ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

恋の絵馬 … 読売俳壇・歌壇から

2018年03月31日 | 随想…俳句と短歌

          ( 奈良・興福寺 )

短 歌 >

〇 大和路の 古寺(コジ)を巡れば 仏心の

 少なき身にも 安らぎの湧く

       ( 渡部 達男さん )

※ 「古寺を巡れば … 安らぎの湧く」。仏心とは決して大仰なものではなく、本ものの仏心とはそういうものだという気がします。

〇 ふかぶかと 頭をさげて 去りゆけり

 駅を問いたる 白人女性

       (玉川 伴雄さん)

※ 日本を旅するヨーロッパ系の旅人のなかには、日本人より日本の心をもつ人がいるように思います。他者や異文明をリスペクトする心があってこその旅です。

〇 申告の わずかな稼ぎに 掛かりたる

 僅かな税を 払うよろこび

       (海老原 敏男さん)

※ 国民としての義務でもありますが、同時に、誇りでもあります。清々しい歌です。

〇 赤々と 燃ゆる火ぬくし

 古家の 解体終へし 人らかたらず

       (上野 千種さん)

※ 歴史というものの長さからみれば、一世代はあっという間です。しかし、それでも、そこには人の半生があったのです。解体作業を終えて焚火にあたる作業員らも、口数少ない。喜んでやっているわけではない。大量生産・大量消費の社会は、そろそろ終わりにしたいものです。

         ★

俳 句 >

〇 まだまだと 大和平野の 冴返る

       (寺岡 賢治さん)

※ 「冴(え)返る」は季語で、春になって寒さがぶり返すこと。正岡子規の写生を実践しているとともすれば世界が微細なものになりがちですが、この句は、「まだまだと」という口語的表現に続いて、「大和平野の」と図柄が大きく、素晴らしい俳句だと思います。

〇 鬼やらふ この世の闇の 恐ろしく

       (久保谷 幸正さん)

※ 「鬼遣らひ」「追儺(ツイナ)」。節分の行事。動詞となって、鬼を追い払うこと。

 鬼は闇のそこここに隠れています。わが心の闇にも。「明」があれば「暗」もある。「明」だけの世界を求める思想は、かえって恐ろしい。鬼が隠れていてこそ、人の世であり、人の心。そう思ってみれば、愛嬌があるではありませんか。

〇 受験子の 絵馬にかくれて 恋の絵馬

       (中 博司さん)

※ 桜のようにほんのりと紅がさす句です。

    ★   ★   ★

16

 

     ( 臼杵摩崖仏 )

   今回、カテゴリー 「国内旅行 … 国東半島の旅」のうち、8から10及びその続編1~2をメンテナンスしました。「秋の国東半島石仏を巡る旅」です。

 題を変えたり、写真を一部差し替えたり、また、枠組をスマホ仕様にし、文章表現の手直しもしました。2015年1月から3月に書いた5編です。

8 「国宝・臼杵摩崖仏と真名野長者伝説」

9 「小さな城下町・臼杵」

10 「藩風が町の気品として残る城下町・杵築」

続編 「国東半島から日本の未来を見る1」

続編 「国東半島から日本の未来を見る2」

       ★

 杵築は、小さな美しい城下町でした。写真をご覧ください。

   「続編」の1、2は、現代の課題について、たまたま目にした当地に関する新聞記事を引用しながら考えました。

 また 

 

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藤井さんなら … 読売俳壇・歌壇から

2018年03月07日 | 随想…俳句と短歌

   気象予報士は、「寒暖差が大きい。今日はしっかり寒さ対策をして出かけましょう」などと言うが、晴れていさえすれば、ぽかぽかと暖かい。あちらの畑にも、こちらの民家の庭にも、せせらぎの辺にも、白梅、紅梅が満開だ。

 さて、新聞に投稿された短歌、俳句、川柳に目を通していると、高齢者の心境を詠じた作品が目に付く。社会の高齢化が進んで高齢者の投稿が多いし、高齢者の一人である私もまた、若いころは目の前のことでいっぱいだったが、年とともに老境を詠んだ短歌や俳句に心ひかれるようになった。

 今回は、最近、感動した短歌5編を紹介します。あくまで私の好み、感性による選択です。

〇 目覚めたる 夜半にのみほす 一杯の

  水のうまさよ 八十五の春

          ( 芳垣 光男さん ) 

※ 夜半に目覚めるのは年のせい。一杯の水をうまいと感じるのは生ある証拠です。私は、85歳にはまだ間がありますが、生きている限りはこの方のように矍鑠(カクシャク)として生きたいものです。

〇 山すそに 廃寺となりて 残る寺

  数基の墓と 忠魂碑立つ 

                   ( 北泊 あけみさん )

※ 岡野弘彦評 : 「日本の各地で、こうした無住の寺や神社がふえているようだ。人情や信仰の変化と言えばその通りだが、我々をはじめ子孫の安心を思うと気になる問題だ」。

 忠魂碑を軍国主義の象徴などと言うことなかれ。そういう時代も含めて私たちの民族の歴史なのだから。

〇 君知らぬ 十六年を われ生きて

  木犀の香の 秋はめぐり来

    ( 瀬古沢 和子さん )

※ 「君」は十六年前の秋に亡くなった愛する人(男)のことでしょう。死者は生きている者に温もりを残し、生きている者は死者に安らぎを与えます。

〇 残されし 人の元気が 供養だと

  吾を救ひし 言葉を送る

    ( 高品 弘さん )

※ かつて大切な人が亡くなって打ちひしがれていたときに誰かに言っていただいた言葉を、今度はどなたかに送って励ましたのでしょう。死者にとって、愛する人が明るく生きていてくれることが、何よりもうれしい。

〇 爺がさす 駒見てそっと 孫がいふ

  藤井さんなら ここに歩を置く

    ( 重親 利行さん )

※ 短歌ですが、まるで川柳のように笑いました。小学生でしょうか。賢く、しかも、やさしい少年ですね。

 私の孫はかつて将棋教室に通っていましたから、しばしば言う私の「待った」を認めてくれませんでした。でも、将棋とは別に、孫はほっこりするようなやさしさを示してくれることがありますから、この歌はよくわかります。

     ★   ★   ★

16

     ( 宇佐神宮 )

   今回、カテゴリー 「国内旅行 … 国東半島の旅」のうち、1から7までをメンテナンスしました。「秋の国東半島石仏を巡る旅」です。

 題を変えたり、写真を一部差し替えたり、また、枠組をスマホ仕様にし、文章表現の手直しをしました。2014年11月から2015年にかけて書いた以下の7編です。

1 「旅の初めは羅漢寺へ」

2 「ドングリの杜の宇佐神宮に」

3 「国東半島は神と仏が習合した里」

4 「岩壁の熊野摩崖仏と神仏習合の起こり」

5 「幻の大寺を伝える真木大堂と田染荘」

6 「国宝の富貴寺阿弥陀堂」

7 「修験道の大寺・両子寺」

         ★

 国東半島とは、どんなところだろう??

   いつものように帰ってからいろいろ調べました。それを要約したのが、2、3、4です。知ることで、この地の味わいがより深くなりました。

 また 

 

 

 

 

 

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