CGで裸の女児、児童ポルノか芸術か 裁判で争点に
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160222-00000024-asahi-soci
というヤフーニュースを美術評論家の森下泰輔さんが取り上げて論じたスレッドに私は下記のように書き込みました。
簡単に言うと、「顔を似せて描いた」ことが致命的だったということですね。“顔”には肖像権がありますから。シーレも豚箱に入れられたことだし、社会は“猥褻”を許さないでしょう。アダムとイブが裸体をイチヂクの葉で隠したときから、人間は善悪を知り楽園から追放されたのだから。
世間は“楽園”ではないということです。パンツを脱いで街の中を歩くことはできない。何故なら人間は楽園を追放された動物だから。
でも“善悪”を知ってしまった、本能の上位に理性を持つ動物だとしても、そのことをあからさまに暴露すると、“社会的人間”はその人間を集団から排除せずにはいられないのです。
ときには、理性より抑圧した性の方が強いのです。その性を解放させてしまったら、革命が起きます。
旧約聖書の創世記以来の大革命です。
私が17才のときに行ったインドのアシュラムでは、偉大な実験をしていました。“性の解放”です。ところが閉じられた共同体は、それより大きな“社会”の慣習、法律に必ず潰されます。多くのカルトが集団自殺するのは、そうするより他にないことを知っていたからです。