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ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

スサノオ伝説の旅 1‥‥オロチの里を訪ねる

2013年08月09日 | 国内旅行…スサノオ伝説の旅

                       ( オロチの里へ )

 縄文時代、弥生時代、古墳時代‥‥古代は霧の中にある。

 日本語は、いつごろ、どのようにして生まれたのだろう?

 縄文人と、弥生人とは、どのようにつながっていったのか?

   「大和は国のまほろば」という。 その大和は、いつごろ、どのようにして、この国の中心に成長していったのだろう … などなど、謎は多く、知りたいことばかりである。

 知りたいことは多いが、遠い時代のこの国の姿は、まだ深い霧の中にあって、見えているのはおぼろげな影ばかり。

   「神々の国・出雲」。 ‥‥ ここもまた、なぞのクニである。

  今回は、その神々のうちの、スサノオにまつわる伝説の地を訪ねて、ドライブの旅に出た。

      ☆   ☆   ☆

すれ違う車も、人家もない … >

 中国自動車道の庄原インターから少々、イザナミ伝説のある比婆山中腹の宿に一泊する。 ここはスキー場があり、今はシーズンオフのウィークデイだから、宿もひっそりしている。 土地の名酒、「比婆美人」をいただいた。

 翌朝、国道314号線を宍道湖方面へ向けて北上し、スサノオ伝説の残る地を訪ねる。

 「草深い」、としか言いようのない山や谷の中を、これだけは近代的な国道が走り、道は県境を越えて、島根県の奥出雲地方へ入った。

 すれ違う車はめったにない。人家もない。

 山々は緑で、トンネルを抜けると、「おろちループ」に差し掛かった。

 二重にとぐろを巻いたヤマタノオロチをイメージしたという、日本一のループ道路を降っていく。

          ☆

オロチの棲んだ淵 > 

 最初に目指したのは、「天が淵」と呼ばれる淵。 

 あのヤマタノオロチが棲んでいたという、伝説の淵である。

 JR木次線の線路が、山の麓を縫うように、樹木や草むらのなかを見え隠れする。「備後落合」駅と松江市の「宍道」駅とを結んでいる。 鉄道ファンでなくても、この草深い中を、とことこ、のんびり旅をしたら楽しいだろうなと、想像する。

 間もなく、「天が淵」に到着した。

 こんもりとした山々に囲まれて、田畑があり、わずかに人家もある。人家がなければ、伝説は生まれない。

 その中を、一筋の小さな流れが貫いている。斐伊川( ヒイガワ )である。流れはこの付近で淵となる。 

 

 

     ( 「天が淵」 )

 淀んだ水の一部に赤っぽい泥土が見えて、人を呑む大蛇の一匹ぐらい、棲めなくもない … か?

 ここがまあ/ ついの棲み家と / 思いしに(ヤマタノオロチ作)

  ‥‥ 「 ヒエーッ。 スサノオめ  」  

   斐伊川は、スサノオがヤマタノオロチの首を切り落としたとき、その血によって真っ赤に染まったという川。

 「そのみ佩(ハ)かしせる十拳(トツカ)の剣(ツルギ)を抜き、その蛇を切り散らかししかば、肥河 (ヒノカワ=斐伊川)、血に変わりて流れき」 (古事記)。

  遠い古代の文章ながら、簡潔にして、力強い。

 斐伊川は北上しながら、やがて大河となって、宍道湖に注ぐ。

                             ☆

クシナダヒメが出産した聖地の谷 >

 次の目的地である「八本杉」を目指して、斐伊川に沿って車を走らせていると、川の対岸に川辺神社があった。

 予定していなかったが、せっかくなので立ち寄ってみる。

 心細げな橋を渡るが、そこから神社へ行く道がわからない。やむなく、川の堤の上の草むらの小道を、対向車に出くわさないことを祈りつつ走って、鳥居の前にたどり着いた。

  小さな集落からも離れた、名のとおり、川べりにある、静かな小社である。

 

       (川辺神社)

  スサノオは、オロチを退治したあと、クシナダヒメと結婚する。 やがてヒメは懐妊。

  スサノオは、産湯に使う良い水はないかと探し求め、「 いたく くまくましき 谷」 があったので、ここを産所とし、その湧き水を使ったと言う。

 「くまくましき谷」とは、奥まったきれいな谷という意味だそう。のちに、その場所を祀ったのがこの川辺神社であるそうな。

                 ( 斐伊川 )

                          ☆

打ち取ったオロチの頭を埋めた地 >

 地図を見ると、目的の「八本杉」は木次町の街の中にある。

 木次は、この辺りでは、ちょっとした町のようだ。

 木次に着いて、住宅街の中の道をそろそろと車を走らせ、二、三度迷い、路地の奥といった場所に、やっと目指す「八本杉」を見つけた。

           ( 「八本杉」 )

 車を停めて写真を写していたら、たまたま家から出てきたご近所のおじさんが、ここの由来などを説明してくれた。「ありがとうございます」。

 こういう由緒ある地に住むことを誇りに思い、異郷の人に説明したくてたまらないというか、自慢したくてたまらないというか、出雲には、こういう人が多いのかも知れない。郷土への誇りは、良いことだ。

 ここは、スサノオがオロチと戦った「古戦場」。 立て札の説明書きに、「古戦場」とはっきり書いてあった。

 その退治したオロチの八つの頭を、スサノオはここに埋め、その上に八本の杉を植えた。

 杉は斐伊川の氾濫などで幾度も流失したが、遠い昔からそのたびに補い植えられて、今日に至ったそうだ。

 カムバックされては、困るのです

                ☆      ☆      ☆

ヤマタノオロチ退治の意味するもの  その1>

  神話とか、伝説というものは、人々を深く感動させた出来事、それゆえに人々によって語り伝えられてきた大切な出来事があって、幾世代も経て、次第にデフォルメされ、昇華され、やがて文字化されたりしたものであろう。

 「英雄スサノオのヤマタノオロチ退治」という話も、このような冒険譚に結実する前の、もう少しリアルな出来事が原型としてあったのではないか?

   その有力な説の一つは、ヤマタノオロチを、河川の氾濫ととらえる考え方である。

 八つの頭と尾を持つオロチの形状は、支流を集めて流れる河川の姿だ。

 水を支配するのは、古来から竜神である。竜は蛇。

 クシナダヒメは、「古事記」では「櫛名田比売」。「日本書紀」では「奇稲田比売」。いうまでもなく美田を表す。日本の弥生文化は、水田・稲作の文化であった。

 大蛇が毎年、娘をさらったのは、毎年、一人ずつ処女が治水のために生贄にされたのだ。

 ゆえに、オロチ退治は、治水事業の成功を表す。

         ☆

ヤマタノオロチ退治の意味するもの  その2 >

 しかし、もう一つの有力な説明がある。

 中国山地、広島県から島根県に入った辺りから、車を走らせながら、あちこちに「たたら製鉄」の史跡の看板を見た。

 弥生時代は、また、鉄の時代の始まりでもある。

  3 世紀前半の卑弥呼のことが書かれている「魏志」の「倭人伝」は有名だが、その「魏志」に「東夷伝」がある。 朝鮮半島の南端に弁辰国(カヤ)があり、鉄を産する。 その鉄を買い付けに、周囲の国々、倭もカラもカイもやってきたと。

 たたら製鉄には膨大な樹木を必要とした。古代から近世まで、朝鮮半島の山々は、丸裸になってしまったと言う。

 やがて、倭でも、自力で鉄の製造が始められるようになる。その初期のころには、技術伝達のため、半島の山々を丸裸にしてしまった弁辰国の製鉄職人グループもやってきたかもしれない。

 日本の中国山地には良質の砂鉄が豊富にある。その上、日本の温暖湿潤の気候は復元力が大きく、砂鉄を精錬する燃料として必要な木炭を作るため、一度に一山の樹木を伐採しても、30年かかって中国山地を一巡したときには、最初に伐採した山は、元どおり樹木の生い茂った山になっていた。

 近代に入ると、汽船や巨砲を造らねばならなくなったとき、たたら製鉄ではとても間に合わなくなる。

 そこで、早くも幕末期、開明的な大名であった佐賀の鍋島や島津の斉彬は、西洋式の反射炉を造らせた。

 これらの藩は、一人の西洋人の専門家を呼んでくることなく、西洋の書物を入手して、これを読解し、自らの力だけで反射炉も蒸気汽船も完成させたのである。

 気位ばかり高く、ただ惰眠を貪っていた当時の東アジアの中華世界において、こうう実践力は瞠目に値する。

 しかし、近代以前においては、鉄の需要は刀剣や農機具のレベルだったから、たたら製鉄で十分であった。

 それでも、現代の製鉄では不可能なほど良質の鉄製品、例えば「長船の名刀」を作り出していく。

 さて、話は古代日本の山陰地方に戻る。新しく興ったたたら製鉄には問題があった。

 たたら製鉄は、牧歌的な古代の田園風景において、かつてなかったような大規模な集団と組織を必要とした。山から膨大な木を伐り出す人間、それを炭焼きする人間、川から砂鉄を取り、より分ける人間、ふいごで風を送ったり、鉄を叩いたりして、直接に製鉄作業に参加する人間など、古代といえども、何百人という集団が必要であったと考えられる。(宮崎駿の『もののけ姫』を見た人はわかるだろう)。

 彼らの仕事は、稲作農民などと比べると、遥かに荒々しい。

 中には、山々に囲まれた谷間や、川の下流域に広がる平野で穏やかに暮らす農耕民に対し、徒党を組んで、ならず者集団のように振る舞うグループも、いたかもしれない。

         ☆

 以下、司馬遼太郎 『 この国のかたち 五 から引用。

 この怪物(オロチ)の描写が、古代製鉄集団のあらあらしさに似ていることが、早くから島根県の郷土史家のあいだで指摘されてきた。

 八岐大蛇の目はホオヅキのように赤い。 このあたり、精錬のときタタラで酸素を送ったときの火の熾さ(サカンサ)を思わせる。

 また砂鉄採鉱で山を掘りくずし、カンナ流しでたかだかと水を流し、一方、山や谷の木を伐るなどのたけだけしさは、それ以前の人間の営みにはなかったものである。 怪物としか言いようがない。

 それにこの大蛇は八つの頭と八つの尾をもち、その身にヒノキやスギがはえ、全体の長大さは八つの谷と八つの峰にわたっていた。 腹はつねに血でただれている、というから、製鉄現場のあちこちに砂鉄で赤錆びた水が流れている情景を連想させる。

 この八岐大蛇のために土着の水田耕作民が難渋していた。 スサノオは、農耕民の首長らしい老夫婦から訴えをきき、やがて大蛇を退治して、その夫婦の娘、奇稲田(クシイナダ)姫をめとる。 奇稲田というのは、「すばらしい水田」という意味である。

                    ( 宍道湖 )

         ☆

スサノオのイメージ >

 水田耕作は、当時、何よりも大事な産業であったから、これを保護し、その豊作を土地の神々に祈る者が王であった。

 同時にまた、古代にあっては、鉄を制する者が王となる。 鉄は、後の貨幣のように、重要で貴重な物資であった。

 故に、「カレ」は、もちろん軍事的組織を作って、一部の製鉄集団を掣肘した。「古戦場」とあったのは、正しい。

 が、製鉄集団一般を滅ぼしたわけではないだろう。

 彼ら製鉄集団を支配下に置き、無法をさせず、水田耕作民と調和させ、川の川上を使う際の制限を設け、伐採した山には植林させ、或いは、彼らが伐り開いた土地を田畑にして耕作地を増やしてやり、鉄製品で農機具の歯を作らせるなど、農民にとっても役に立つ存在へと彼らを導いていったのだ。

 スサノオは、そういう新しいリーダーとして、この地方に頭角を現していった首長(王)ではなかろうか。

 出雲地方におけるそのような力強いリーダーの登場が、古老によって語り継がれ、幾世代も経るうちに、スサノオのヤマチノオロチ退治の話として、結実していったに違いあるまい。( 続く )

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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スサノオ伝説の旅 2‥‥出雲八重垣 / 妻籠に ( ツマゴミニ )

2013年08月07日 | 国内旅行…スサノオ伝説の旅

           ( 須我神社の磐座 )

< 前回の補足 … 草薙ぎの剣 >

 「…… 尾にいたりて、剣の刃少しき欠けぬ。かれ、その尾を裂きて見そなはせば、中に一つの剣あり。これ、いはゆる草薙ぎの剣なり。」(『日本書紀』)

 ヤマタノオロチとは、たたら製鉄集団のことだ、という説に立つと、スサノオの十拳(トツカ)の剣の刃が欠けたのは鉄製であったから。オロチの尾から出てきた剣は、当時、最先端の技術による鋼製の剣であった、ということになり、説得力を増す。

 いずれにしろ、この剣はアマテラスに献上され、のちの時代に、『古事記』のもう一人の英雄・ヤマトタケルが所持して活躍することになる。

        ☆

以下、自作川柳を5句。                 

 極道の / 果てに 出雲路 / 一人旅

   (天上界を追放されたスサノオです)

 このヒメに / 命を賭けて / アスリート

   (生まれて初めて、人を愛しました)

 雲上で / やったぞ! 勝った!と / 神々も

  (天上界も、スサノオ勝利に沸きかえりました)

 麗しき / 花嫁 姉も / 涙拭く 

  (あのバカ弟が、まあ何と可愛らしい人と!とアマテラス)

 ヒゲ面の / 絵ばかり 史実と / 違います 

   (スサノオの絵というと、いつもヒゲ面のおっさん。オレ、ハンサム)

    ☆   ☆   ☆

日本初の和歌を詠む >

 「八本杉」を出発し、24号線を走って、須我神社へ向かった。

 オロチを退治した後、スサノオは、「宮を造るべき地」を探し歩き、ある場所に来て、「ここはとてもすがすがしい」、と言う。 それで、その地を 「須賀」 と名づけ、そこに宮を作った。

  愛するクシナダヒメと暮らす新居である。これが「日本初の宮殿」である。

  今、須我神社のあるところが、その地ということになっているが、他にもその候補地はある。神々の国、出雲は、一筋縄ではいかない。

         ( 須我神社 )

 「須賀の宮を作りし時に、そこより雲立ちのぼりき。 しかくして、み歌を作りき。 その歌に曰く、

    『 八雲立つ / 出雲八重垣 / 妻籠(ツマゴミ)に / 八重垣作る / その八重垣を 』 」

 

 八雲立つ出雲の地に、八雲のように幾重にも垣をめぐらせ、妻を住まわせる所として、幾重にも垣を作る。 ああ、幾重にもめぐらせた垣よ。

 歴史書である古事記、或いは日本書紀に紹介された、日本初の和歌である。

 荒ぶる男スサノオは、今や、日本初の和歌を詠んだ男となった。 それも、ハネムーンの歌である。髭面のおっさんの絵は、やっぱり史実と違うと思う。

        ☆

奥宮の磐座をたずねて >

  さて、この宮の背後にある八雲山に、巨石があり、この神社の奥宮となっているという。

 巨石は、古神道の、神の降り立つ磐座(イワクラ)であろう。

 『古事記』は、天武天皇の命によって編集が始まり、712年に完成した。

 その『古事記』において、スサノオはアマテラスの弟とされ、天上から降りてきてオロチを退治するが、それは古事記という8世紀の歴史書が語る神話である。

 それより千年も2千年も遠い昔から、この地に巨石があり、そこを神のおわす神聖な所(盤座)として、土地の人々が清め、祀ってきたのである。

        ☆

ラフカディオ・ハーン 『 日本の面影 』 (角川ソフィア文庫)から

 神道の計り知れない悠久の歴史を考えれば、『古事記』 などは、‥‥ ごく最近の出来事の 記録集にしかすぎないであろう。

 

司馬遼太郎 『 この国のかたち 五 』 (文春文庫)から

 神道に、教祖も教義もない。

 たとえばこの島々にいた古代人たちは、地面に顔を出した岩の露頭ひとつにも底つ磐根(イワネ)の大きさをおもい、奇異を感じた。 

 畏れを覚えればすぐ、そのまわりを清め、みだりに足を踏み入れてけがさぬようにした。それが、神道だった。

 むろん、社殿は必要としない。社殿は、はるかな後世、仏教が伝わってくると、これを見習ってできた風である。

 

戸矢 学『縄文の神…よみがえる精霊信仰…』(河出書房)から

 神社という宗教施設が6世紀以降に次々建立されるが、建立される場所は、すでにそれよりか昔より信仰されていた霊地・聖地なのである。

 神社・神道の信仰対象は、カンナビ(山)、ヒモロギ(森)、イワクラ(岩)、ヒ(光)であって、つまり「大自然そのもの」である。人工的な物品を神体・依り代とするのは後発のことであり、本来の神道信仰にはないものだ。

 本殿を始めとする神社建築も、それら物品の神体を納めるために造られたものであって、それより古い形式の神社には本殿がない。奈良の大神神社や埼玉の金鑚神社、長野の諏訪大社本宮などは、拝殿のみで本殿がなく、背後の神体山をそのまま参拝するようになっている。

 これが、神道の本来の姿である。

         ☆

  須我神社から2キロほど山道を入ったところに、磐座への参道の入り口があるというので、車で行く。 

    ( 奥宮への入り口 )

  入り口付近に車を駐車し、鬱蒼と、昼なお暗い山道の参詣道に入った。かなり怪しげな雰囲気である。

 まもなく、結界を示す鳥居に出会う。

    ( 鳥 居 )

 水場があり、ここで、手を洗い、口をすすぎ、清める。

   ( 手水所 )

 シンと、淋しい山道も、所々に歌碑と句碑があって、人のぬくもりを感じ、慰められる。

  須佐之男の / 恋の古徑 / 神楽見に

  昔、スサノオとクシナダヒメが、愛を語りながら歩いた古い小道を、今、私は、当時の神話の世界を描いた神楽を見るために、訪ねています、という意味かな。

    妻ごみの  / 宮居のあとや / 木の実降る

  というのもある。 「 木の実降る 」 が、遠い日のスサノオとクシナダヒメの質素な宮殿を想わせて、良いですね

  険しい山道を歩いて、ついに巨石にたどり着く。

 二礼四拍一礼。 出雲では、なぜか四拍。

 下の方から女性の語り合う大きな声がしていたが、やがて若い女性が二人、上がってきて、綺麗に、参拝した。

 大きな声で話していたのは、人けなく薄暗い雰囲気が不気味で、きっとカラ元気を出していたのだろう

            ( 磐 座 )

 弥生時代よりももっと古く、おそらく縄文時代かもしれないが、自然の中に神々が住んでいた古神道の世界に、わずかに触れることができたような気がした。

  一番大きな磐がスサノオ、二番目がクシナダヒメ、三番目が二人の間にできた子どもの神様、と言われているそうだが、土地の伝説の英雄に敬意を表して、そういうことにしておこう。( 続 く )

 

 

 

 

 

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スサノオ伝説の旅 3‥‥スサノオの終焉の地へ

2013年08月05日 | 国内旅行…スサノオ伝説の旅

       ( 宍道湖 )

 クシナダヒメと結婚したあとのスサノオの生活は、静かで、満ち足りた、心やすらぐ日々であった。

  文豪・芥川龍之介は、その作品「老いたる素戔嗚尊」で、次のように描いている。       

  「 彼は新しい妻と共に、静かな朝夕を送り始めた。 風の声も波のしぶきも、或いは夜空の星の光も今は再び彼を誘って、広漠とした太古の天地に、さまよわせることは出来なくなった。

       (中略)

   彼は妻にも優しかった。 声にも、身ぶりにも、眼の中にも、昔のような荒々しさは、二度と影さえも現さなかった。

 しかしまれに夢の中では、暗闇にうごめく怪物や、見えない手のふるう剣の光が、もう一度彼を殺伐な争闘の心につれて行った。 が、いつも眼が覚めると、彼はすぐ妻の事やの事を思い出すほど、きれいにその夢を忘れていた。」  

        ☆

< 出雲第一の縁結びの神社 >

 八重垣神社は、佐草という地にある。

   須我神社からは遠くない。 車でわずかな距離ではあるが、これまでの鄙びた、草深い里から、郊外とはいえ、松江市に入る。

   川辺神社や須我神社と違い、広大な駐車場があり、観光バスもやって来て、 参詣者、見学者が多い。

   人気の神社なのだ。 その分、いささか俗っぽいと感じる。

 スサノオが須賀の地に宮を建て、「八雲八重垣」の歌を詠んだことは「記紀」に記述があるが、ここ、「佐草」という地名は、「記紀」には登場しない。

   もともと、ここには、佐久佐神社という村社があった。 のち (戦国時代末期という説あり )、八重垣神社が併置され、やがて八重垣神社の方が有名になってしまった。 庇を貸して母屋を取られた、のである。

   神社の由緒書きによると、スサノオはオロチを退治する間、この地にクシナダヒメを避難させ、八重垣で囲った。 オロチを退治したあと、ここに(も)新居を造ったのだ、とある。

   年月と共にスサノオの声望は広がっていき、あちこちの族長たちにも畏敬の念をもって迎えられるようになり、自ずから出雲地方の首長へと押し上げられていったことだろうから、その宮も何度かの移転があり、或いは、何か所か存在し、ここもその早い時期の一つと考えてもよいが、ちょっと苦しい。

   (八重垣神社‥鳥居の先の太い注連縄)

  とにかく、この神社の人気の(成功の)秘密の第一は、スサノオの新婚の歌から採った「八重垣神社」という名前にあるだろう。今や、自ら称して、「出雲第一の縁結びの神社」である。

   出雲大社に参詣したら、続けて八重垣神社にも、という 若い女性参拝者が多いらしい。 出雲大社と比べたら小さくて、野の花のようでもある。

 神社の後方には、「奥の院」と称する一角がある。樹木が鬱蒼として、湧き水の池がある。もともとは、古神道の霊場だったのかもしれない。

 由緒書きによれば、スサノオはここにクシナダヒメを隠し、八重垣をめぐらせたのだそうだ。 その小さな湧き水の池に、クシナダヒメは毎朝、姿を映して、身づくろいをした。

 若い女性参拝者は、社務所で売られている紙をこの池の水面に浮かべ、紙に硬貨を乗せる。その沈み方で、縁占いができるという仕組みだ。 これがテレビや女性週刊誌に紹介され、評判になった。

   さらに、もう一つの人気の理由。

   この神社の宝物館には、かつてこの神社の壁画であったクシナダヒメ、スサノオ、アマテラス、その娘のイチキシマヒメなどの、まだほのかに色彩の残った絵が収納されている。神社の伝承では9世紀の巨勢金岡の作だが、実際は室町時代のものらしい。それでも、重文である。

   宝物館の拝観をしたが、クシナダヒメの、ぽっと紅のさした頬は、みずみずしい。 グラビア雑誌に採られ、絵葉書にもなっている。

 PR上手な神社とかお寺というのはある。 当代の宮司がそうだと言うのではない。 すでに江戸時代には、この神社は、それなりに人気の神社だったようだ。

 

    (八重垣神社の拝殿前で)  

 神社のお隣の、オシャレなレストランの日本蕎麦は美味しかった。

         ☆

 < スサノオ終焉の地へ >

 『出雲国風土記』によると、出雲地方の各地を平定したスサノオは、最後にやって来た地を自分の名から「須佐」と名づけ、自らの魂を鎮める終焉の地とした、とあるそうだ。

  須佐は、今は出雲市に編入され、その遥か郊外にある。

  松江市郊外の八重垣神社から山陰自動車道に入って、宍道湖の南側を、東端から西端まで走り、一般道に下りてさらに1時間ほど。遥々と運転して、山間部の草深い地にある須佐神社に着いた。公共の交通機関はないそうだ。

      ( 須佐神社 )

 須佐神社は、伝説の英雄の終焉の地らしく、ひっそりと静かで、つましい。 

 スサノオ、クシナダヒメ、そして、クシナダヒメの両親が祀られている。

    ( 塩の井戸 )

 拝殿から横に回って本殿を見ると、この神社も、出雲大社や、出雲地方の出雲系の神社と同様の大社造りになっている。

    ( 須佐神社の拝殿に続く本殿 )

 写真、右手の拝殿から、屋根の付いた階段があり、階段に続く本殿入り口は、本殿正面の右半分に開いている。

   

   ( 図 : 大社造リ )

 

    (出雲大社・本殿)

 本殿は全て正方形。真ん中に芯柱があり、さらに柱は、四隅と、それぞれの間にある。

 図の太線が壁だから、神座の神様は入り口(拝殿)に対して横向きにお座りになっている。

  今年、リフォームされた、出雲大社の本殿の造りも同じだ。

 しかし、何と言っても、出雲地方の神社のかっこ良さは、拝殿の注連縄の堂々たる姿だ。これを見ると、「出雲だ!」と感動してしまう。

 

    (出雲大社・拝殿の注連縄)

    ☆   ☆   ☆

 実際の旅はまだ続くが、「スサノオ伝説の旅」は、スサノオの終焉の地で、一応終わりとする。

 旅の紀行は終わるが、そもそもこの旅に出るきっかけとなったのは、芥川龍之介の「 老いたる素戔嗚尊」という短編小説を詠んだ感動である。

 芥川は、英雄・スサノオの晩年を、『古事記』を基にしながら、『古事記』とは異なる姿で見事に形象化している。

 それを、私なりに、紹介したい。

 まずは、『古事記』に描かれた、老いたるスサノオ像から ……。( 続く )

  

 

 

 

 

          

 

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スサノオ伝説の旅 4‥‥若者オオクニヌシの「壁」となった長老スサノオ

2013年08月02日 | 国内旅行…スサノオ伝説の旅

 オロチを退治したあと、スサノオは須我の地で、愛するクシナダヒメと暮らした。

 その後のスサノオの半生について、『古事記』に叙述はない。

 『古事記』に記述されているのは、その後の婚姻関係と、生まれた子、孫、ひ孫などの名であり、つまり系図である。 そして、6世の孫、オオクニヌシの名が出たところで、物語は若き日のオオクニヌシへと移る。

         ☆

兄たちに命をねらわれるオオクニヌシ >

 オオクニヌシは、その少年期から青年期の初めにかけて、多くの異母兄たちにいじめられ、ついに殺されそうになる。

 『古事記』は、なぜ異母兄たちがオオクニヌシを憎んだのか? どうして弟を殺そうとしたのか? どんな気持ちで? などということを語らない。ただ、起きた「事」のみを叙述する。

 が、多分、様々な利害損得があったにせよ、兄たちたちはこの若者の持つ類いまれな資質に嫉妬し、それが高じて憎悪となっていったのだと想像する。 

 実際、オオクニヌシは、兄たちの策略に遭い、二度に渡って瀕死状態になる。息を吹き返したのは、母の必死の機転があったからだ。母は、このままでは息子は遠からず抹殺されると思い、遠く紀伊の国に逃がした。

  ところが、兄たちは、紀伊の国まで執拗に追いかけてきた。 母の依頼を受けていた紀伊の神々が危機一髪で助ける。そして、言う。

  「ここも、もはや危険です。もう私たちには、あなたを匿いきれません。かくなる上は、スサノオの大神を頼りなさい。あなたを助けることができるのは、あのお方だけだ」と。

 かくして、オオクニヌシは、根堅州国 (ネノカタスノクニ=不明) に、スサノオを訪ねて行くことになる。

         ☆

オオクニヌシとスセリヒメの出会い >

 再登場のスサノオは、とっくに引退し、妻・クシナダヒメにも先立たれ、今は末娘のスセリヒメと二人で、ひっそりと余生を送っていた。

 (須我神社の参道の野の花)

 オオクニヌシがスサノオの宮に着くと、その娘・スセリヒメが門に出、スサノオを見て、

  「 目くばせして、あひ婚(ア)ひき」(『古事記』)。

 今どきの若者でも、唖然とする。二人は、顔を見合わせた途端、互いに好きになリ、スセリヒメが目くばせして誘い、セックス(=結婚)した。

 神代の人、いや神が、皆、こうだったのではない。かの乱暴者・スサノオでさえ、クシナダヒメとの結婚に際して、「オロチを退治したら、ヒメと結婚させてほしい」と、ヒメの両親に申し出ている。

 さて、そのあと、スセリヒメは、宮の中に入って、何食わぬ顔で、「その父に申していはく、『いと麗しき神、来たり』と言ひき」。「とても素敵なお方がお見えです 」。

 『日本古典文学全集 古事記 』 (小学館) の頭注によると、「スセリの語は勢いのままに進む意を表し、その名は彼女の積極的な性格にふさわしい。その性格は、オオアナムヂ(オオクニヌシの若き日の名) に出会うと、父神の承諾を経ずに結婚し、夫を苦難から救い‥‥などの行動に示される。 …… オオアナムジは、彼女との結婚により、スサノオの強大な力と勢いを手に入れて、大国主神となる」 とある。

 ※ スサノオ6代の孫のオオクニヌシと、スサノオの娘とが、なぜ同世代なのか、と、ちょっと疑問に思ったが、そのようなことは、この際、詮索しない。『古事記』の作者は、ただ、伝えられた神話を、「神話」として叙述しているのである。

         ☆

日本国最初の駆け落ち >

 オオクニヌシを 「 いと麗しき神 」 と娘から紹介されたとき、スサノオは娘に、「これは、アシハラ・シコノオと言うぞ」 と言う。

 アシハラ=葦原は、日本。 シコノオは、その国を担うほどの強い力を持った男というほどの意。 スサノオは、兄たちに殺されそうになって逃げて来たこの青年のポテンシャルを、一瞬にして見抜いたのである。

 この世のことにすっかり興味を失っていたが、この若造は、オレの後継者となって、この国をもう一度平らかに統べる男だ。

   スサノオはすぐに試練を与える。その夜は毒蛇の室に寝させた。また、別の夜には大きな蜂の室やムカデの室に寝させた。しかし、これらの試練はことごとく、スセリヒメの助けによって切り抜けるのである。

   一度だけ、スセリヒメも、オオクニヌシが死んだと思い、悲しみの喪を用意したことがある。

   スサノオが野に向けてかぶら矢を放ち、あの矢は大事なものだ、探して来い、とオオクニヌシに命じる。

 矢を探しいると、スサノオが野に火を放つ。 火は人の走る速さを超えて燃え広がり、オオクニヌシはたちまち火に巻かれる。彼を助けたのは、野の鼠たちであった。

   こうした試練ののち、オオクニヌシはスサノオの隙を見て、スサノオの太刀と弓矢を奪い、スセリヒメをつれて逃げる。 日本史上、最初の、命がけの駆け落ちである。

   気づいて怒り、後を追跡したスサノオは、遠く逃げる二人を見たとき、二人に向かって、大音声で言祝 (コトホ) ぐのであった。

  「 若造! その太刀と弓矢で、兄たちを蹴散らせ!」

  「 そして、この地上世界の王を意味する 『 大国主神 』 という名を名乗れ!」 ( オオクニヌシは、このとき、スサノオが与えた名である )。

  「 それから、我が娘スセリヒメを妻とし、天にそびえる大宮殿を建てよ。 コノヤロウ!」。

 

(オオクニヌシを祀る出雲大社参道)

        ☆

スサノオの与えた試練の意味 >

 以上が『古事記』の記述である。

   なぜ、スサノオは、オオクニヌシを殺そうとしたのか?

 『古事記』は、なぜ、 どうして、に答えない。

   ただ、スサノオは、オオクニヌシを見た瞬間、娘に、「これは、この国を統治するほどの強い男だ」と評価している。

   また、スサノオというと、暴れん坊のイメージだが、彼のオロチ退治の経緯を見ても、知恵もあり、愛もある、英雄である。

   故に、スサノオがオオクニヌシに与えた試練、毒蛇や大蜂や大ムカデの室に寝させるという試練は、スセリヒメが助けて乗り越えることぐらい、百も承知であったと解すべきであろう。

   言わば、安全確保したバンジージャンプだ。 もし、安全確保の蔓が切れたら‥‥それはそういう定めの、不運な若者であった、というしかない。 大人になるためには、危険を冒してジャンプすることも必要なのだ。

   一度だけ、野で火に巻かれたときは、スセリヒメにも助けられなかった。

   だが、そういう危機を乗り越えてこそ、人々のリーダーになれるというものだ。 スサノオも、オロチと戦うという危険を乗り越えて、「スサノオ」になったのだから。

   それに、鼠たちが彼を助けた。そうなのだ。リーダーになるには、思ってもいないような、いろんな人の助けが必要なのだ。

   イエスを抱く聖母マリアのような、全てを包んでくれる優しい愛も必要である。

   しかし、保護されてばかりでは、子どもは大人になれない。

 子どもが大人になるためには、そびえる「壁」も必要である、と説くのは、臨床心理学の河合隼雄である。 スサノオは、「壁」になったのだ。

   この話を、通過儀礼の象徴と読み解く説は、納得できるものがある。

     

 ( 続 く )

 

 

 

   

  

 

 

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スサノオ伝説の旅 5 (完結)‥‥芥川龍之介の描いた「老いたる素戔嗚尊」

2013年07月30日 | 国内旅行…スサノオ伝説の旅

   前回、「壁」とか、通過儀礼とか書いたが、言うまでもなく、これらは体罰教育や、スパルタ教育を示唆するものではない。

   体罰やスパルタは、子どもを支配しようとする。 支配された魂が、羽ばたくことはない。

   スサノオは、オオクニヌシに、自らの宮で、しばらくの時を与え、用意させたのである。

   自分を殺そうとする兄たちのいる世に再び戻って、正面から戦うという気概を。もちろん、そのための武器を。

   この世に、自分を必要とする仕事があるという自覚を。

   そして、自分の人生に夢や希望を抱くことを。

   バンジージャンプは仮の跳躍に過ぎない。若者は、社会に向けて、真の跳躍をする。

   飛べ! 若者よ! 

 オオクニヌシを自分自身でジャンプさせることが、長老・スサノオの最後のミッションであった。

     ☆    ☆    ☆

   さて、芥川龍之介が描いた「老いたる素戔嗚尊 (スサノオノミコト) 」は、『古事記』のスサノオとはかなり趣を異にする。 

   クシナダヒメに先立たれ、とっくに隠退し、ひっそりと娘と暮らしている、誇り高く、孤独で、わがままで、気難しさを増したスサノオである。

   彼の髪は麻のような色に変わっていた。

   だが‥‥、「老年もまだ彼の力を奪い去ることができない 」でいる。それどころか、「 彼の顔はどうかすると、須賀の宮にいたときより、野蛮な精彩を加えることもないではなかった 」。

   「彼は、彼自身気づかなかったが、今まで彼の中に眠っていた野性が、いつか眼を覚ましてきたのであった 」… と、芥川は描いている。

   「彼の中に眠っていた野性」?

   クシナダヒメが生きていたころのスサノオの魂は、高天原にいたときのような、「広漠とした太古の天地」をさまようことはなくなっていた。まれに、「夜の夢の中では、暗闇にうごめく怪物や、見えない手の振るう剣の光が、もう一度、彼を殺伐とした争闘の心に連れて行った。が、いつも眼が覚めると、彼はすぐ妻の事や村落のあれこれの事を思い出すほど、きれいにその夢を忘れていた 」。

   たまに夢の中でのみ、潜在意識の下から浮上してきた「殺伐とした争闘の心 」。

   クシナダヒメを喪い、長い年月、その侘しさに耐えてきた、老いたスサノオの心に、気づかないうちに、かつての荒んだ心が顔をのぞかせかけていたのだ。

   若い日々、彼は高天原で、抑えがたい衝動にかられて暴れていたが、あれも若さのもつ寂しさゆえ。若さからくる自己の魂の根源的な寂しさをもてあましていたからに違いない。

       ☆   ☆   ☆

   スサノオと暮らしているスセリヒメも、『古事記』のスセリヒメより、もう少し具体的に形象化されている。

  「狩や漁の暇に、彼(スサノオ)は彼の学んだ武芸や魔術を、いちいちスセリヒメに教え聞かせた。 スセリヒメはこういう生活の中に、だんだん男にも負けないような、雄々しい女になっていった。 しかし姿だけは依然として、クシナダヒメの面影をとどめた、気高い美しさを失わなかった 」。

   スセリヒメは、幼い時分に母を喪い、英雄の父スサノオの男手で育てられ、性格的には母よりも父の血を受けた、精悍なアスリートだった。だが、その容姿は、母クシナダヒメの面影をとどめて、気高く美しいと、書かれている。

   スサノオが、妻亡きあとの晩年を、妻の面影を映すスセリヒメと暮らしていたのも、わかるというものだ。

   とすれば、…… 勝手にその娘と愛し合うようになったオオクニヌシにとって、この頑なな父親は、最強・最悪の手ごわい父親ということにもなる。

        ☆

   ある日、スサノオとスセリヒメの暮らす島に、小舟に乗って旅する一人の若者・オオクニヌシが現れる。

   『古事記』と設定も違う。兄たちに命を狙われ、スサノオを頼ってきた、まだ保護者を必要とするオオクニヌシではない。

 たくましく、物怖じするところのない、爽やかな好青年で、年齢的にも、『古事記』のオオクニヌシより、もう少しは年上であろうか。

   「若者は眉目の描いたような、肩幅の広い男であった。それが赤や青の首珠(クビタマ)を飾って、高麗(コマ)剣を佩いている容子は、ほとんど年少時代そのものが目前に現れたように見えた 」。

  スサノオが名を尋ねると、しっかりした声音で、自ら「アシハラシコオ」と名乗る。この国を担う男の意である。

   庭先で仕事をしていたスサノオに、若者はうやうやしい会釈をし、宮の中へと、スセリヒメに招じ入れられた。

   「彼の心はいつの間にか、妙な動揺を感じていた。 それはちょうど、晴天の海に似た、今までの静かな生活の空に、嵐を先触れる雲の影が、動こうとするような心もちであった」。

   一仕事を終え、宮の中へ入ったスサノオの目に、一瞬、抱き合っていた娘と若者がパッと離れた姿が映じる。

   「彼は苦い顔をしながら、のそのそと部屋の中へ歩を運んだが、やがてアシハラシコオの顔へ、じろりといまいましそうな視線をやると、‥‥」

   スセリヒメに、若者を蜂の室へ連れて行くよう、命じたのである。

   母の面影を宿す一人娘との静かな生活の中に、ずかずか入り込んで、早くも娘の心をひきつけた若者を、スサノオは許せなかったのだ。

   スサノオはスセリヒメに言う。「言い渡すことがある。おれはお前があの若者の妻になることを許さないぞ」。

   蜂の室の危機は、『古事記』と同様、スセリヒメの機転で助けられた。

   だが、次の場面は、『古事記』にはない。

   翌朝早く、スサノオは海へ泳ぎに行った。そこに、オオクニヌシもやってくる。 どうして蜂どもに殺されなかったのか? 

   よく眠れたかというスサノオの問いに、よく眠れました、と答えた若者は、何気なく

 「足もとに落ちていた岩のかけらを拾って、力いっぱい海の上へ放り投げた。 岩は長い弧線を描いて、雲の赤い空へ飛んで行った。そうしてスサノオが投げたにしても、届くまいと思われるほど、遠い沖の波の中に落ちた。

 スサノオは唇を噛みながら、じっとその岩の行く方をみつめていた 」。

   その昼、スセリヒメとオオクニヌシは海辺で二人きりの時間を過ごす。 スセリヒメは、ここにいたら殺されます。 すぐに逃げてくださいと言う。 だが、オオクニヌシは、あなたが一緒でなければ、一人では逃げない、と答える。

   その夜は、蛇の室に入れられるが、またもやスセリヒメによって窮地を脱する。

   翌朝、スサノオが海のほとりにいると、また、若者がやってきた。スサノオは、なぜ蛇に殺されなかったのか分からないまま、一緒に泳ごうと言う。若者は気楽に応じる。

   二人は大海原を、見る見る沖へと泳いでいく。 スサノオは、泳ぎで、誰にも負けたことがない。

  「…… アシハラシコオは少しずつスサノオより先へ進み出した。スサノオはひそかに牙を噛んで、一尺でも彼に遅れまいとした。しかし相手は大きな波が、二三度泡をまき散らす間に、苦もなくスサノオを抜いてしまった。そうして重なる波の向こうに、いつの間にか姿を隠してしまった。……」

   自分の力の衰えを自覚させられたスサノオは、ますますこの若者を憎み、野に連れ出し、火を放って、若者を焼死させる。

  その夜、「あの空を見ろ。アシハラシコオは今時分 …… 」

  「 存じております 」

  「そうか? ではさぞかし悲しかろうな?」

  「悲しうございます。 よしんばお父上さまがお亡くなりなすっても、これほど悲しくございますまい」。

   スサノオは色を変えて、スセリヒメをにらみつけた。 が、それ以上彼女を懲らすことは、どういうものかできなかった」。

   野の火から辛うじて助かったオオクニヌシは、ついにスセリヒメと駆け落ちを決行する。

   気づいたスサノオは、怒り狂ってあとを追う。

   そして、断崖の上に立ち、遥か眼下の海上を行く丸木舟を見つけた。

   以下、最後の場面を、少し長いが引用する。

        ☆

   彼はそこに立ちはだかると、眉の上に手をやりながら、広い海を眺め渡した。海は高い波の向こうに、日輪さえかすかに青ませていた。そのまた波の重なった中に、見覚えのある丸木舟が一艘、沖へ沖へと出るところだった。

   スサノオは弓杖をついたなり、じっとこの舟へ眼を注いだ。 舟は彼をあざ笑うように、小さな筵帆を光らせながら、軽々と波を乗り越えて行った。 のみならず艫 (トモ) にはアシハラシコオ、舳 (ヘサキ) にはスセリヒメの乗っている様子も、手に取るように見ることができた。

   スサノオは天の鹿児弓に、しずしずと天の羽羽矢(ハバヤ)をつがえた。 弓は見る見る引き絞られ、矢じりは目の下の丸木舟に向かった。

   が、矢は一文字に保たれたまま、容易に弦を放れなかった。

   そのうちにいつか彼の眼には、微笑に似たものが浮かび出した。微笑に似た、…… しかしそこには同時にまた涙に似たものもないではなかった。

   彼は肩をそびやかせた後、無造作に弓矢をほうり出した。それから、…… さも耐え兼ねたように、滝よりも大きい笑いを放った。

  「おれはお前たちを言祝 (コトホ) ぐぞ!」

   スサノオは高い切り岸の上から、遥かに二人をさし招いた。「 おれよりももっと手力を養え。おれよりももっと知恵をみがけ。おれよりもっともっと‥‥」

   スサノオはちょいとためらった後、底力のある声に言祝ぎ続けた。

  「 おれよりももっと仕合わせになれ!」

   彼の言葉は風とともに、海原の上に響き渡った。

   この時、わがスサノオは、オオヒルメムチと争った時より、高天原の国を追われた時より、コシのオロチを斬った時より、ずっと天上の神々に近い、悠々たる威厳に充ち満ちていた。

    ☆     ☆     ☆

   「老いたる、人間スサノオ」の形象が良い。

   人は、人が老いて、長老か、古老のごとくなることを期待する。それが当たり前だと思っている。が、人格の劣化の危機は、肉体がそうであるように、老化のなかにもある。

   ゆえに、この最後の場面に感動する。英雄は一層、英雄となり、一層、孤独を深めていく。

   芥川は、このときのスサノオを、「天上の神々に近」かったと書いているが、老いたるスサノオの背は、高天原の神々などより遥かに輪郭がくっきりしており、その影は濃く、人間としての威厳に満ち、そして孤独であった。

   演ずるとしたら、老いたるジョン・ウエインか、或いは、老いたるショーン・コネリー。

   どうしても日本人と言うのであれば、仲代達矢か …。

 さて、しばらく、1~2週間、お盆休みに入ります。

   ご愛読いただいている皆様には、心からお礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

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