高校の運動部のみならず、日本のトップアスリートを集めた代表チームの中でも、旧態依然とした監督、コーチの暴力・暴言がまかり通っていた。
一方、ロンドンオリンピックで結果を出した女子サッカーや女子バレーボールの監督は、映像を通して見るだけだが、どこかさわやかである。彼らは、どのような態度と指導法で選手たちに接しているのだろう?
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試合中、iPadを手にしながら選手に指示を出す真鍋政義監督。素人目にも、新しい監督像だ。 選手に対して偉そうなそぶりがなく、まして、トゲトゲしい感じなどさらさらなく、「オレ様監督」でも、「カリスマ監督」でもないところが、良い。
先日、テレビで、五輪に向けて取り組む「真鍋ジャパン」のエピソードを紹介する番組があった。
オリンピック前の国際試合で、エースの木村沙織が敵のサーブの的となり、サーブレシーブで崩されて、攻撃でも本領を発揮できないでいた。
毎晩、練習後も深夜まで、木村沙織のビデオを研究していた一人のコーチが、ついに彼女のサーブレシーブの悪い癖を見つけた!! 翌日から彼女は、長い選手生活の間に身に付いてしまっていた自分の癖を克服するための必死の取り組みを始めた。オリンピック後、海外で活躍する木村沙織のサーブレシーブは、世界のトップクラスを集めたチームの中でも、一級品だ。このコーチは精神主義でなく、自分の仕事をした。そのお陰で、木村沙織はオリンピックでエースの活躍をした。
女子柔道の選手たちが改革を要求したのは当然である。本来、やる気も気合も人に負けないから、日本代表に選ばれたのだ。出来ないのは気合が足りないからだと、殴ったり、蹴ったり、暴言を浴びせたり‥‥そんな子どもじみた指導は全く必要ない。監督やコーチは、本来求められているその役割を果たさなければいけない。
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真鍋監督は、中国戦を避けて通れない戦いと考える。実は日本は、これまでオリンピックで中国に勝ったことが一度もない。それのみか、1セットを奪ったこともない。
「中国チームの弱点はここだ」と監督。 そのわずかな弱点を突くために、木村沙織を中心にしたチームの激しい練習がくり返される。 「もっと早く!」「もっと早く!」。 それは、チーム全員が必要と納得し、これが出来なければ、メダルはないという、必死の練習だった。
ロンドンオリンピックで、中国とはフルセットを戦い、その合計点でわずか2点、日本が上回った。この中国戦の激闘を制したとき、メダルは半分、確定したといっても良い。
女子バレーの監督もコーチも、相手を研究し、自チームの選手を研究し、適格な指導方針を立てて練習させた。だから、選手たちは、監督コーチを信頼し、希望をもって、努力した。彼らはその仕事を果たしたのだ。そうでなければ、世界でメダルは取れない。
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3月2日付け、読売新聞朝刊に、「スポーツ選手指導 佐々木則夫氏」というインタビュー記事があった。
「なでしこジャパン」の監督。 女子ワールドカップ・ドイツ大会で金メダル。 ロンドン五輪で銀メダル。これはすごい!! 話を聞いてみたい指導者である。
< 選手の指導で最も大切にしていることは何か?? >
「スポーツの楽しさを教えることだ。動く楽しさがあり、知る楽しさがあり、かかわる楽しさがある。‥‥」
トップアスリートでも、スポーツはやっぱり楽しいのだ !!
身体を動かす楽しさだけでなく、「知る」、すなわち知的な活動、研究活動の楽しさを知らなければ、一流のプレーヤーにはなれない。そして、他者と連携し、かかわり、美しい流れを作っていく喜び。チームプレイの楽しさだ。
「チームは監督だけが作るのではなく、選手と一緒に作るものだ」
これは、どんな組織でも、…… 社長でも、病院長でも、校長でも、将軍でも、大臣でも、リーダーの心得の第1条だ。
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< 指導者に求められるものは何か?? >
「やはり対話だと思う。 監督が言っただけで、すべてができるようになるわけではない。監督と選手が話し合いながら、練習を積み重ね、チームとして、また、個人として成長していくものだ。…… 叩いて教えるのでは、調教と同じだ」。
次の言葉は、少年野球や少年サッカー、高校の運動クラブの監督、さらにトップアスリートチームの監督・コーチまで、しっかり味わってほしい言葉である。
「『 責任を持って行動できているか』『情熱のある指導ができたか』『選手が練習内容を理解できたか』というような項目を作って、毎晩、部屋で確認している。振り返ってみて、自分の指導が悪かったら、率直に選手に伝える。すると、選手たちは 「そうでしょう」という顔をする。その後で、『大事な部分なので、もう一度練習したい』と提案すると、選手たちはこれまで以上に協力してくれる」。
監督が自らを評価する評価表を作り、毎晩、自分を厳しく評価している。
そして、自分の間違いは間違いとして率直に選手に自己開示する。この向上心と探究心が、選手の意識も知識も高めていく。さわやかな知性が匂う。この監督は、真の意味で自信をもっている。 「オレ様監督」ではないし、「カリスマ監督」 とも縁がない。
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「組織はタテの意識よりも、ヨコの意識が強いほうがうまくいく。女子サッカーの場合、日本サッカー協会女子委員会があり、監督にとって女子委員長と女子強化部長の2人は、会社に例えれば上司となる。もしタテの気持ちを持つと、上司からは結果を求められ、重圧となる。私の場合、そんな意識は全くない。 女子委員長も女子強化部長もヨコの意識を持っているので、いろいろな相談が出来、問題が解決できる」。
監督も組織の一員だから、上司に当たる存在はある。監督がトップではない。
プロ野球で言えば、「フロント」 があり、 「監督、コーチ」 と 「選手」 がいる。全てのプロ野球の球団が、以下のように機能しているかは別にして、どのような野球を目指すのかというチームの方向性は、球団社長を中心にした 「フロント」 が作る。その上で、その目指す方向に向かってチームを育ててくれる 「監督・コーチ」 を選び、その方向性に必要な「選手」を集めてくる。
ここで、佐々木監督が言っているのは、監督と、女子委員長や強化部長との関係が、上下の身分関係ではあるが、一方で、一つの目標を目指す、精神的な同士の関係でもあるということだ。互いにハートがあつく、研究熱心で、「熱」 によって結ばれているから、打てば響くのだ。
だが、くれぐれも誤解してはいけない。
「なでしこジャパン」の監督は、日本サッカー協会女子委員会の目指す大きな方向性を実現してくれる人であり、歴代監督の指導を引き継ぎさらに高めてくれる人として選ばれたのである。佐々木監督に、全てを「丸投げ」したわけではない。
監督に「丸投げ」し、監督が代わるたびに、その監督が自分の考えで、一から自分の好きな方向に出直していたのでは、砂で楼閣を築こうとしているようなものである。5年、10年と低迷し続ける組織の一つのパターンである。
だから、「チームは監督だけが作るのではなく、選手と一緒に作るものだ」と言っても、監督が、選手たちに、「5年後のなでしこ、10年後のなでしこを、どんなチームにするか、皆で考えてこい 」 などという諮問をしたら、これはもうお笑い種である。
それは、選手が考えることではない。監督が代わるたびに、新監督がそんなことを選手に諮問していたら、それはもう不毛のチーム作りだ。監督と選手の「民主主義ごっこ」など、している暇はない。
選手は明日の試合の勝利に向けて、自らがどう貢献するかについて考え、精進しなければいけない。そのために召集した選手たちだ。
監督と選手とでは、目の高さが違うのである。
目の高さが高ければ、遠く、広く見える。
その代わり、選手や平社員、係長、課長クラスは、それぞれに、社長よりも、もっとよく見えている世界がある。
だから、監督、選手が同士となって、それぞれをリスペクトし合いながら、勝てるチームに成長していくのである。