねたのである。

    ( ブタペストを流れるドナウ川 )

 西欧に心引かれ、ヨーロッパの文明・文化・歴史を自分なりに極めたくて、ヨーロッパ旅行に出かけること10数回。そろそろ終わりにしても良いかなと思い出した。自分なりに見るべきものは見たという充足感もある。「飢え」がなくなってきたのだ。あと少し、行きたくて、行きそびれている国に行くため、自力で計画し、自分の足で歩いて回れるよう、健康と体力と、ぼけない頭を維持し続けること。

       ★ 

 一方、国内旅行には、新たなテーマが生まれた。神々の杜と社をたずねる旅である。

 西洋を旅しながら、西洋とは何かを考え続けてきたが、一方で、日本とは何か、と考えることも多くなってきた。

 巨大なカテドラルの中の薄暗い空間に、おどろおどろしい磔刑のキリスト像や、無表情なマドンナ像。天井には、これまた人間を威嚇する最後の審判図。すべて大いなる「虚構」。その虚構を2千年も信じ続けてきた西洋人。

 イスラム教寺院は簡素だが、どこにいようと日に3回も床にはいつくばって礼拝することを求める絶対神。

 文明の大きさを感じ、西欧では時に人々の民度の高さや人間の優しさに感心することもあったが、一神教と、そこから生まれた、ものの見方・考え方・感じ方は、到底、日本人にはなじめないように思う。

 それに引き換え、日本の神社には、あのおどろおどろしさは、ない。簡素かつ晴朗である。

 手と口を清め、外気の中で、拍手を打って静かに目を閉じれば、耳にせせらぎの音を聞き、顔に風のそよぎを感じる。虫の声、木の葉の揺れる音。拝殿を囲む杜の自然林からは、弥生の息吹きや、時に縄文の気配を感じる。そこここに、人間に寄り添っても、決して人間を支配したりしない、物言わぬ (理屈をこねない) 神々の気配がある。

 ユーラシア大陸の東の果ての列島に生まれ、命をつないできた幾百千万の人々が、縄文の時代から変わることなくつないできた心は、杜と社で手を合わせる心である。

 

    (近所の八幡神社)

 大社や一の宮など有名な神社だけでも全国に多い。名を知られていないその土地土地の杜なら行く先々にある。日本の自然、日本の景観は、聖なる杜に残る。

 日傾きて、暮るるに未だ遠し。まずは健康に注意し、体力の維持を。

 

 

 

   

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「大出雲展」に行ってきました。

2012年08月19日 | 随想…文化

 京都国立博物館で開催中の「大出雲展」に行ってきました。

  「─ この夏、神話の国の物語 ─」とサブタイトルが付けられている割には、古事記の写本、埴輪や勾玉、銅矛・銅鐸などが淡々と並べられているだけという感じで、いささか期待はずれだった。1か月ほど前、2泊3日で出雲地方を旅し、本当にここは「神々の国」だな、と感銘を受けて帰っただけに、この展覧会に物足りなさを覚えた。

 帰りに、七条通り沿いの骨董店で、たまたま目についた切子ガラスのコップを3個買った。

   女主人らしい人が、冷たいお茶を入れてくれ、飲んでいる間に商品を包んで、やわらかいトーンで 「おおきに」 と言って送り出してくれた。その 「おおきに」 が心地よく、歩きながら 「ああ、ここは京都だ」 と、余韻を引いた。

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ロンドン・オリンピック6…… 最高に美しい言葉

2012年08月16日 | 随想…スポーツ

 オリンピック特集の終わりに、私が最も感動した選手の言葉です。

 男子20キロ競歩に出場したエリック・バロンド選手は、銀メダルを獲得しました。グアテマラ国で、史上初の五輪メダリストです。

 「この銀メダルがグアテマラの子供たちに勇気を与え、彼らが銃やナイフを置き、その代わりにトレーニング・シューズを手に取ってくれればいい。そうなったら自分は世界一の幸せ者だ」。

 「…… そうなったら、自分は世界一の幸せ者だ」。

 オリンピックを通じて、数々の選手たちの素敵な言葉に出会ってきたが、このグアテマラの選手の言葉は、最高に美しい。涙が出ます。

 

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ロンドン・オリンピック5…… 素敵な監督たち

2012年08月15日 | 随想…スポーツ

 「金メダルを目指して、最高の仲間と、最高のライバルを相手に戦えたことが、幸せだった」 (女子サッカー・沢穂希選手

 今回のオリンピックでは、チーム種目が好成績を挙げた。また、メダル獲得後の選手のコメントでも、「この仲間と闘えて、最高だった」という感想が多かった。

 確かに、女子サッカーも、女子バレーボールも、卓球団体女子も、チームとして機能していた。そして、その背後に、なるほどこの監督があってのメダルだなと思わせる、監督の人間力があったように見えた。

 スポーツに限らず、企業でも、学校でも、役所でも、ボランティア団体でさえも、リーダーがリーダーシップを発揮し、フォロアーがフォロアーシップを発揮することなしに、組織は機能しない。

   管理職の中には、命令することがリーダーの仕事だと錯覚している人もいる。部下は命令に当然従うべきだと考えている短絡的な管理職もいる。リーダーは、言うことを聞かない部下を処分したり、悪い評価点を付けて溜飲を下げるためにいるのではない。

 怒鳴ったり、殴ったりするのは最低である。それはリーダーとしての自らの無能をさらけ出している姿と言えよう。

 歴史を見ても、日本人は、専制君主には心服しない民族だ。古代から現代まで、例えば、帝も、将軍も、執権も、殿様も、西欧、中東、中国の、皇帝や、王や、教皇や、スルタンのような専制君主にはならなかった。

 もちろん、リーダーの役割は、単なる仲良しグループをつくることではない。

 組織の目標や戦略を確立していく創造性、その目標や戦略の達成に向けて部下の心を一つにする人間力、これがリーダーに最も必要な資質である。

 女子バレーの監督や女子サッカーの監督を見て思うのは、そういうリーダーとしての資質をもった監督であるということだ。

 

 

 

 

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ロンドン・オリンピック4…… 敗れた仲間を思う気持ち

2012年08月13日 | 随想…スポーツ

 女子柔道で、金メダルを取った直後の松本薫選手へのインタビュー。

 「勝った瞬間に、この金メダルは、私だけのものではないなと思いました」。

インタビュアーは、「支えてくれた家族とかコーチやスタッフのことですか?」と聞いた。

 「それもありますが、(金メダルを期待されて敗退した)48キロや52キロの選手とも、一緒に練習してきましたので…」。

 彼女たちの悔しさ、無念さを誰よりも感じていたのだろう。

 それにしても、柔道関係者は、金メダル以外はメダルでない、という言い方をするのは、もうやめたほうが良い。神がかりの武道ではなく、スポーツなのだから、世界は日進月歩である。にもかかわらず、そういう言い方をするのは、それこそ、驕りであり、驕りはスキをつくる。

 他の種目と同様、銀でも、銅でも、心からメダルを取れたことを喜ぶべきだ。日本柔道界は、驕りを捨てるところから始めてほしい。

 

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ロンドン・オリンピック3…… マナーの悪い隣国のこと

2012年08月13日 | 随想…スポーツ

 体操男子団体。日本の抗議の結果、銀から銅にメダルが繰り下がった英国チームの選手は、「僕らには銀でも銅でもすばらしい」と目を輝かせた。

 自転車女子スプリント。英国選手が再レースの末、ライバルの豪州選手に敗れて、金メダルを逃してしまった。だが、直後に二人で手をつなぎウイニングラン。

 だから、主催国・英国の観客は、英国選手が不運にも繰り下がってしまったその相手国の日本や豪州選手を、温かい拍手で包んだ。

 勝敗を超え、人間としての選手の資質が表れる瞬間がある。

                                              以上、読売新聞から

        ☆

 英国の観客のマナーは大変良かったと賞賛されている。

 ひきかえ、韓国の観客や選手は、オリンピックにまで領土問題を持ち込む。

 どこの国にも馬鹿はいる。しかし、一人の馬鹿なサッカー選手の問題ではなく、韓国国民が拍手喝采してこの行為を支持している。

 さらに報道によれば、「 (自国のサッカー選手の行為を) 非紳士的な行為であった」とした韓国サッカー協会の会長は、韓国の国会議員らから、「おまえはどこの国の人間だ」とつるし上げられ、さらにマスコミにこぞってたたかれ、辞任に追い込まれること間違いないという。

 近年、経済は先進国並みになった。だが、民度は低い。

 サッカーというスポーツの場、ましてオリンピックというスポーツの祭典に、領土・外交問題を持ち込むことがいかに品位のない行為か、そういうこともわからない民は、民度が低いというほかない。

        ☆

 ここで、あえて韓国の反日教育に反論すれば、そもそも日本は韓国を併合したのであって、「植民地」にしたことなど一度もない。

 併合後は、日本国の一地方として、村々に小学校をつくり、ハングルの読み書きを教え、義務教育をゼロから90%台まで推し進めた。道路を造り、ダムを造り、電気を通した。これらの事業は日本の国家予算で実施され、本土からの持ち出しが多かったことは韓国の学者も認めている。

 故に、「植民地」であったことを理由に損害賠償を要求するのはおかしい。持ち出し分の返還こそ、要求されても仕方ない立場である。そもそも旧植民地 (例えばインド) が、旧宗主国 (例えばイギリス) に賠償を要求し、旧宗主国がそれに応じたという例は、世界に1例もない。  

 日本国に併合されたということは、李氏朝鮮時代と違って、法治国家になったということである。

 白昼堂々と、たんぼで、若い女性を、日本軍が拉致・連行するなど、ありえないことである。気の毒なことだが、親が貧しさの故に娘を女衒に売ったのだ。だから、たんぼにいる村人たちも黙って見ていた。そういう悲しい事例は日本の農村でもたくさんあった。そういう時代だった。もし日本軍がそんなことをしたとしたら、その時点で暴動が起こっていただろう。韓国でも日本でも。

 ただし、日本軍による拉致はなかったということであって、売春・買春そのものは戦前、日本でも欧米諸国でも、合法であった。途上国は言うまでもない。そして、軍隊の駐屯するところ、必ずそういう商売が成り立った。敗戦後、連合軍(米軍)によって占領された日本でも、沖縄でも、そういうことはあった。自分が、家族が生きていくために、若い日本人女性がたくさん米兵に「春」をひさいだ。(松本清張『零の焦点』)。ベトナム戦争の時には、ベトナムで、韓国兵士がベトナム女性を性奴隷にした。これは、まさに性奴隷で、無茶苦茶だったらしい。(野村進『コリアン世界の旅』講談社1996年)

 日本で売春が非合法化されたのは、戦後のことである。オランダなどでは、今も非合法されていない。韓国で非合法化されたのはつい最近のことで、最近まで、飾り窓の女がいた。つまり、最近まで、韓国の男が韓国の女性を「性奴隷」にしていたという事実を抜きにして、この問題を語るのは卑怯というものだ。「人は、自分が見たいと思うものしか、見ない」(ユリウス・カエサル)。

 しかし、「従軍慰安婦」とか、日本軍による白昼堂々の女性拉致などは、それこそ白昼夢である。

 韓国は、日本統治下の実情について、或いは、なぜ併合されるに至ったかについて、いつまでも軍事政権時代と同じ歴史観ではおかしいということに気づくべきである。

 韓国歴史教科書の正しい書き直しは、韓国の急務である。

 

 

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ロンドン・オリンピック2 笑顔で

2012年08月13日 | 随想…スポーツ

 「プロの世界チャンピオンは何人もいて、すぐに価値が下がる。僕は最もシビアで、価値のあるもの、金メダルを目指してきた」。

 「妻がいて、息子がいて、ボクシングができる。僕は恵まれている。そう思うと笑顔が出てくる」。

 ミドル級で金メダル!! 村田諒太

 「そう思うと笑顔が出てくる」。…… すごい立派なチャンピオンです。

 

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初投稿 ロンドン・オリンピック(2012)1 敗者への敬意

2012年08月13日 | 随想…スポーツ

   女子サッカー・対フランス戦の後、その場に座り込んだフランスのアビリー(元チームメイト)のもとに宮間が歩み寄って肩を抱いた。

 宮間「サッカーはどっちが勝っても心が痛い」。

 勝っておごらず、負けた相手の悔しさに共感できる、その繊細さがすばらしい。

         ★ 

 昨年のワールドカップ決勝戦の日本対米国は、PK戦までもつれ、日本が歓喜の優勝を勝ち取った。

 敗れた米チームのGKソロは、その後、米国のテレビ番組で、「 始めてW杯を手に入れたのに、歓喜の輪に入らず、まず私たちのところに来た。日本が相手を尊重する心を持っていることがよくわかった」と語った。

   以上は、読売新聞から。

         ★

 「なでしこ」と同じように、アメリカも立派なチームだった。

 「最高の舞台で、最高の仲間とともに、最高の相手と戦えて幸せだった」。(試合後、沢選手)

 

 

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