ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

散歩道 2 … 龍田大社

2013年03月26日 | 随想…散歩道

 わが家の近くで、「大社」 と名の付く神社は龍田大社である。

 20代のころ、この地に転居してきて以来、初詣はずっとここ。

 そのころ、亡き父もまだ働き盛りで、歩いて初詣に行ったことがある。

 途中、あぜ道などもまだ残っていて、水溜りを跳び越えたりしながら歩いたのを覚えている。遥々と遠かったような気がするが、亡父の方は、岡山県の山の中の農家で育った人だから、それほど苦にはならなかったのかもしれない。

 しかし、歩いてお参りしたのは、その一度きりである。

 子どもたちも、この神社に詣でた。

 小学校高学年のギャングエイジの時代から中学生のころにかけて、仲間たちと龍田大社まで遊びに行くこともあったようだ。 同じ校区だから、近くに友人の家もあったかも知れない。

  特に次男は、大晦日の深夜から元旦の朝にかけ、仲間たちと徒党を組んで参詣に行っていた時期があったが、あれは、初詣用に振舞われる樽酒のお神酒がねらいだったのだろうか。

         ★

 その道も、今は、散歩道の一つになった。

 うらうらとお天気の良い日が楽しい。 

  旧家の家並みが続くのどかな道があり、2階が納戸になっているお宅などもある。

 やがて、杜が見えてきて、朱の鳥居をくぐり、境内へ。

 

 

 拝殿の前に立つと、拝殿の床の向こうに、杜を背にした本殿が見通せる。両サイドには、摂社が並んでいる。この景観がとても好きだ。

   

 主祭神は天御柱命と国御柱命となっているが、意味不明。古来から(少なくとも、日本書紀の時代には)、風の神様、「風神」で通っている。そのほうが、かっこよくて、好きである。

 一説に、斑鳩の里を本拠とした聖徳太子もあつく信奉されたとか。ちなみに、現在の奈良県の行政区画で言えば、龍田大社があるのは三郷町。法隆寺や、龍田大社を勧請した竜田神社があるのが、お隣の斑鳩町である。

 聖徳太子亡きあと、斑鳩に住む皇子の一族は滅亡させられる。その一族の古墳の方に向いて、一族の霊を鎮めるために、皇子が愛した龍田大社を勧請して建てられたのが、斑鳩の竜田神社だと言う。

         ★

 錦秋の女神である竜田姫は、平城京の西方に当たるわが竜田山の神霊。本殿の横に、その龍田姫を祀る摂社もある。

 なお、春をつかさどるのは、平城京の東にある佐保山の佐保姫。

 龍田大社境内の末社の一つに、白龍神社があって、その少し怪しげな雰囲気が、今、流行りのパワースポットのイメージと重なってか、若い人に人気があるようだ。

 それよりも、本殿の横に配列されている摂社や末社とは別の、境内の離れた一角に下照姫神社があり、説明書きもなく、気になる。

  下照姫については、日本書紀などにいくつかの異なる記述があるようだが、一様ではなく、私などにはよくわからない。よくわからないが、とにかく出雲系の女神である。

 池があり、橋があって、そのたたずまいは物語りめいており、いつも心ひかれる。初めは、ここが龍田姫の社かと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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散歩道1…散歩をはじめました

2013年03月21日 | 随想…散歩道

  ( 散歩道 … 塀の上の大黒様 )

 昨年の秋ごろから、運動のために散歩するようになった。

 初めは運動不足を解消しなければいけないという強迫観念からであったが、歩くことに慣れてくると、「この道をもう少し先へ歩いたらどんな景色があるだろう」とか、「今日は車で初詣に行くあの神社まで歩いて行ってみよう」とか、「今日はこっちの道へ行ってみよう」などと、チャレンジすることも楽しくなり、自ずから距離も伸び、新しい発見があり、いくつかのマイコースも出来て、今では1時間から1時間半くらいの楽しい散歩の時間になっている。

 例えば、古くからの立派なお屋敷には、塀の上の瓦に福を呼ぶ像や災いを防ぐ恐ろしい顔の像があったりして、目を愉しませてくれる。

 玄関脇にあるフクロウや蛙も面白く、遊び心がわいてきて、わが家も陶器の蛙を買ってきて庭に置いてみた。

 釣るし柿を干しているお家もあって、ゆかしい。と思えば、2階の庇に猫!

 ローカル線の踏切を渡る。

 気をつけて歩いていると、あちこちにお地蔵さんがあって、その一つ一つがとても丁寧にまつられている。日本人って、神仏を大切にする民族なのだと改めて思う。

  

 やがて小さな社に着く。全国に何千とある八幡社の一つ。でも、この旧村の小さなお社の小さな本殿は室町時代のもので、国の重要文化財指定だから、馬鹿にしてはいけない … ということも、立て看板を読んで発見した。

 

 

 その小さな境内に、伊勢神宮遥拝所があった。

 そこから、遥かに伊勢神宮の方を眺めると、何と、これから向かおうとする春日神社のこんもりした杜(モリ)が見えるではないか! 春日大社ではありません。春日大社から勧請されてできた隣の旧村の小さな春日神社のことです。わが八幡社 → 春日神社 → 伊勢神宮が一直線上に!! これはきっと意味がある?と、一瞬、古代のミステリーかと考えた。

 が、わが住む大和は、国のまほろば。東に向けば、伊勢神宮、その先に富士山も、皇居もある。西を向けば、瀬戸内から北九州。日本列島が、そのように連なっているのだ。

 大和川沿いを歩いて、その春日神社へ。

  

    

 ここも小さな社だが、杜が静かで、手を合わせ、耳をすますと、いつも小鳥の声が聞こえてくる。

         ★          

 それまで運動不足を補うために近くのプールに行って小1時間、水中ウォーキングしたり、軽く泳いだりしていたのだが、若いころにやっていた野球などのスポーツの楽しさと比べると、単調でアキがくる。

 今は、プールは1週間に1回だけ。1時間のアクアビクス講習に参加し、思いっきり、手足を動かす。

 そして、週2回の散歩。小型カメラを持って、あちこち写すのも楽しい。これからの春の季節はもっと楽しいだろう。

 

 

 

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スポーツ界の新しい指導者たち‥‥私のリーダー論

2013年03月10日 | 随想…スポーツ

 高校の運動部のみならず、日本のトップアスリートを集めた代表チームの中でも、旧態依然とした監督、コーチの暴力・暴言がまかり通っていた。

 一方、ロンドンオリンピックで結果を出した女子サッカーや女子バレーボールの監督は、映像を通して見るだけだが、どこかさわやかである。彼らは、どのような態度と指導法で選手たちに接しているのだろう?

         ☆

 試合中、iPadを手にしながら選手に指示を出す真鍋政義監督。素人目にも、新しい監督像だ。 選手に対して偉そうなそぶりがなく、まして、トゲトゲしい感じなどさらさらなく、「オレ様監督」でも、「カリスマ監督」でもないところが、良い。

 先日、テレビで、五輪に向けて取り組む「真鍋ジャパン」のエピソードを紹介する番組があった。

 オリンピック前の国際試合で、エースの木村沙織が敵のサーブの的となり、サーブレシーブで崩されて、攻撃でも本領を発揮できないでいた。

 毎晩、練習後も深夜まで、木村沙織のビデオを研究していた一人のコーチが、ついに彼女のサーブレシーブの悪い癖を見つけた!! 翌日から彼女は、長い選手生活の間に身に付いてしまっていた自分の癖を克服するための必死の取り組みを始めた。オリンピック後、海外で活躍する木村沙織のサーブレシーブは、世界のトップクラスを集めたチームの中でも、一級品だ。このコーチは精神主義でなく、自分の仕事をした。そのお陰で、木村沙織はオリンピックでエースの活躍をした。

 女子柔道の選手たちが改革を要求したのは当然である。本来、やる気も気合も人に負けないから、日本代表に選ばれたのだ。出来ないのは気合が足りないからだと、殴ったり、蹴ったり、暴言を浴びせたり‥‥そんな子どもじみた指導は全く必要ない。監督やコーチは、本来求められているその役割を果たさなければいけない。 

         ☆

 真鍋監督は、中国戦を避けて通れない戦いと考える。実は日本は、これまでオリンピックで中国に勝ったことが一度もない。それのみか、1セットを奪ったこともない。

 「中国チームの弱点はここだ」と監督。 そのわずかな弱点を突くために、木村沙織を中心にしたチームの激しい練習がくり返される。 「もっと早く!」「もっと早く!」。 それは、チーム全員が必要と納得し、これが出来なければ、メダルはないという、必死の練習だった。

 ロンドンオリンピックで、中国とはフルセットを戦い、その合計点でわずか2点、日本が上回った。この中国戦の激闘を制したとき、メダルは半分、確定したといっても良い。 

 女子バレーの監督もコーチも、相手を研究し、自チームの選手を研究し、適格な指導方針を立てて練習させた。だから、選手たちは、監督コーチを信頼し、希望をもって、努力した。彼らはその仕事を果たしたのだ。そうでなければ、世界でメダルは取れない。

    ☆    ☆    ☆

 3月2日付け、読売新聞朝刊に、「スポーツ選手指導 佐々木則夫氏」というインタビュー記事があった。

 「なでしこジャパン」の監督。 女子ワールドカップ・ドイツ大会で金メダル。 ロンドン五輪で銀メダル。これはすごい!! 話を聞いてみたい指導者である。

選手の指導で最も大切にしていることは何か??

 「スポーツの楽しさを教えることだ。動く楽しさがあり、知る楽しさがあり、かかわる楽しさがある。‥‥」

 トップアスリートでも、スポーツはやっぱり楽しいのだ !! 

   身体を動かす楽しさだけでなく、「知る」、すなわち知的な活動、研究活動の楽しさを知らなければ、一流のプレーヤーにはなれない。そして、他者と連携し、かかわり、美しい流れを作っていく喜び。チームプレイの楽しさだ。

   「チームは監督だけが作るのではなく、選手と一緒に作るものだ」

 これは、どんな組織でも、…… 社長でも、病院長でも、校長でも、将軍でも、大臣でも、リーダーの心得の第1条だ。

         ☆

指導者に求められるものは何か??

 「やはり対話だと思う。 監督が言っただけで、すべてができるようになるわけではない。監督と選手が話し合いながら、練習を積み重ね、チームとして、また、個人として成長していくものだ。…… 叩いて教えるのでは、調教と同じだ」。

 次の言葉は、少年野球や少年サッカー、高校の運動クラブの監督、さらにトップアスリートチームの監督・コーチまで、しっかり味わってほしい言葉である。 

 「『 責任を持って行動できているか』『情熱のある指導ができたか』『選手が練習内容を理解できたか』というような項目を作って、毎晩、部屋で確認している。振り返ってみて、自分の指導が悪かったら、率直に選手に伝える。すると、選手たちは 「そうでしょう」という顔をする。その後で、『大事な部分なので、もう一度練習したい』と提案すると、選手たちはこれまで以上に協力してくれる」。

   監督が自らを評価する評価表を作り、毎晩、自分を厳しく評価している。

 そして、自分の間違いは間違いとして率直に選手に自己開示する。この向上心と探究心が、選手の意識も知識も高めていく。さわやかな知性が匂う。この監督は、真の意味で自信をもっている。 「オレ様監督」ではないし、「カリスマ監督」 とも縁がない。

        ☆

 「組織はタテの意識よりも、ヨコの意識が強いほうがうまくいく。女子サッカーの場合、日本サッカー協会女子委員会があり、監督にとって女子委員長と女子強化部長の2人は、会社に例えれば上司となる。もしタテの気持ちを持つと、上司からは結果を求められ、重圧となる。私の場合、そんな意識は全くない。 女子委員長も女子強化部長もヨコの意識を持っているので、いろいろな相談が出来、問題が解決できる」。

   監督も組織の一員だから、上司に当たる存在はある。監督がトップではない。

 プロ野球で言えば、「フロント」 があり、 「監督、コーチ」 と 「選手」 がいる。全てのプロ野球の球団が、以下のように機能しているかは別にして、どのような野球を目指すのかというチームの方向性は、球団社長を中心にした 「フロント」 が作る。その上で、その目指す方向に向かってチームを育ててくれる 「監督・コーチ」 を選び、その方向性に必要な「選手」を集めてくる。

 ここで、佐々木監督が言っているのは、監督と、女子委員長や強化部長との関係が、上下の身分関係ではあるが、一方で、一つの目標を目指す、精神的な同士の関係でもあるということだ。互いにハートがあつく、研究熱心で、「熱」 によって結ばれているから、打てば響くのだ。

 だが、くれぐれも誤解してはいけない。

 「なでしこジャパン」の監督は、日本サッカー協会女子委員会の目指す大きな方向性を実現してくれる人であり、歴代監督の指導を引き継ぎさらに高めてくれる人として選ばれたのである。佐々木監督に、全てを「丸投げ」したわけではない。

 監督に「丸投げ」し、監督が代わるたびに、その監督が自分の考えで、一から自分の好きな方向に出直していたのでは、砂で楼閣を築こうとしているようなものである。5年、10年と低迷し続ける組織の一つのパターンである。

 だから、「チームは監督だけが作るのではなく、選手と一緒に作るものだ」と言っても、監督が、選手たちに、「5年後のなでしこ、10年後のなでしこを、どんなチームにするか、皆で考えてこい 」 などという諮問をしたら、これはもうお笑い種である。

 それは、選手が考えることではない。監督が代わるたびに、新監督がそんなことを選手に諮問していたら、それはもう不毛のチーム作りだ。監督と選手の「民主主義ごっこ」など、している暇はない。

 選手は明日の試合の勝利に向けて、自らがどう貢献するかについて考え、精進しなければいけない。そのために召集した選手たちだ。

 監督と選手とでは、目の高さが違うのである。

 目の高さが高ければ、遠く、広く見える。

 その代わり、選手や平社員、係長、課長クラスは、それぞれに、社長よりも、もっとよく見えている世界がある。

 だから、監督、選手が同士となって、それぞれをリスペクトし合いながら、勝てるチームに成長していくのである。

 

 

   

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