四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

ほるたま展2021「動物のはにわ」

2022年01月10日 | 企画展・見学会


発掘!さいたま出土品展
 ほるたま展2021 動物のはにわ
 会 期:令和3年(2021)12月11日(土)~令和4年(2022)2月6日(日)
 会 場:埼玉県立さきたま史跡の博物館 企画展示室
 主 催:公益財団法人 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
 共 催:埼玉県教育委員会
     埼玉県立さきたま史跡の博物館

を観覧してきました。

この「ほるたま展2021動物のはにわ」は、令和3年10月23日(日)から始まり、モラージュ菖蒲(久喜市)、
ららぽーと富士見(富士見市)、そごう大宮(さいたま市)で、各々2日間開催し、4ヵ所目(第4部)として、
さきたま史跡の博物館に回ってきたものです。さきたま史跡の博物館では長期の開催ですが、その後は、ティア
ラ熊谷店(熊谷市)でやはり2日間開催が予定されています。
ショッピングモールやデパートでの開催は、普段は埴輪に興味の無い方にも埴輪を目にしていただき興味を持っ
てもらおうという趣旨のようです。博物館での開催が長いのは元々興味があるそれなりの方を対象(来館が見込
まれる)しているためでしょう。





展示会場の企画展示室です。テーマ別に展示されています。展示品は12の遺跡からの出土品です。




《はにわのいろいろ ー埴輪の成立ちと種類ー》
左から  円筒埴輪  家形埴輪  器財埴輪(靫) 人物埴輪(女性) 人物埴輪(男性)
※出土遺跡名は省略 以下同じ




《あの世とこの世をつなぐもの ートリー》
左から  ニワトリ  ニワトリ  ミズトリ  ミズトリ  ミズトリ




ミズトリ




ニワトリ  ニワトリ




《王の力強さを知らしめる「猪狩り」》         《神の威を狩る「鹿狩り」》
左から  イノシシ  イノシシ  イヌ  シカ  シカ




イノシシ  イノシシ




シカ  シカ




《権威と財力の象徴ーウマー》
左から  馬曳人  ウマ  ウマ




《王の財力を示すー飾り馬ー》
左から  ウマ(頭部)  ウマ(馬鐸)  ウマ(頭部~胴部)  飾金具(鈴)




《東国の馬ー東国の埴輪ー》




《はにわの作り方》




【展示遺跡一覧】
① 神川町  青柳古墳群十二ヶ谷戸遺跡    ⑦ 熊谷市  三ヶ尻古墳群
② 本庄市  (伝)生野山古墳群出土     ⑧ 熊谷市  北島遺跡
③ 美里町  広木大町古墳群         ⑨ 鴻巣市  新屋敷遺跡
④ 深谷市  (伝)本郷出土         ⑩ 加須市  小沼耕地遺跡
⑤ 深谷市  (伝)山崎山出土        ⑪ 東松山市 桜山窯跡群
⑥ 深谷市  小前田遺跡           ⑫ 東松山市 下道添遺跡





左:ほるたま展2021「動物のはにわ」リーフレット
右:ほるたま展2021「動物のはにわ」第四部 展示目録

見学日:令和3年(2021)12月18日(土)

武蔵武士の鑑 畠山重忠(埼玉県深谷市)

2022年01月08日 | 史跡・遺跡・文化財


2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がいよいよ始まります。
鎌倉殿の13人(13人の合議制)には入っていませんが、ドラマが始まる前にと、『武蔵武士の鑑』
と称された畠山重忠公の愛馬三日月を背負った銅像がある「畠山重忠公史跡公園」(深谷市畠山・
旧大里郡川本町畠山)を訪ねて来ました。
この史跡公園については、このブログでも何度が取り上げていますが、畠山重忠公の館跡と言われ
ている場所です。




銅像の前に新たに設置された『碑文』です
正確な設置日を知ることはできませんが、つい最近(令和4年に入ってから?)の設置です。
何故なら  




実は、やはり深谷市出身の渋沢栄一公をを主人公にした大河ドラマ「青天を衝け」が終了し、新し
く始まる「鎌倉殿の13人」に同じく今は深谷市出身と呼ばれるようになった畠山重忠公も登場する
ことから、重忠ゆかりのこの地に『何か』を期待し、昨年暮れの12月23日に訪ねました。
しかし、幟が2本立っているだけでした。
その時(12月23日)の写真がこれで、まだ『碑文』は設置されていませんでした。
ところが昨日、いつも拝読させていただいている笑子さんのブログで『碑文』が設置されているこ
とを知り急遽訪ねた次第です(感謝)




畠山重忠公の幟を入れて銅像を




過日、「鎌倉殿の13人」に関する番組に畠山重忠を演じる中川大志さんが、銅像の前でインタビュ
ーに応えているのを見ましたが、その時の写真が深谷市の広報誌令和4年1月号の表紙になっていま
す。
更に、小島深谷市長との対談が4ページにわたって掲載されています。深谷市のホームページから見
ることが出来ますが、広報誌の現物をと某所で頂いてきました。




表紙の写真と比べるとひどい写真ですが、ほぼこんな角度からの撮影でしょう(木の重なり具合を
見ながら撮ってみました)

散策日:令和4年(2022)1月8日(土)

新沼窯跡(埼玉県鳩山町)

2022年01月06日 | 古代窯跡


南比企窯跡群を構成する窯跡のひとつである『新沼窯跡』(しんぬまかまあと)を訪ねてみました。
同じ斜面に作られた窯跡数は26基を数え、今のところは国内最大級の窯跡とのことです。

名 称:新沼窯跡しんぬまかまあと
時 期:奈良時代
遺 構:奈良時代(窯跡26基、溝4条)
出土物:奈良時代(須恵器、瓦、瓦塔)
    平安時代(須恵器)
指 定:ー
所在地:埼玉県比企郡鳩山町大字泉井字新沼

新沼窯跡は、昭和34年(1959)立正大学の調査で2基の窯跡が発見され、武蔵国分寺創建期の瓦を生産し
ていた窯跡として知られていたようです。平成22年(2010)からの発掘調査で、新たに24基の窯跡が確
認され、あわせて26基の窯跡の存在が確認されたとのことです。出土品の中には、古代の郡名を記した
「郡名瓦」が数多く含まれていたようです。
平成24年(2012)3月17日には、発掘現場見学会が行われて、発掘された窯跡の姿や発掘出土品も見られ
たようです。
それからすでに10年弱を経過し、現場は既に埋め戻されており今更という思いでしたが、窯跡には表示
がされているとのお話を某博物館の方に教えていただきましたので、それならば場所の確認だけでもと
訪ねてみた次第です。





Googleの航空写真による位置表示 「天沼」、「新沼窯跡」の文字は加筆




亀小(亀井小学校)通りから、天沼方向を
「新沼窯跡」への標識や案内板等はありませんので、場所については予め調べておきました。




『天沼』(溜池)




天沼の横を通って山の反対側に向います




左奥には墓地、右側の石段の先も墓地ですのでその間の道を進みます




右方向にカーブしています  道なりに




竹林を伐採した場所が見えてきました ここが新沼窯跡のようです




「鳩山窯跡群」と書かれた掲示板が建っていますが、残念ながら何も書かれていませんし貼り紙
等もありません




この斜面に26基の窯跡を確認したとのことです
今は埋め戻されてしまっていますので窯跡を観ることはできませんが、竹を置いてある所が窯跡。
全部の窯跡に竹を置いたらかえってわからなくなってしまうので数か所にしたものと思料します。
表示に使われている竹は大分朽ちていますので埋め戻したころに置いたものでしょう。




下から見ますとこんな感じですが、この形が窯跡というわけではないことは素人にも分ります。




ここにも竹をを置いて位置表示してあったのかもしれませんが?




反対側から




斜面下




ここにも複数の窯跡があったようです




横から
(ネットで見つけた)「平成24年3月17日 発掘調査見学会資料」によれば、この地表が露わにな
っている部分で16基前後の窯跡が確認されたようですが、あとの10基前後はどこに?




竹や雑木が生い茂っている場所にあったのか?




ここからではちょっと分りません




回り込んでみるとロープが張られていましたが、ブルーシートが残っている発掘跡らしきものが
見えました。多分、ここに横一列に10基前後の窯跡があったのではないかと考えられました。
発掘調査から10年以上経過していますから、発掘時は伐採した雑木などが成長して覆っても不思
議ではありません。




斜面の上から  今もこのように綺麗に整備されて保存されています 関係者の思いが伝わります

以上、勝手な推測で書いてみましたが、間違いがあっても大目に見て下さい。
なお、「新沼窯跡」で検索していただければ、発掘現場や出土品の写真が見られるサイトが複数あ
りますのでそちらを参考にして下さい。

散策日:令和3年(2021)12月9日(木)・10日(金)

立正大学博物館第15回企画展「瓦塔と瓦堂」

2022年01月04日 | 企画展・見学会


立正大学博物館第15回企画展「瓦塔と瓦堂」
 会 期:令和3年12月2日(木)~令和4年1月31日(月)
 会 場:立正大学博物館 第1展示室 (埼玉県熊谷市万吉)
を観覧してきました。
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 瓦塔は、木造塔を模して作られた焼き物の仏塔です。瓦塔は、古代寺院跡、官衙などのほか、集落遺跡からも
出土しており集落内にあった仏堂などにも安置されていたと考えれれています。
 また、生産地である窯跡からも出土しています。立正大学考古学研究室では、古代窯跡遺跡の調査研究にによ
り新沼窯跡(鳩山町)、虫草山窯跡などで出土が確認されています。
 今回の企画展では、当館所蔵の瓦塔、瓦堂とともに周辺地域の資料も紹介します。
                                【チラシ裏面の「ごあいさつ」より】

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立正大学博物館




企画展チラシ(右)の写真の瓦塔、瓦堂は東山遺跡(美里町)から出土したもの ※展示は無し
係員の方のご厚意により企画展の第1展示室だけ゚ではなく、第2展示室まで見学させていただきま
した。
展示品の写真撮影は禁止のため写真はありませんが、チラシ裏面に載っていた【主な展示品】を載
せておきます。
このチラシ裏面にある新沼窯跡から出土した瓦塔片(屋蓋部)を見ることが主目的でした。




立正大学博物館より、本企画展の【展示図録】を送っていただきました。
展示品の写真のみならず、瓦塔、瓦堂についての詳しい説明まで載っている素晴らしいものです。

係員の方からいろいろと説明をしていただき、鳩山町の新沼窯跡は発掘時のままあり(掘った場所は埋め戻され
ていますが)表示がなされていると教えていただきましたので新沼窯跡行ってきました。この新沼窯跡から、あ
の瓦塔片が出土したのかと思ったら、もう一度、新沼窯跡から発見になった瓦塔片を見たくなり、2度目の見
学に行ってきた次第です。


見学日:令和3年(2021)12月2日(木)・15日(水)

高橋家の芭蕉句碑(埼玉県行田市)

2022年01月02日 | 歌碑・句碑


句 : 名月の 花かと見えて 綿ばたけ
    (めいげつの はなかとみえて わたばたけ)     

出 典: 『続猿蓑』 元禄7年(1694) 芭蕉51歳の時の句
所在地:埼玉県行田市野 高橋家 
建立年:明治9年(1876)10月
建立者:正覚寺住職と檀家有志
指 定:行田市指定文化財(名称:高橋家の芭蕉句碑 平成5年〔1993〕3月31日指定)




高橋家の庭の一画に建立されている芭蕉句碑
※公開されていますが個人所有・敷地内のため許可をとっての見学です




『高橋家芭蕉句碑』説明板  左側の説明文を転記しておきます
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 この芭蕉句碑は、明治9年(1876)に当時の清瀧山福正院正覚寺の住職が檀家有志と共に句会を催した際に、
かつて同寺の住職であった孝協大徳の徳を称えて建立したものである。当初はここから約450m程西側にある正覚
寺の境内に建てられていましたが、後に檀家の大檀那であった高橋家が譲り受け、二度の移転を経て、現在はこの
高橋家の庭の一角に建てられています。
 高さ128cm、幅107cm、厚さ10cmの根府川石の句碑の表面には、右に「名月の花かと見えて綿ばたけ はせ
を」と芭蕉の句が刻まれ、このあたりに綿花が咲き乱れていた風情が伺えます。中央には孝協大徳を称える碑文が
記され、台石には隷書で「名月碑」と碑名が浮き彫りされています。
 刻まれている句は、芭蕉が晩年に伊賀上野で詠んだ句ですが、句碑建立当時はこのあたりにも綿畑が広がってい
たようで、それにちなんでこの句を選び句碑を建立したものと思われます。

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なお、この芭蕉句碑は行田市の指定文化財に指定されている他に、平成29年(2017)に認定された行田市の日本遺
産ストーリー「和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田」の構成資産にも選定されています。


この「名月の花かと・・・」の句碑は、県内に4か所ほどあるようです。私がここ高橋家以外で見た
ものは東松山市の関根家のものだけです。

見学日:令和3年(2021)12月18日(土)