一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

G.W.九州旅行第3日・山で遭難しないためには

2010-05-03 23:50:46 | 旅行記・G.W.編
5月1日は前日と同じネットカフェに泊まった。
明けて2日は、午前7時53分に鹿児島中央駅前を出る鹿児島交通のバスで一路、枕崎へ向かう。この日の予定は決まっていて、枕崎駅前にあるブティック「歩揺(ほよう)」のママさんに会っておしゃべりをし、午後は吹上浜の「砂の祭典」を楽しみ、夜は日置市の「吹上浜ユースホステル」へ泊まる腹積もりである。
枕崎へはJR指宿枕崎線が通じているが、バス路線はこのルートを忠実にトレースしない。途中から内陸部にコースを変え、枕崎へ向かう。
きょうも天気は良さそうである。車内で仮眠を取りつつ、9時45分、枕崎着。
早速「歩揺」へ向かうが、まだシャッターは閉まっている。開店前なのであろう。駅横にある大型スーパーで今川焼を買って朝食とし、再び歩揺へ向かうと、今度は開いていた。
しかし店番が年配の紳士である。中に入って自己紹介すると、紳士氏が「ああ、あなたが…」と言う。ママさんの弟さんだった。
私が数年前に枕崎を訪れたとき、威風堂々としていた枕崎の駅舎が取り壊され、呆然としたことがあった。そのときたまたま近くにいたのが、ママさんだった。
私たちはどちらともなく
「あの駅舎がなくなるなんて…」
と不満を漏らし、「意気投合」した私たちは、ママさんの店に呼ばれ、枕崎の思い出について語り合ったのだった。ママさんは小俣雅子似の美人で、当時50歳くらいだったろうか。2男1女を儲けたが、全員東京へ出ているとのことだった。私が東京から来たと話したので、懐かしさもあって店に呼んでくれたのかもしれない。
それから私は毎年、ゴールデンウイークには歩揺を訪れ、お茶の1杯をご馳走になって、次の観光地へ向かうのが定番になっていた。
しかし昨年はママさんが出張、一昨年も不在で、今年こそはどうしても会いたかった。単純に会いたかったということもあるが、今年は私の悩みを聞いてほしかったからだ。それは知人ではダメで、私の過去を知らない、年上の女性が望ましいと考えたのだ。
「なんとか会えませんか」
私はそう訴えると、弟さんはママさんに携帯電話で連絡をしてくれた。と、現在はここから少し離れた実家にいるらしい。
ママさんも私との再会を望んでいてくれたようで、とんとん拍子に話がつき、弟さんがいったん店を閉め、実家までクルマで送ってくれることになった。ありがたことである。
3年振りにお会いしたママさんは元気そうで、お互いの再会を祝した。それにしてもこの豪邸はどうだろう。古色蒼然たる佇まいで、威厳も兼ね備えている。ママさんのご尊父とご母堂も健在で、話を聞くと、約170年前の建物だという。敷地300坪のうち、家の部分だけで100坪。国の有形文化財に指定されているという。ご先祖はこの地域の大地主だったらしい。
ママさんがこんな由緒ある家の出だとは知らず、私は恐縮してしまった。そんなママさんに私はいろいろ悩み事を話した。涙がこぼれてくるが、そんなことはどうでもいい。どうしようもなかったけれど、いま自分が置かれている状況をすべて話したら、少しだけ気が楽になった。やっぱり、(急所のところは少しボカしたけれど)すべて話して良かったと思う。
その後は、地元の人の憩いの場である海岸を案内してもらい、昼食をご馳走になった。
上品な味の煮物に、香り高い岩のりの入ったお吸い物。さらにあつあつのカツオの「ハラガタ」が肉厚で美味だった。カツオといえばタタキしか知らないが、さすがにカツオ漁獲量上位の枕崎、いろいろな食べ方があるものだと感心した。

午後2時35分のバスで加世田へ向かう。枕崎から伊集院までは、むかし鹿児島交通という私鉄が走っていたが、昭和58年(だったと思う)の台風で線路が半壊し、廃線となった。加世田はその中心地で、鉄道が消えたいまでもジャンクションの役割を果たしている。
加世田からは「砂の祭典会場」行きの臨時バスが出ており、それに乗って向かう。午後3時54分、会場着。
会場の真ん中にドームがあり、例年、午前と午後4時の2回に亘ってビンゴ大会がある。私はそれを毎年楽しみにしているのだが、今年は3時30分からの開始で、参加し損ねた。残念。
話が前後したが、「砂の祭典」とは、文字どおり砂像の祭りである。色が茶色なので、雪まつりのような派手さはないが、像が溶けることがないので、いつでも最良の状態を鑑賞することができる。今年は全部で50基近くあったか。大雪増のようにバカでかいものは造れないが、それでも最大のものは高さが8mあった。
まずは本部へ行って荷物を預ける。その途中、物産コーナーがあり、国産の黒ゴマで作ったラー油が、630円で売られていた。しかしその量、たった23g!!
昨年石垣島で買った「辺銀(ペンギン)ラー油」がたしか100g・800円だったから、こちらは相当な高級品だ。そうだ、これを船戸陽子女流二段へのお土産にしよう。1本だけ買う。そういえば中井広恵女流六段もギョーザ作りが得意とのことだったが、最近は食事を作ることもないらしいので、無視する。
五千円札を出したら、おつりが4,340円だった。ちょっと計算が違うが、まあいい。ちなみに多くもらった場合は申告する。これが私流である。
砂像は例年素晴らしい作品が並ぶが、今年はとりわけ力作が揃っていると思う。準優勝の「カッパドキアの伝説」の女性像は、船戸女流二段にそっくりだ。
(私へのお土産、あれだけ?)
と非難されているような気がするが、これも無視する。キリがない。

加世田に戻り、午後6時43分のバスで吹上浜ユースホステル(YH)に向かう。定刻を2分過ぎた午後7時26分、日置下車。ここから約20分歩くとYHだ。私は最近ビジネスホテルを多用しているが、それは夜の時間を移動に取りたいためで、時間に余裕があればYHを利用したいのだ。
吹上浜YHは今年92歳のおばあちゃんがペアレント(主人)をしていて、とにかく話が面白い。そんなおばあちゃんに会いたくて、私は毎年ここを訪れているのだ。
出迎えてくれたのは、かたせ梨乃似の娘さん(だと思う)。近くに温泉センターがあるので、受付の前にクルマで連れていってもらう。これも毎年の恒例行事だ。その車中で、枕崎のママさんに話した悩みを軽く打ち明ける。きょうはこんなことばかり話している。自分自身の問題だから、自分で解決しなければならないのだが、何かをヒトに言いたい。
温泉でサッパリして、YHに連絡すると、だいぶ経ってから、今度は旦那さんがワゴン車で迎えに来てくれた。ところがそのクルマに、若い女性が5人も同乗していたので、驚いた。
彼女らもYHの宿泊なのだが、日置付近で道に迷い、ワゴン車で拾ってきたのだという。このYHは古い民家なので、こんな若い女性は泊まったことがない。こりゃあこれからのミーティングが楽しみだ、と私はほくそ笑んだ。

その約10分後、私は4畳半の和室で、豆電球だけが点く暗い部屋で、同宿の男性と話をしていた。
あれから受付の部屋に入ると男子大学生の先客がいて、彼女らの何人かは、彼らと顔見知りだったらしい。これでは私はお呼びではない。オッサンは部屋にイキナサイ、とばかり追い出され?私はすでに床に入っていた男性とボソボソ話を始めたという次第だった。
彼は長野県在住で、山登りが趣味とのこと。冬以外はほとんど登山だそうで、合間には登山のツアーガイドをしているという。こうなると趣味の域を越えている。
もう時間も時間だし、彼の話を聞くことくらいしか楽しみがない。しかし自分の知らない業種の話を聞くことは面白いものだ。
冬の間は何をやっているのか。これが何と将棋で、長野県の支部会員だという。棋力はまだまだのようだったが、「長野東急将棋まつり」にはよく見に行ったという。長野県出身の女流棋士といえば長沢千和子(ちかこ)女流四段が有名だ。彼もプロ棋士の色紙を何枚か購入したそうで、かなりの枚数があるようだ。
揮毫の際、何の文字を書いてもらうかは指定できないらしい。それは分かる。しかし選択できることもあるそうで、これは名前を出してもいいと思うから書くが、清水市代女流王位・女流王将は、3種類くらい用意して、どれかを指定できるという。これなら揮毫がダブることがない。
また長文の揮毫を書く棋士もいて、そういう人は事前に書いたものを持参するそうだ。これならその場で書く時間が大幅に短縮できる。
将棋の話もいいが、私が話し出すと何を言うか分からないので、山の話に戻す。
今年の2月だったか、ある有名人が3人で冬山登山に挑戦し、猛吹雪に遭って2人が亡くなったことがあった。あの見解を彼に訊いてみた。いわく、3人で登ったのがそもそも無謀で、冬山は8人とか9人とか、もっと大勢で登るべきなのだという。つまり先頭者が数十分歩いたら、今度はうしろの人と交代する。その人が数十分歩いたら、また代わる。それを順繰りにして、かかる疲労を少なくするのが定法らしい。
何かのツアーで、何人かが亡くなった事故もあった。それは彼に言わせると、
「予備日を1日加えて、旅行代金を高くすれば防げただけの話。日程に余裕がないから、多少天候が悪くなっても、強行して事故になる。評論家はやれガイドが悪かった、登山者が未熟だったとかしたり顔で言ってますけど、簡単な話なんですよ」
なるほどと思うが、企画会社としてはなるべく短い日程で安い代金にしたいところだろう。難しい問題ではある。
彼は若いうちから山に登っていて、あまり女性に興味はないようだった。失礼ながら伴侶の有無を聞いたらやはり独身とのことだった。しかし年齢を訊いたら、54歳、と言ったのには驚いた。もっと若く見えたからだ。人間、好きなことをやっているといつまでも若いのかなあ、と感心した。
ところでこれだけ山に登っていれば、本のひとつも書けそうではないか。聞けば一応登山日記をブログにつけているという。しかし写真を撮る余裕はないらしい。そんなことをしたら、時間が経って仕方ないとのこと。その代わりICレコーダーを携行し、生の声を録音しているという。一部拝聴したが、草花を発見したときの驚き、山からの美しい眺めを見たときの歓声、その合間合間に聞こえる息づかい、すべてが生々しかった。
これからは何をやるにも録音がいい。そうすれば、言った言わないの揉め事はなくなる。それを盗聴だと言うバカがいれば、言わせておけばいい。どうせ会見なんか開く度胸はないのだから。
「じゃあもう寝ましょうか」
ということで、11時少し前、就寝。この日はブログを書くこともなく、実に健康的な1日だった。
コメント (9)
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