幻の詩集 『あまたのおろち』 by 紫源二

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 シュレーバーより連想する

2013-12-15 00:28:30 | Weblog

 
 
  性的妄想は死んだのか?
 
 
  快楽と言うと同時にタブーが裏側にくっついてくる。
  
  タブーは創造行為に権力を付与したものである。
  
  快感は生殖行為に関わる報酬であるが、
  A10神経は、
  困難な行為を達成したとき、
  脳内麻薬を分泌させる。
  
  困難な創造行為と性的達成。
  
  この二つは対極にあると同時に、
  生殖行為という創造行為を達成したとき、
  古い脳は、報酬として脳内麻薬を分泌させるのと同じように、
  人間は、性的空想にふけるというイマジネーション上の創造行為を、
  自らの脳でたった一人でやってのけられる動物だ。
  
  たとえ異性が現実にそこにいなくても、
  肉体的に興奮し、
  性的快楽を得ることができる。
  
  この肉体的神経生理学的行為はパヴロフの犬以上に複雑なメカニズムではないが、
  想像という創造行為は、
  大脳に還元され得ないペンフィールドやエックルスが論じる二元論的意味での心の属する場所、
  すなわち天国と地獄の領域であり、
  宗教家が受ける啓示の領域であり、
  人間の性的空想は、
  宗教的倫理にかかわる問題でもあり、
  非常に宗教的だ。
  
  その意味で、シュレーバーの神との接続は、
  神経のシナプス間で放出したり受容したりするホルモンの分泌命令が、
  神経に流れる電気信号を司るわけだが、
  単に皮膚に覆われた自己という閉じた主体内で“自己完結”しているものではなく、
  いわば“神”とよばれる“他者”との相互作用によって成立している
  複雑なメカニズムを有していることを暗示している。
  
  「神経接続」によって受ける神の光は、
  肉体の神経系で作用している電磁気学的化学的なものにとどまらず、
  無数のパラレル情報をを有している神学的情報である可能性を暗示している。
  
  通常、神経は、
  感覚器官の外界からの刺激以外の信号を直接外界から受け取ることはありえない。
  
  いわゆる五感によってしか人間は“外界”を認識できないのであるが、
  感覚器官からの信号は、一旦脳で情報処理され、
  神経繊維内では電磁気が流れ、また、シナプス間ではペプチドホルモンの受け渡しが行われ、
  “客観科学化”という形に変換されて“物理学的”に伝達されるわけだ。
  
  電気は、電圧の差こそあれ、その性質は同一である。
  
  また、例えばモルヒネのペプチドの分子式は、常にモルヒネであり、その他の性質を有することはない。
  
  その意味で、神経系の情報伝達は安定しているがゆえに、
  “表象”が混乱することはあり得ない。
  
  しかしもし、神経が何らかの刺激を電気や分子を介しないで、
  直接“感じる”ことができるとしたらどうなるだろうか?
  しかもそれが、この世のものではなく、“あの世の光”を電気や分子と換わるものとして、
  直接感じることができるとしたら・・・。