ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

梢の花を見し日より …… 散歩道(14)

2016年04月28日 | 随想…散歩道

          (春の大和川と信貴山)

 いささか時季外れだが、この春に撮りためた写真の中から。

(1) 遍照院の枝垂れ桜

 この枝垂れ桜については、「まさをなる…(散歩道9)」で触れた。

 信貴山の山の麓、旧村のりっぱな邸宅が思い思いに建つ、そのいちばん奥まったところに、遍照院という小さな寺院がある。その枝垂れ桜である。

 

                   (遍照院の門)  

 三郷町の指定文化財になっているが、あまり知られていない。というよりも、山里のため車で入ることができないから、自分がそうであったように、訪ねてみようという気にならないのだろう。

 樹齢は、「推定250年を経過している」と、町の教育委員会の立てた看板にある。

 ソメイヨシノより少し早く開花し、気品のある寺の境内に、春になると妖艶な彩りを添える。

 昨年は、うまく満開のときに行き合わせたが、今年の訪問はかなり早すぎた。それでも、ちらほらと訪れる風流人はいる。そして、それなりに風情はある。

 

(昨年の遍照院の優艶な枝垂れ)

  (今年の遍照院の枝垂れ)

 (2) 八幡神社の杜 (モリ)

 八幡社は全国津々浦々にあるが、わが家から徒歩15分の所にも、小さな社がある。この社については、「里の春…(散歩道7)」で書いた。

 

           (八幡神社)

 町の教育委員会が立てた説明板によると、かつて、本殿改修の折、棟木に「永正拾壱年甲戌九月十五日」の銘があるのが発見された。西暦1514年創建ということで、すでに500年を超えている。故に、村の小さな八幡社といえども、国の重要文化財である。

 最近では、昭和25年に全面解体修理され、平成19年に屋根の檜皮を葺き替えた、とある。 

 日本の場合、地中海文明のような石の文明ではないから、かつての「夢の跡」が朽ちずに残るということはない。

 しかし、伊勢神宮や出雲大社の式年遷宮に見るように、日本文化の特徴は、世代から世代への「継承→更新→継承」であるから、モノだけでなく心も一つになって、更新されながら幾世代もつながっていくことになる。

 だが、日本列島に生きてきた人々の心は、社よりも、社の周りの杜 (モリ)にあった。杜があってこその神社である。

 

           (八幡神社の杜) 

                                                                                   (3) 信貴山寺 (朝護孫寺) の桜

 信貴山寺 (朝護孫寺) については、「信貴山…(散歩道3)」で紹介した。

 かつて、近鉄の「信貴山下」駅からケーブルカーが出ていて、ケーブルを降りると、「信貴山寺」に至る参道 (門前町) があり、年始年末は言うまでもなく、日頃からそれなりに賑わっていた。

 近鉄が、採算が取れないとケーブルカーから撤退し、今は町営のバスが、かろうじて、上の住人と近鉄の駅や役場をつないでいる。

 それで、観光客や、参詣に訪れた人々は、観光バスやマイカーで一気に信貴山寺の駐車場に至るから、参道 (門前町) は寂しくなってしまった。

 今日は、車を、昔のケーブルカーの終点近くの駐車場に置いて、久しぶりに参道(門前町)を歩いてみた。

  (参道と山門)

 緩やかな上りの参道には、今も、旅館や食堂があり、ひっそりと営業している。 

 春、古武士の立ち姿のような山門は、桜で、ほのかに彩られていた。

 山門近くに、草餅を作って売る店がある。草餅はスーパーでも買えるが、知る人ぞ知る、昔からここの草餅は旨い。年のせいか、洋菓子よりも、こういうものの方が旨いと思う。

 やがて、信貴山寺の名物の張り子の大トラがある。その向うには、高く、本堂の毘沙門天堂がその姿をのぞかせる。いつもと違うのは、あちらこちらに桜、桜、桜で、華やいでいることだ。 

    (毘沙門天堂と張子の虎)

 毘沙門天堂に上がると、右下方に歩いてきた参道、左手には桜の大和平野が見渡せた。

 

    (毘沙門天堂からの眺望)

 帰り道に、古来からの山桜を見かけた。ソメイヨシノは、江戸期の終わりごろに生まれた掛け合わせの雑種で、「桜と旅」を愛した中世の歌人・西行が見た桜は、このヤマサクラだ。

        ( 山 桜 )

 花と葉が同時に出る。同じ場所の木であっても、開花に1週間くらいズレがある。ソメイヨシノより長寿で、巨木になる。

 北面の武士で、武芸にも秀でた佐藤義清 (ノリキヨ) =西行が23歳の若さで出家したのは、高貴の女性に恋をしたからだと言われる。待賢門院説、美福門院説、上西門院説など諸説あるが、それが誰であるかを詮索することにたいして意味はない。

 いずれにしろ、西行にとって、それはこの花のような感じの女性だったのであろう。

 葉のやわらかい緑と、花の白さがコントラストになって優美であり、ソメイヨシノよりも一段と清楚である。

        ★

(4) 桜

辻邦夫「詩人であること」から

 「先日も旅の疲れを休めようと、信州の山小屋で谷の斜面を渡ってゆく風の音を聞きながら『山家集』を開いていたら、ふと、

   吉野山 梢の花を 見し日より 

     心は身にも そはずなりにき

という歌が眼にとまって、半日というもの、しきりと『梢の花を見し日より』が頭について離れなかった。たしかに私たちの生涯のある一日、『梢の花』を見てしまうような瞬間があるのである。それを見たら、恋と同じくもうお終いであって、私たちは、日常の世界から、向こう側の世界 ── 花や雲や月の世界 ── へ移り住むことになる。心はこの世の興亡利害とは無縁となり、勝手に浮かれてゆく」。

 

大仏次郎「帰郷」から 

 「『年をとったのだ、俺たち』と、恭吾はつぶやいた。

 『桜がきれいに見えるようになったのだ。桜、桜、と言うが、俗悪で、つまらぬ花だと思っていたがなあ』

 『花と、人間の年齢とは、あまり関係ないだろう』

と、言うのに抗議して、

 『いや、そうじゃない。若いうちは、花を見ることをたぶん知らずにいるのだ』」

        ★   

(5) 庭周辺に自生する草花からの拾遺集

  

 

 

 

 

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