四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

彦根城(滋賀県彦根市)

2011年05月03日 | 現存12天守


JR東海道本線(琵琶湖線)「彦根駅」で下車しました。
ここ滋賀県彦根市を訪ねた理由は書かずともお分かりかと・・・




駅前には「井伊直政公像」が・・・

そうです。井伊家が代々城主を務めた「彦根城」を攻めるためにです。
関ヶ原合戦の戦功により近江に18万石を賜った井伊直政は一旦石田光成の居城であった佐和山城に入城する。直政が翌年佐和山城中で没すると、
子の直継は慶長8年(1603)より新城の築城にとりかかる。これが彦根城である。築城に際しては公儀より奉行が派遣され、助役に7か国12の
大名が動員された天下普請であった。この慶長年間の築城は大坂城に備えた軍事的なものであった。大坂落城後の元和の築城は表御殿の造営や中堀、
城下町など山麓部分の整備であった。その構造は彦根山の頂上に本丸、西の丸、太鼓丸、鎧の丸を一直線に配し、それらを2本の堀切で切断するという
戦国的な縄張であった。山麓には彦根山を取り囲むような内堀が巡らされ、その内側には広大な表御殿や米蔵などが設けられていた。
中堀に囲まれた外郭には馬屋、楽々玄宮園、さらに大身の家臣屋敷が配された。  (山川出版社「山川MooK 日本の城」彦根城の項より引用転記)   




攻城を念願としていた彦根城が前方の小高い山の上に望めます。 




早速、堀(中堀)を撮らせていただきました。堀の姿・・・好きです。




佐和口多聞櫓




馬屋
城内に馬屋が残るのはこの彦根城だけとのこと  




表門橋のところで人の列が出来ていました。彦根城博物館(表御殿)庭内で彦根城のマスコットキャラクター・ひこにゃんがパフォーマンスを
見せてくれるとのことで、それを見るために待つ行列でした。行列を見ると興味が湧き、ついつい一緒になって並んでしまう私です。
ゆっくり見てる間はありませんでしたから登場するところだけを見て・・・




表門山道




廊下橋の下を抜けて




今度は廊下橋から天秤櫓へ




城防御のため、複雑と言おうか何と言おうか騙されているような天守への道。




天秤櫓を抜けて太鼓門櫓に・・・  
太鼓門櫓のところでも人の列




天守に上がるために待つ人の列で、私も・・・
天守に登るための待ち時間は30分とありました。列に並んで待つ間に天守のお姿を。




天守内部
他の廃城となった城の柱が使われています。




武者走り




天守から見下ろすと、まだまだ続く人の列。








天守・・・天候が優れず色がいまひとつ。訂正 腕が悪く




黒門山道

そしてこのあとは・・・

攻城日:2011年(平成23年)4月30日(土)         

安土城跡(滋賀県近江八幡市)

2011年05月02日 | 日本100名城
■ 国指定特別史跡 安土城跡



GW中に企画されていたバスによる城めぐりツアーが中止になってしまいましたので、これでは個人的に城を訪ね歩くしかないと計画しました。
ツアーと違い効率的な行程は組めませんし、はっきり言って、かかる費用も数倍です。でも行きたいからと・・・

自宅を出て私鉄、JRと乗り継いで東京駅に行くまでには余裕をみると約3時間。
そして、東京駅から新大阪行きの東海道新幹線「ひかり」に乗って、途中の「米原」で東海道本線(琵琶湖線)に乗り換えて・・・   




「安土駅」に着きました。目的地は説明するまでもないですね。

2010年(平成22年)3月21日、滋賀県近江八幡市と滋賀県蒲生郡安土町が対等合併して新設の近江八幡市が誕生した。
旧安土町は、滋賀県初の地域自治区として安土町地域自治区が2020年3月末つづくとのことです。
合併合併で歴史ある地名が消滅していく中、安土町の名は残りました。   




安土駅前には「織田信長公像」が建っておりましたが、この像に気付いたのは帰りの列車に乗るため安土駅に戻ってきた時。
駅前にありながら、下車した時は違う方向に気をとられていたので目に入らなかったようです。

本来なら歩いて目的地まで行きたかったのですが、時間の関係で駅前に止まっていた緑ナンバーの乗用車に乗って。  




「安土城址」碑 

安土城は、織田信長が「天下統一」の拠点の城として、琵琶湖湖畔の標高約198mの安土山に天正4年(1576)から7年の歳月をかけて築城した。
金、朱、黒などに彩られた五重七階の豪壮な天主や総石垣の普請、麓に計画的に設けられた城下町などは以後の城づくりにはかり知れない影響を与えた。
本能寺の変後、天主を中心とした山上の建物は焼失し、現在は天主台や主要な郭の石垣を残すのみである。しかし、近年の発掘調査と整備によって、
大手道や家臣団屋敷跡、虎口跡など「幻の城」の姿が明らかになりつつある。(「日本100名城 公式ガイドブック 51「安土城」 より引用転記) 




「安土城跡受付」
ここの券売機で入場券?(レシートみたいなつくりのもの)を購入し、これを受付に提出。パンフレットは頂けましたが、記念となる入場券がないのがちょっと淋しいです。    




「登城口」です
ここから大手道の石段が延びています。  




石段の所々にに「石仏」が使われています。 




伝 羽柴秀吉邸跡




伝 前田利家邸跡

他にも「伝徳川家康邸跡(総見寺)」、「伝森蘭丸邸跡」等がありました。




大手道の石段を見下ろしてみました。 石段と石垣だらけです。




伝 織田信忠邸跡




黒金門跡の石垣・石段




石垣




二の丸跡にある信長公御廟




織田信勝公四代の墓




本丸跡




天主跡への石段




天主跡①
礎石がある低くなった部分は天主の地下にあたるそうです。




天主跡②
普通は「天守」ですが、ここ安土城は「天主」。織田信長が自らを天の主と考え天主を住まいとしていたようです。




天主跡から望む琵琶湖  




総見寺跡に通じる石段




総見寺跡南側にある三重塔




二王門(楼門)

ここから王手道に出て安土城跡の散策を終えました。 見落としもあったし、写真の撮り忘れも多々ありました。帰りはテクテク歩いて安土駅まで。

安土町には安土城に関係する資料館等がいくつかありましたが、見て回る余裕がありませんでした。再訪の際にはと書きたいところですが、再訪は多分叶わないでしょう・・・

攻城日:2011年(平成23年)4月30日(土)