ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

セーヌ河畔で …… ヨーロッパを旅するヨーロッパの若者 3

2012年10月21日 | 西欧旅行…旅の若者たち

パリの空の下セーヌは流れる >

 ミラボー橋の下をセーヌは流れ / われらの恋が流れる /

 わたしは思い出す / 悩みのあとには楽しみが来ると /

 日も暮れよ、鐘も鳴れ / 月日は流れ、わたしは残る

  アポリネールの詩 「ミラボー橋」は、「月日は流れ、わたしは残る」 というリフレーンが、セーヌ川の滔々とした流れと響きあい、橋の上からセーヌの流れを眺める孤独な詩人のイメージが形象化されて、印象的である。

 黄昏どき、軽やかな鐘の音も花びらのように流れてくる ……。

         ★ 

 ヨーロッパの町のなかでも、パリは格別である。

 空が広い、と感じる。

 例えばヴェネツィアで2、3日を過ごして、飛行機でパリに移動して、シャルル・ド・ゴール空港から地下鉄に乗りシャトレで降りて、地上に出たとたん、街並みや、セーヌに架かる橋や、道行く人々が、なぜか心を明るくし、心に開放感が広がってくる。

 シャンソンはもう流行らないが、アコーデオンが奏でる、ちょっと哀愁を帯びたシャンソンの音色が似合う街だ。 

 カフェのテラス席で、行き交う人々を眺めながら、一杯のグラスワインを傾ける。

   ( セーヌの遊覧船、遠くにモンマルトルの丘 )

         ★

< 「カフェ・ド・マゴ」の青春 >

 パリに、好きな景色がある。

 観光にも飽きて、朝から、或いは夕方、「カフェ・ド・マゴ」のテラス席に座り、広場越しに、サンジェルマン・デ・プレ教会の蔦の絡んだ瀟洒な塔をぼんやりと眺める。

 隣の席でも、髪が薄くなったムッシュが、静かな眼差しを教会の塔の方へ向けて、コーヒーカップをテーブルに置いたまま、時を過ごしている。

 「カフェ・ド・マゴ」には、なぜかムッシュのイメージが似合い、マダムの影は薄い。

 かつて実存哲学者のサルトルやヴォーボワールが、盛んに議論したり、執筆したりしたという伝説のカフェだが、今は観光客のための少々スノッブなカフェになった。だから、もう、カルチェ・ラタンの学生が日常的に利用するカフェではない。もちろん、サルトルやヴォーボワールはもうこの世にいない。彼らがまだ壮年で、世界の思想界に名をとどろかせ、若者をわくわくさせた、その若者の世代が、今、髪の薄くなったムッシュであり、私の世代である。

 青春は思想であった。

 「カフェ・ド・マゴ」に女性客も多いが、マダムは年を取って、そのような青春の日の感傷のために、わざわざ歴史的カフェを訪れたりはしないものだ。

  日が傾いてきた。ライトアップされたノートルダム大聖堂を、上流の左岸から写真に撮るために、セーヌ川へ向かう。

         ★

< ノートルダム大聖堂とヨーロッパの若者たち >

 少し早すぎた。もうそろそろ午後9時だというのに、空に明るさが残り、ライトアップには、まだ間がありそうだ。

 昼間の賑わいが嘘のようなライトアップされたルーブル宮殿の撮影や、セーヌ川の暗い川面に映るオルセー美術館の撮影がそうであったように、暗闇の中からの、ちょっと孤独な撮影になると思っていた。パリの街を、夜、三脚を持って歩いている人は、まず、いない。

 しかし、…… トゥールネル橋のたもとは川岸が広くなり、石畳が敷きつめられ、まるで広場のようになっていて、そこに高校生、大学生ぐらいの男女の若者たちが三々五々と座り込み、あたり一帯が歩きにくいほど一杯で、楽しそうにさんざめいていた。どうやら、ノートルダム大聖堂のライトアップを待ちわびている若い旅行者たちの群れのようだ。

         ★

  前2回、旅先で見かけた一人旅の若者のことを書いたが、実は高校生のグループ、大学生のグループなど、チームでヨーロッパの文化遺産を訪ねて旅する若者がとても多い。

 必ずリーダーがいる。年長の若者の場合が多いが、時には教授風の人であったりする。

 彼らの行き先は、夫婦連れ、家族連れの一般観光客とは自ずからやや趣を異にする。例えば、彼らを最も多く見かけるのは、国ではイタリアだろう。なぜなら、そこは、ヨーロッパの文明・文化の水源の地だから。

 ヴァチカンのあるローマは、さすがにさまざまな世代の旅行者であふれているが、ルネッサンス発祥の地フィレンツェとなると、若者グループの比率がかなり高いはずだ。

 ローマ帝国末期に都の置かれたローカルな町・ラヴェンナに行ったときも、道が分からなくなると、マップをもって街を颯爽と歩いている若者のグループに付いて行った。すると、ちゃんと、目当ての初期キリスト教の聖堂にたどり着く。ただし、一般旅行者より歩く速度はかなり速くて、そこがしんどい。

          ★

 夕暮れのセーヌ川の様子に話を戻す。 

 電飾を点けた観光遊覧船が行き交って、夜になっても、セーヌの川面は賑わっている。

 紳士、淑女にディナーを提供するやや高級な遊覧船もあれば、若者ばかりを乗せた遊覧船も通る。

 若者たちの遊覧船が通ると、そのたびに川岸にいる若者たちが、「オー」と喚声を上げて、手を振る。それに呼応して、船のほうからも歓声が起きる。若者の船が通るたびに、エールの交換が繰り返される。

 暗くなったセーヌ川の空間に、突然、灯りがともり、対岸のノートルダム大聖堂の威容が、群青色の空を背景に浮かび上がった。

 若者たちの大歓声と拍手が沸き起こる。

   (ライトアップされた大聖堂)

 ヨーロッパの文化遺産のすべてがそうであるように、ノートルダム大聖堂もまた、遠い昔の化石化した文化遺産ではなく、次の世代が、" ヨーロッパとは何か " を考え、" うちなるヨーロッパ" を自分の中に形成するため、生きた教材となっているのである。

 ヨーロッパの若者たち、そして、遠くアメリカやカナダの若者たちも、遥々と祖父の地に旅をしてやってきて、" 自分とは何か? 何ものなのか?" " 私のアイデンティティは?"と問いかける。

 学校教育でも、ヨーロッパ史については、みっちりと教える。誇りにするに足るヨーロッパを。

  (ライトアップされた大聖堂の正面)

          ★

< うちなる日本を >

 奈良や京都への修学旅行が減って、久しい。小学生や中学生に、奈良や京都を見せても、たいして喜ばないだろうと。

 しかし、そのとき深くはわからなくても、小学校、中学校のときに行った奈良や京都が、自分の自己形成において自ずから役に立っている。

 「意味」のない修学旅行なら、先生たちの大変な負担も考えて、廃止すべきである。海を見たこともないという明治時代の山の小学校ではないのだから。

 やるなら、「修学」にふさわしい旅行を考えていただきたい。

  国語も、数学も、理科も、社会も、音楽も、美術も、家庭科も、外国語も、すべて学校で教える事柄は、人間の文化遺産である。そのなかには、世界普遍的なものとともに、国語や日本史のように、日本独自のものもある。そこもしっかり教えてほしい。そして、高校生や大学生になったら、「うちなる日本」を探しに旅立つように、本当の教養を身につけさせてほしい。

 文部科学省の皆さん、英語や、アメリカ式のディベートを教えても、「うちなる日本」を語れないような青年に、世界と太刀打ちすることはできませんよ。

          ★

森有正『遥かなノートル・ダム』(筑摩書房)から

 「伝統というものは、経験の結晶として、一人一人の具体的な人間の全体の中に体現されているのである」。 

  

 

 

 

 

 

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ローマの街角で … ヨーロッパを旅するヨーロッパの若者たち 2 

2012年10月12日 | 西欧旅行…旅の若者たち

    ( 観光客でいっぱいのスペイン階段 ) 

 街を歩いているだけで、心楽しい。そういう気分になるのは、パリを除けば、ローマだろう。

 ローマは、バロックの街だと言われる。

 ミュージシャンがパフォーマンスするナヴォーナ広場も、ライトアップされたトレビの泉も、オードリー・ヘップバーンが降りてくるスペイン階段も、とにかく劇的な空間で、欧米をはじめ世界からやって来た旅行者たちが、ウキウキと歩いている。オシャレなアンティークのお店があり、ジェラードの名店があり、広場にはレストランのテラス席が並ぶ。

   ( ライトアップのトレビの泉 )

 と思えば、フォロ・ロマーノや、コロッセオや、チルコ・マッシモや、それにパンテオンなど、古代ローマ帝国の遺跡が街の中にゴロゴロとある。テヴェレ川の対岸のサンタンジェロ城も、本来はローマの皇帝たちの墓所である。

 そして、その隣には、カソリックの総本山、バチカンが、今も多くの信者や観光客を集めている。

           ★

 市民からネズミ出没の苦情が出て、ローマ市議会がてんやわんや。下水道を掃除したのはいつなのか? 調べてみたら、清掃したという最も新しい記録が、ローマ帝国末期! 古代ローマが建設した下水道を、掃除もせず使い続けてきた町でもある。 ( 塩野七生 『イタリアからの手紙』新潮文庫から )。

         ★

 ヴァチカンから、ローマの街を横断して、スペイン広場まで、石畳の道をてくてく歩いた。

 途中、ナヴォーナ広場を目指していて、道に迷う。地図はあるが、自分の位置がわからなければ、どうしようもない。

         ( ローマの競技場の跡、ナヴォーナ広場)

 知らない広場に迷い込んだ。庶民的な雰囲気の広場で、テントが張られ、花屋、肉屋、八百屋などの市が立っていた。近所のマダムたちが、朝の買い物のために集まっている。

 誰かに道を尋ねようと思って見渡すと、小さなリュックザックを背負った長身の女の子が、石造りの建物の角にたたずんでいた。一人旅の女子高校生か?

 おぼつかない英語で、「エクスキューズ・ミー。道に迷いました。ナヴォーナ広場に行きたいのです。行き方を教えてください」。

 すると、「私にはわかりません。何となれば (Because) 、私も旅行者ですから」 と、英文法どおりの律儀な答えが、緊張した顔で返ってきた。

 「ありがとう」。

 もちろんアメリカ人やイギリス人の英語ではない。英語圏以外。ドイツかな??

 振り返ると、相変わらず、市の様子をじっと眺めている。一人旅だからこその鋭敏になった感受性で、何かを感じ、考えているのだろう。

 旅は心を成長させる。

 日本の高校生、大学生諸君。旅に出て、自分一人の足でしっかり立つ、その感覚を身につけよう。 

 小さな 「グループ」 にとにかく所属して、その中で、傷つかないよう、傷つけないよう、気を使ってばかりの青春なんて、若者の生き方ではない。

 「グループ」に依存しないこと。群れないこと。「グループ」に友情なんか生まれない。友情が生まれるとしたら、何かを成し遂げようとする「チーム」だ。

          ★

 あとで、カンポ・ディ・フィオーリ広場 (花の広場) という綺麗な名の広場だと知った。

 リュックザックを背負った一人旅の女子高生の姿が、印象に残った旅であった。

 

 

 

 

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シャルトル行きの列車の中で … ヨーロッパを旅するヨーロッパの若者たち 1

2012年10月10日 | 西欧旅行…旅の若者たち

      (シャルトルの街)

 パリから列車で1時間少々。

 地平線まで広がる小麦畑。ボーズ平野の中に、シャルトルという小さな感じの良い町があり、そこにシャルトルの大聖堂が建つ。

 井上靖の小説 『化石』 の中で、主人公がこの町の大聖堂を訪れる場面があった。

 ロダンが褒め称えた様式の異なる二つの塔。

 ファーサードには飛鳥仏を連想させる聖人たちの古風な彫像。

 そして、大聖堂の中に一歩入れば、暗闇の中に、宝石箱をひっくり返したように輝くステンドグラスの光の交響楽。

 この大聖堂と静かなシャルトルの町並みをゆっくり味わいたいと、一人、パリのモンパルナス駅から列車に乗った。

   

   ( シャルトルの大聖堂 )

          ★

 アナウンスも、発車のベルもなく、時間になると、列車は静かにホームを滑り出す。ヨーロッパの鉄道の旅の、心ときめく瞬間である。

 レンヌ行きの列車は、ヴェルサイユ宮殿のある駅や、現在は大統領の夏の避暑地として使われるランブイエ城のある駅などに停車しながら、畑や、牧草地や、せせらぎの流れる林の中を、シャルトルへと走る。

 昼過ぎの1等の車両には、自分を含めて4人だけ。少し離れたボックスに中年の上品な夫妻。奥さんは、エリザベス・テイラーに似た美しい人だ。

 通路をはさんだ隣のボックスには、「良い家庭でまっすぐに育った」という感じの、色の白い、ほっそりした少年が、一人で、座っている。

 中学生くらいだろうか? 先ほどから、トーマス・クックの分厚い時刻表を膝に乗せ、その上にノートを開いて、一心不乱という感じで、筆記している。

 やがて列車はヴェルサイユ駅に着き、他の車両から降りた人々に混じって、その少年も、出口のほうに歩いて行った。今日はヴェルサイユ宮殿を見学するのであろう。 

 少年の一人旅。

 フランスのどこかから、もしかしたらEU圏のどこかの国から、列車の旅をしてやってきたのだろう。文化遺産を訪ねて歩く。途中、旅の行動や費用、そして印象を、忘れないうちに書き留める。

 群れることなく、一人、自分の足で立つ。その訓練の旅でもある。

 一人旅では、自分の知識・判断力・意志力・感受性が、鋭敏に、生き生きと活動する。

 かつて日本でも見かけた、なつかしい少年の姿であった。

 

 

  

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