ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

若き日々気にもかけざる … 読売俳壇・歌壇から

2019年01月03日 | 随想…俳句と短歌

あけましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願いします

     ★   ★   ★ 

 さて、昨年末の俳句に続いて、今回は短歌です。

〇 若き日々 気にもかけざる 道端の

  地蔵に今朝は 両手を合わせる

    (狭山市 / 奥薗 道昭さん) 

※ 天地宇宙・森羅万象、そして、この日本列島に生まれ、生き、土に戻っていった祖先に対する敬虔な気持ちでしょうか。そういう気持ちは、若く、血の気が多く、「我」にとらわれている時には、もたないものです。

 サッカー日本女子代表監督の高倉麻子さんが、「選手時代は全くなかったんですけど、代表監督になってから、道を歩いていて神社があると、つい立ち寄って参拝するようになりました」と、ちょっと照れながら話していました。よくわかります。

   海上自衛隊掃海艇女性艇長岡田茜さん(2019、1、4讀賣)

 「初めて『ちちじま』の艇長室に座った時、海がそれまでとは異なって見えました」。

 「危険を伴う困難な課題が与えられ、決断をためらってしまったことがあるのですが、部下に『艇長から、やれ、と言われたら我々はやるのです』と言われ、勇気づけられました。部下の信頼を得てこそ、私の命令一つで一つにまとまるのだと実感しました」。

   艇長としての判断はある。それは論理的帰結だ。だが、命令を下さねばならぬとき、その過酷さについ逡巡した。しかし、隊員は言う。隊員各自が「我」を主張しだしたら破滅しかない。最後は艇長の判断に従うのみ。

── ちなみに女性艇長の部下約50人は全員、男性だそうです。

 昨年のワールドカップのポーランド戦を思い出します。翌朝のミーティングの時、西野監督は選手に謝ったそうです。これから、日々、国民と世界のサッカーファンの非難の中を生きていかなければならないかもしれない。しかし、選手全員が、西野監督のあの作戦を支持したそうです。

   高倉さんが神社にお参りするのは、神頼みというようなこととは少し違います。日本代表監督として、選手たちの信望とファン・国民の期待を一身に受けて立つ立場になった人の、「我」を超えた深い思いを感じます。

 日本の神々は、モーゼの神のように海を割いたり、イエスのように死者を蘇らせてみせたり、そういうおどろおどろしい奇蹟を起こしません。

 祈る人に寄り添って、その人の努力に少し力を添えてくれるだけです。決断するのも人、実行するのも人です。

 いつも明るく爽やかな、日本代表監督に期待しています。がんばれ!! 高倉さん。

        ★

 2013年5月に投稿した「散歩道5 … 石仏」を少し再掲したいと思います。

 「散歩していると、今まであまり気に留めていなかったことに、改めて気づかされることがある。

   例えば、気をつけて歩いていると、あちこちに石仏がある。

   石仏には、雨露をしのげるようお家が作ってある。野ざらしの場合も、その前に、花が供えられている。

   だれが、このように敬虔な、或いは、心優しいことをしているのだろう?」

 「近くの住人でも、そこに石仏があることを知らない人は多いだろう。人は、眼に映じているものすべてが見えているわけではない。

 だが、遠い昔から21世紀の今に至るまで、だれかが、心を込めて、家の近くの野の仏をお世話してきた。

 こういうことも、この島国に生まれ、母音の強い言葉を話し、漢字混じりのかなを書き、四季の変化に一喜一憂し、風の音や鳥の声を左脳で聞く人々が引き継いできた文化である。文化とは、文学とか音楽とか美術とかいう以前の、このような日々の生活の中にあるものだろう」。

 

 「この5月、スペインへ行った。

 アンダルシヤ地方の小さな町を歩いているとき、道の辻にマリア像や磔刑のキリスト像が祀られているのを見た。以前、何度か行った海の都ヴェネツィアの迷路のような路地にもあった。

 これらと比べて、日本の石仏は周りの家並みや野の景色に溶け込んでいて、容姿も穏やかで、愛嬌があり、心優しい」。

         ★

〇 妻われに 図書館にでも  行ったらと

  一万円札 手渡しくれる

    (仙台市 / 鏡 謙一さん) 

※ この作品については、選者の評と合わせてご鑑賞ください。選者の評が、おかしい。

 「図書館に行くのにお金はかからぬが、それでもお金を渡してくれた。しかも千円でなく一万円を。なんとよき妻、神のごとし」。

        ★

〇 息子ほどの 年の内科医に 私、鬱と

  訴へて帰る 葉桜の道

    (座間市 / 高田 孝子さん) 

※ この作品に、なぜか心ひかれて、書き留めました。どこに心ひかれたのか?? しばらく考えました。 

  「息子ほどの年の」お医者さん。しかも、内科の先生。頼りないのですが、だからこそ、さらっと言えた。そういう相手だから期待していたわけではない。だが、さらっと訴えたら、すっと心が軽くなった。桜の若葉が萌え出た陽だまりの道を、少し明るい気分で帰っていく。「あの先生、私にはいいかも」。

 心の機微が詠まれていて、ちょっとしたエッセイのよう。短歌的叙情に逃げず、からっとしているところがいい。

 それにしても、人生も半分を過ぎると、私もそうですが、定年退職とか、健康診断で何か気になる結果が出たとか、そうしたことがきっかけで、知らぬ間に心が鬱的状態になります。お互いに気を付けましょう。

           ★ 

〇 山畑を 誰に遠慮の 要るものか

  煙草吸う人 鶯も鳴く

   (宇陀市 / 木下 瑞子さん)

※ 私は煙草を吸いませんが、最近、喫煙者に対する風当たりが強く、同情することもあります。

 テレビで「日本は喫煙規制に関して周回遅れだ、恥ずかしい」などという評論家の声も聴きました。しかし、私は、毎年、西欧旅行に出かけますが、そんな風には感じたことはありません。欧米は、何事でも、一時的に極端に走りすぎて、あとで反省し、ちゃんとバランスをとります。

 バランスの取り方は、それぞれの国ごとの条件に合わせたらよいと思います。欧米のバール、カフェ、レストランは、たいてい路上にテラス席を設けています。そして、そちらの方に座る客が圧倒的に多い。その上での、建物内全面喫煙です。日本は、路上喫煙も禁止した上、小さな居酒屋の中も禁止せよと言う。条件が違うのに、西欧の規則をそのままあてはめようとするのは無理というものです。小さな居酒屋の中の煙草の煙は私もいやですが、一方的にお上の禁止令で処理するのではなく、何か折り合いを付ける方法を考えてほしい。 

 私は分煙に賛成ですが、喫煙所からかすかに漏れてきたタバコの煙を許せない人がいます。鬼の首でも取ったように、まわりに不満をまき散らす。

 たまたまそこを通りかかって、かすかに漂ってきた煙を一瞬吸ってしまったとしても、その程度であなたは癌になりません。大丈夫です。それより、そういう人を許せない狭小な心がストレスをうみ、癌の要因になります。

 誰しも、大なり小なり、人に迷惑をかけ、人を傷つけて生きています。完璧な人などいるはずがないから、この世は楽しいのです。もう少しだけ、おおらかで寛容に。

 田畑に春が来て、鶯も鳴いて、のどかです。心おきなく一服を。でも、あなたの健康のために、ほどほどにね。

        ★

〇 葛城の 一言主(ヒトコトヌシ)の 神のには

  銀杏(イチョウ) の黄金(コガネ) ふりやまぬなり

    (岡山市 / 前原 和子さん)

※ 選者である岡野弘彦先生の評が絶品です。

 「大和の西側の葛城地方は、東側とは違って葛城山系の神の支配する世界であった。その葛城の社に鎮まる一言主は威力ある言語の神である。散りしきる黄葉が象徴的だ」。

  葛城一言主神社については、つい先日、このブログに書いたばかりです。訪ねた時は、落葉には少し早かった。

 「『古事記』にも『日本書紀』にも、葛城山を訪ねた雄略天皇と一言主神とのやりとりの話が登場する。高天原の話ではない。人間の大王と土地の神とのやりとりは、まるでギリシャ神話のようだ」。 

 「祭神の一言主神は、凶事も吉事も一言で言い放つ『託宣の神』であったらしい。だが、今は、託宣というより、一言で願いをかなえてくれる神さまとして信仰されている。ただし、『ひとこと』は『一事』でもあるから、願いは一つだけ。あれもこれもと欲張ってはいけないことになっている。そこが良い」。

 「境内に、銀杏の古木。そして、歌碑もある。

 歌の中の『其津彦(ソツヒコ)』は、碑に説明されているように葛城氏の祖」。

 「このあたりから北を見れば、遠い昔、政治の中心であった大和平野が一望でき、背後には、我が家からは遠くに見える秀峰・金剛山、葛城山が、驚くほど間近に、迫力をもって聳えている。

 遠い昔 … この地に蟠踞した葛城氏は、朝鮮半島まで兵を出し、朝廷に大臣も出し、妃も出した」。

 少し謎めいた、しかし、土の香りのする、草深い山里である。

   

 

コメント
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