一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「将棋ペンクラブ関東交流会」に行く(中編)・安食総子女流初段のかわいらしさと、林葉直子さんのサイン

2010-05-27 01:09:45 | 将棋ペンクラブ
昼すぎに斎田晴子女流四段、安食総子女流初段がいらっしゃる。実は2局目の開始前、可能なら松尾香織女流初段との指導対局をお願いしていたのだが、何人か先約があったので、見送った。もっとも松尾女流初段にはLPSA金曜サロンで何回もキツい洗礼を受けており、無理に指導対局を受ける必要もない。
斎田女流四段、安食女流初段の指導対局を申し出ると、まだいらっしゃったばかりなので、2面指しにもかかわらず、十分空きがあった。幹事氏が
「どちらにされます?」
とおふたりの前で訊くので、安食先生で…と小声で答える。
「だって元女流名人に将棋を教わるなんて、恐れ多くて…」
と、斎田女流四段へのフォローも申し添えておく。指導対局を受けるほうも、いろいろ気を遣うのだ。
安食女流初段についてはあらためて説明するまでもないだろう。現在「将棋講座」で阿久津主税七段のアシスタントをしており、あのゆったりした話し方は、万人を脱力させる。「西のしーちゃん、東のあじあじ」と呼ぶに相応しい、癒し系女流棋士である。
そのあじあじが、いま自分の目の前にいると思うと、緊張してしまう。しかし何というかわいらしさだろう。安食女流初段も30歳を越えているが、とてもそうは見えない。この手のお顔は、歳を取ってもほとんど容貌は変わらない。トクだと思う。
左の方が棋譜をつけるようなので、私もそれに倣う。LPSAが販売している棋譜ノートだが、大丈夫だろうか。
将棋は私も左の方も、居飛車の明示。対して安食女流初段は両方とも四間飛車だった。
☖4三銀と上がったので、私は☗左4六銀と上がり、☗3五歩を狙う。対して安食女流初段は☖3二金。
大山流の一手で、安食女流初段は女流棋士には珍しい、受け将棋のように思われた。数手のちに、私は☗2四歩☖同歩☗2三角と打つ。
表向きの狙いは(☖5二飛なので)☗4一角成だが、その実は☗3四角成と金を取り、☖同銀に☗2四飛の走りを見ている。
実戦は飛車成りを受けずに☖6四角と打ったが、私も2八の飛車取りに構わず☗3四角成を決行する。以下☖3四同銀に☗2四飛と走った手が、銀桂両取り。これは優勢になったと思った。
しかし温泉気分でいたのはここまで。どうも安食女流初段に掌の上で踊らされていたようで、このあと安食女流初段の巧妙な反撃に手を焼き、いつの間にか逆転されてしまい、私は72手までで駒を投じた。
感想戦では、☗2四飛まで私の優勢が確認されたが、このあと☗3四飛と銀を取ったのが次善手で、☗2一飛成と桂を取りながら侵入するのが最善とされた。
しかし安食女流初段、あの柔和な顔にもかかわらず、厳しい手を指す。これだから女流棋士は恐ろしい。このまま引き下がるわけにはいかないので、
「あのう…あとで『(NHK)将棋講座』の表紙にサインをしていただくことはできますでしょうか…」
とお願いする。最新6月号は、安食女流初段が表紙なのだ。
もちろん快諾していただいただが、あいにく「将棋講座」は自宅である。なんだかバカバカしいが、1階の売店へ買いに行く。しかし見当たらず、近所の本屋へ出向いたが、「NHK囲碁講座」があるのみだ。
とりあえず4階へ戻ると、「近代将棋」元編集長・中野隆義氏との対局がついた。
私の四間飛車に、中野氏の棒銀。仕掛けられたところではもうこちらが指しづらく、角銀交換の駒損となっては、早くも劣勢となった。
林葉さんに手合いがついて、こちらへ戻ってくる。林葉さんも私も先ほどと同じ盤の前に座ったから、私はまたもや林葉さんを鑑賞する機会に恵まれた。林葉さんは相手から飛車落ちを所望されて、
「飛車落ちは指したことないから…」
とか言っている。その声にハリがない。
こちらの将棋は、ただでさえ形勢が悪いのに、林葉さんをチラチラ見ているから、私の敗勢になっていた。もう、どう指されても負けだったが、中野氏が香を捨ててから竜で金を取ったのが緩手で、私の☗2一角にも応手を誤り、さらに☗3二角打と手掛かりを増やしてから竜を外したら、中野氏が投了してしまった。
後手玉はたしかに危ないが、投了の局面から☖2二金とでも打って☗2三玉を防いでおけば、まだ後手に分があったのではないか。
中野氏とは昨年も当たったが、やはり終盤の難しい局面で、突然投了された。どうも中野氏、勝敗には無頓着のようだ。
一応勝ちになったものの、実質負けである。私は連勝連敗タイプなので、この流れはよくない。次の相手も私と同じ段の人。緒戦に勝ったらしいが、そのあとは負けが続いているという。
(こりゃあ1勝もらった)
と内心でほくそ笑んだが、こういうときがいちばん危ない。私の先手で☗7六歩☖3四歩☗2六歩と、強引にひねり飛車に誘導したが、この作戦がどうだったか。ふつうに三間飛車ぐらいを指すべきだったかもしれない。
本譜は☗4八玉☗8三馬☗9三竜、後手氏☖7七竜の局面で、私が☗9一竜と入ったのが大ポカ。後手氏に首を傾げながら☖8八竜と王手馬取りを掛けられては、勝負は終わった。
2年ぶりにぺンクラブ会員に負け、指導対局での敗退が加算されて、3勝2敗。最多勝に黄信号がともった。「将棋講座」は1階売店のカウンターにあるとのことで、再び買いに行く。私は今年の6月まで日本将棋連盟の支部会員なのだが(更新の予定はない)、NHKの発行物には割引は利かない。
戻ってくると、6局目の対局がついた。交流会では必ず当たる、ゴキゲン中飛車の使い手氏とだ。
左を見ると、向かいで林葉さんがまたまた将棋を指している。これでは私がストーカーをしているようだ。先ほど林葉さんがいた場所には、梨沙帆さんが座って将棋を指している。やっぱり船戸陽子女流二段に似ていると思う。
同じ列に、加賀さやかさんもいる。もうひとり女性もいる。つまり4人の女性が、並列で指していた。こんな光景は交流会始まって以来ではなかろうか。
林葉さんの相手は、私が安食女流初段に指導を受けたとき、左にいた人だった。先手氏の居飛車(矢倉)に、林葉さんの振り飛車。例によって、やや林葉さんが苦しい。それにしても、林葉さんの腕が細い。胸元に目がいってしまう。
それよりも私の将棋である。私は角道を開けず、二枚落ちの上手のような指し方で、5筋を厚くしていった。さらに☖4三金☖4二金の形から、☖5二飛と廻って優勢を意識した。中飛車氏は☗7七歩と謝った形がひどい。
林葉さんは☗7五桂☗8六香と玉頭を攻められ、☖5一金寄と受けるようでは苦戦である。しかし数手後、☖3六馬☖7四桂の形から、☖7八竜~☖8六桂打と、見事な寄せが出た。
だがそのあとがいけない。あとはどう指しても並べ詰みなのに、着手が遅い。手が見えていないのだ。こんな有様では、とても秒読みに堪えられない。これは中倉彰子女流初段との対局までにどんどん実戦をこなして、サビを落とすことが必要である。
私のほうは優勢を保っている。と、林葉さんが帰ることになった。サインは? サインをもらわなければ!!
私は部屋を出ていこうとする林葉さんを呼び止め、サインを所望した。すると幹事氏が思い出したように林葉さんを呼び戻し、会員に紹介をした。
林葉さんも立ったまま会員らに正対し、
「林葉です。今度将棋を指すことになりました」
みたいなことを言う。それはいいが、私はといえば、林葉さんのすぐ前でポツンと跪いた形になり、なんだか妙な図になってしまった。
挨拶が終わって再び出ていこうとする林葉さんに、サインを、サインを…と願い出る。
私は携えていたクリアファイルから1枚の紙片を取り出した。
それは約20年前に発行された「将棋マガジン」の表紙の一部を切り取ったもので、そこには林葉さんの対局姿が映っていた。これまで林葉さんの写真は数えきれないくらい見てきたが、私が最も気に入った「写真」がこれで、いままで机の抽斗に保管していたのだ。
これを見せると、さすがに林葉さんも驚いたようだった。当時21~22歳くらいだろうか。将棋盤を前にし、床の間を背にして、澄んだ瞳でこちらを見ている構図だ。
頬がほんのりとあかく染まり、本当に美しい。それでいて、何か憂いを帯びたような、訴えるような表情にも見える。現在の女流棋士でも、これほどの美人はいない。もう、格が違うのだ、格が。
左手の中指に、指輪を嵌めている。口元が里見香奈女流名人・倉敷藤花にそっくりなのが、意外だった。
4階の下駄箱の前まで移動すると、私はカバンからマジックを取り出し、林葉さんへ渡した。
林葉さんは左下に「林葉直子」と書いたあと、右上に「大沢さんへ」と書いてくださる。まだ書き足りないようで、右下隅に駒形の「と」を書く。さらに左上に、書くスペースがなくなっちゃう…とつぶやきつつ、「平成二十二年五月二十二日」と書いてくれた。
ああ、何という感激。これほど感激したのは、いつ以来だろう。いつでもこの「写真」を取り出せるよう保管しておいて、本当に良かったと思う。
そうして林葉さんは、ゆっくりと将棋会館を後にした。
(つづく)
コメント (5)
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