幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

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エロースと猥褻

2016-02-15 00:38:13 | Weblog

以下は、ウィキペディアからのネオプラトニズムのプロティノスの解説からの抜粋です。
“人間は「一者」への愛(エロース)によって「一者」に回帰することができる。一者と合一し、忘我の状態に達することをエクスタシスという。[エネアデスVIの第11節] ただし、エクスタシスに至るのは、ごく稀に、少数の人間ができることである。プロティノス自身は生涯に4度ばかり体験したという。また高弟ポルフュリオスは『プロティノスの一生と彼の著作の順序について』(『プロティノス伝』と称される)の中で、自らは一度体験したと書き残している。”

またウィキペディアからの抜粋です。すみません。
“アガペー(ギリシア語: αγάπη[1])は、キリスト教における神学概念で、神の人間に対する「愛」を表す。神は無限の愛(アガペー)において人間を愛しているのであり、神が人間を愛することで、神は何かの利益を得る訳ではないので、「無償の愛」とされる。また、それは不変の愛なので、旧約聖書には、神の「不朽の愛」としてでてくる。新約聖書では、キリストの十字架での死において顕された愛として知られる。”
長くなってしまって申し訳ありませんが、皆さん既にご存知のように「無償の愛」「不朽の愛」がアガペーであり、「一者への愛」がエロースのようです。
また、チベット密教のタントラは、男女の愛によって、世俗から解脱できると解いています。一者との合一を“マハムドラー”といいます。このとき、男女の交わりに“猥褻”さは一切ありません。愛は、男女間のものだとしても、神聖なのです。