( 奈良・興福寺 )
< 短 歌 >
〇 大和路の 古寺(コジ)を巡れば 仏心の
少なき身にも 安らぎの湧く
( 渡部 達男さん )
※ 「古寺を巡れば … 安らぎの湧く」。仏心とは決して大仰なものではなく、本ものの仏心とはそういうものだという気がします。
〇 ふかぶかと 頭をさげて 去りゆけり
駅を問いたる 白人女性
(玉川 伴雄さん)
※ 日本を旅するヨーロッパ系の旅人のなかには、日本人より日本の心をもつ人がいるように思います。他者や異文明をリスペクトする心があってこその旅です。
〇 申告の わずかな稼ぎに 掛かりたる
僅かな税を 払うよろこび
(海老原 敏男さん)
※ 国民としての義務でもありますが、同時に、誇りでもあります。清々しい歌です。
〇 赤々と 燃ゆる火ぬくし
古家の 解体終へし 人らかたらず
(上野 千種さん)
※ 歴史というものの長さからみれば、一世代はあっという間です。しかし、それでも、そこには人の半生があったのです。解体作業を終えて焚火にあたる作業員らも、口数少ない。喜んでやっているわけではない。大量生産・大量消費の社会は、そろそろ終わりにしたいものです。
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< 俳 句 >
〇 まだまだと 大和平野の 冴返る
(寺岡 賢治さん)
※ 「冴(え)返る」は季語で、春になって寒さがぶり返すこと。正岡子規の写生を実践しているとともすれば世界が微細なものになりがちですが、この句は、「まだまだと」という口語的表現に続いて、「大和平野の」と図柄が大きく、素晴らしい俳句だと思います。
〇 鬼やらふ この世の闇の 恐ろしく
(久保谷 幸正さん)
※ 「鬼遣らひ」「追儺(ツイナ)」。節分の行事。動詞となって、鬼を追い払うこと。
鬼は闇のそこここに隠れています。わが心の闇にも。「明」があれば「暗」もある。「明」だけの世界を求める思想は、かえって恐ろしい。鬼が隠れていてこそ、人の世であり、人の心。そう思ってみれば、愛嬌があるではありませんか。
〇 受験子の 絵馬にかくれて 恋の絵馬
(中 博司さん)
※ 桜のようにほんのりと紅がさす句です。
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( 臼杵摩崖仏 )
今回、カテゴリー 「国内旅行 … 国東半島の旅」のうち、8から10及びその続編1~2をメンテナンスしました。「秋の国東半島石仏を巡る旅」です。
題を変えたり、写真を一部差し替えたり、また、枠組をスマホ仕様にし、文章表現の手直しもしました。2015年1月から3月に書いた5編です。
8 「国宝・臼杵摩崖仏と真名野長者伝説」
9 「小さな城下町・臼杵」
10 「藩風が町の気品として残る城下町・杵築」
続編 「国東半島から日本の未来を見る1」
続編 「国東半島から日本の未来を見る2」
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杵築は、小さな美しい城下町でした。写真をご覧ください。
「続編」の1、2は、現代の課題について、たまたま目にした当地に関する新聞記事を引用しながら考えました。
また