< パリの空の下セーヌは流れる >
ミラボー橋の下をセーヌは流れ / われらの恋が流れる /
わたしは思い出す / 悩みのあとには楽しみが来ると /
日も暮れよ、鐘も鳴れ / 月日は流れ、わたしは残る
アポリネールの詩 「ミラボー橋」は、「月日は流れ、わたしは残る」 というリフレーンが、セーヌ川の滔々とした流れと響きあい、橋の上からセーヌの流れを眺める孤独な詩人のイメージが形象化されて、印象的である。
黄昏どき、軽やかな鐘の音も花びらのように流れてくる ……。
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ヨーロッパの町のなかでも、パリは格別である。
空が広い、と感じる。
例えばヴェネツィアで2、3日を過ごして、飛行機でパリに移動して、シャルル・ド・ゴール空港から地下鉄に乗りシャトレで降りて、地上に出たとたん、街並みや、セーヌに架かる橋や、道行く人々が、なぜか心を明るくし、心に開放感が広がってくる。
シャンソンはもう流行らないが、アコーデオンが奏でる、ちょっと哀愁を帯びたシャンソンの音色が似合う街だ。
カフェのテラス席で、行き交う人々を眺めながら、一杯のグラスワインを傾ける。
( セーヌの遊覧船、遠くにモンマルトルの丘 )
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< 「カフェ・ド・マゴ」の青春 >
パリに、好きな景色がある。
観光にも飽きて、朝から、或いは夕方、「カフェ・ド・マゴ」のテラス席に座り、広場越しに、サンジェルマン・デ・プレ教会の蔦の絡んだ瀟洒な塔をぼんやりと眺める。
隣の席でも、髪が薄くなったムッシュが、静かな眼差しを教会の塔の方へ向けて、コーヒーカップをテーブルに置いたまま、時を過ごしている。
「カフェ・ド・マゴ」には、なぜかムッシュのイメージが似合い、マダムの影は薄い。
かつて実存哲学者のサルトルやヴォーボワールが、盛んに議論したり、執筆したりしたという伝説のカフェだが、今は観光客のための少々スノッブなカフェになった。だから、もう、カルチェ・ラタンの学生が日常的に利用するカフェではない。もちろん、サルトルやヴォーボワールはもうこの世にいない。彼らがまだ壮年で、世界の思想界に名をとどろかせ、若者をわくわくさせた、その若者の世代が、今、髪の薄くなったムッシュであり、私の世代である。
青春は思想であった。
「カフェ・ド・マゴ」に女性客も多いが、マダムは年を取って、そのような青春の日の感傷のために、わざわざ歴史的カフェを訪れたりはしないものだ。
日が傾いてきた。ライトアップされたノートルダム大聖堂を、上流の左岸から写真に撮るために、セーヌ川へ向かう。
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< ノートルダム大聖堂とヨーロッパの若者たち >
少し早すぎた。もうそろそろ午後9時だというのに、空に明るさが残り、ライトアップには、まだ間がありそうだ。
昼間の賑わいが嘘のようなライトアップされたルーブル宮殿の撮影や、セーヌ川の暗い川面に映るオルセー美術館の撮影がそうであったように、暗闇の中からの、ちょっと孤独な撮影になると思っていた。パリの街を、夜、三脚を持って歩いている人は、まず、いない。
しかし、…… トゥールネル橋のたもとは川岸が広くなり、石畳が敷きつめられ、まるで広場のようになっていて、そこに高校生、大学生ぐらいの男女の若者たちが三々五々と座り込み、あたり一帯が歩きにくいほど一杯で、楽しそうにさんざめいていた。どうやら、ノートルダム大聖堂のライトアップを待ちわびている若い旅行者たちの群れのようだ。
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前2回、旅先で見かけた一人旅の若者のことを書いたが、実は高校生のグループ、大学生のグループなど、チームでヨーロッパの文化遺産を訪ねて旅する若者がとても多い。
必ずリーダーがいる。年長の若者の場合が多いが、時には教授風の人であったりする。
彼らの行き先は、夫婦連れ、家族連れの一般観光客とは自ずからやや趣を異にする。例えば、彼らを最も多く見かけるのは、国ではイタリアだろう。なぜなら、そこは、ヨーロッパの文明・文化の水源の地だから。
ヴァチカンのあるローマは、さすがにさまざまな世代の旅行者であふれているが、ルネッサンス発祥の地フィレンツェとなると、若者グループの比率がかなり高いはずだ。
ローマ帝国末期に都の置かれたローカルな町・ラヴェンナに行ったときも、道が分からなくなると、マップをもって街を颯爽と歩いている若者のグループに付いて行った。すると、ちゃんと、目当ての初期キリスト教の聖堂にたどり着く。ただし、一般旅行者より歩く速度はかなり速くて、そこがしんどい。
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夕暮れのセーヌ川の様子に話を戻す。
電飾を点けた観光遊覧船が行き交って、夜になっても、セーヌの川面は賑わっている。
紳士、淑女にディナーを提供するやや高級な遊覧船もあれば、若者ばかりを乗せた遊覧船も通る。
若者たちの遊覧船が通ると、そのたびに川岸にいる若者たちが、「オー」と喚声を上げて、手を振る。それに呼応して、船のほうからも歓声が起きる。若者の船が通るたびに、エールの交換が繰り返される。
暗くなったセーヌ川の空間に、突然、灯りがともり、対岸のノートルダム大聖堂の威容が、群青色の空を背景に浮かび上がった。
若者たちの大歓声と拍手が沸き起こる。
(ライトアップされた大聖堂)
ヨーロッパの文化遺産のすべてがそうであるように、ノートルダム大聖堂もまた、遠い昔の化石化した文化遺産ではなく、次の世代が、" ヨーロッパとは何か " を考え、" うちなるヨーロッパ" を自分の中に形成するため、生きた教材となっているのである。
ヨーロッパの若者たち、そして、遠くアメリカやカナダの若者たちも、遥々と祖父の地に旅をしてやってきて、" 自分とは何か? 何ものなのか?" " 私のアイデンティティは?"と問いかける。
学校教育でも、ヨーロッパ史については、みっちりと教える。誇りにするに足るヨーロッパを。
(ライトアップされた大聖堂の正面)
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< うちなる日本を >
奈良や京都への修学旅行が減って、久しい。小学生や中学生に、奈良や京都を見せても、たいして喜ばないだろうと。
しかし、そのとき深くはわからなくても、小学校、中学校のときに行った奈良や京都が、自分の自己形成において自ずから役に立っている。
「意味」のない修学旅行なら、先生たちの大変な負担も考えて、廃止すべきである。海を見たこともないという明治時代の山の小学校ではないのだから。
やるなら、「修学」にふさわしい旅行を考えていただきたい。
国語も、数学も、理科も、社会も、音楽も、美術も、家庭科も、外国語も、すべて学校で教える事柄は、人間の文化遺産である。そのなかには、世界普遍的なものとともに、国語や日本史のように、日本独自のものもある。そこもしっかり教えてほしい。そして、高校生や大学生になったら、「うちなる日本」を探しに旅立つように、本当の教養を身につけさせてほしい。
文部科学省の皆さん、英語や、アメリカ式のディベートを教えても、「うちなる日本」を語れないような青年に、世界と太刀打ちすることはできませんよ。
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森有正『遥かなノートル・ダム』(筑摩書房)から
「伝統というものは、経験の結晶として、一人一人の具体的な人間の全体の中に体現されているのである」。