AKB48の旅

AKB48の旅

無への跳躍

2015年03月09日 | AKB
AKB48の五輪参加は「まずありません」秋元康氏明言
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150307-00000097-sph-soci

例によって秋元氏らしく語り口が軽いけど、それなりにちょっとだけ踏み込んだことにも(珍しく)言及してる。記事の題名はアレだけど、気になったのは以下引用の辺り。

「東京はテクノロジーなど変わっていくものと伝統と文化といった変わらないものが良いバランスで調和している。こんな都市は世界でもなかなかない」

これは東京という都市に留まる話ではないし、それどころか都市という範疇を超えたもっと大きな枠組みでも言える、日本文明の際だった特徴と考えられる。けれども、ほとんどの日本人に、そんな自覚はないだろうとも思う。それくらい空気のように当たり前になってしまってるんだろう。

歴史の積層だけに注目するなら、類似のことはヨーロッパの多くの都市なんかにも言えることなんだけど、その存在様式があまりに違う。形骸が保存されてるんではなくて、魂が受け継がれてるみたいな。それも過去とまったくの同一ではない、日々アップデートされて行く、生きている過去。アップデートされたからといって、決して紛い物でもない。

そんな時を越えた、死を乗り越える「継続性」の多くは、けれどもアメリカによる無思慮もしくは悪意、さらには「善意」の占領政策によって、破壊されてしまったとも言い得るんだろう。今に生きる日本人であるところの我々は、だから紛い物の「残念な日本人」に過ぎないのかも知れないとも。

「これから2020年に向かって活気づく日本。それが東日本大震災からの復興も含めて元気になればいいなと思います。おそらく1964年もそうだったのではないでしょうか。終戦の傷痕があってそこから頑張ったわけですから。2020年は、ゴールではなくてスタートだと思うんですよね。次の世代の人々に希望を与えるような大会にしたい」

これは素晴らしい表明だと思う。果たしてどのようにして解答に辿り着けば良いのか。少子高齢化、多死社会、人口減少という現実を前にして、それでもそこに道は拓けるのか。答がないかに見えるこの構造を越えて行くことが可能なのか。まさに秋元氏の真骨頂にして、手腕が問われるところだと思う。