「 空 」 という字、
いつも般若心経を読んでいるせいか、
「 色即是空 」 の 『 空 』
を思い出し、
また、仏教、特に般若経では根本概念です。
しかし、
世間では、一般的な使われ方はあんまりいい意味ではないようです。
「 空しい 」 とか 「 空っぽ 」 ( からっぽ ) 、
今日、道すがら
「 駐車場 空 アリマス 」
の看板が目につきました。
そういえば、
アパートでも 「 空室アリ 」 の表示があります。
そうなのか ??
一般的には 「 空っぽ 」 というニュアンスが強いのです。
気になって、 辞書を引くと
『 空 』 の字は ( うかんむり ) ではなく、
( あなかんむり 穴部 ) の中に入るのです。
おもしろいことに、
「 古代住居のあなの意。
これが天空の意に用いられるのは
穴居の天井の形が天空に似ているところから。
また穴室の空虚なところから、
むなしい、とぼしいの意がでた。」
ということが語源のようです。
そういわれてみると、
「 空 」 も 「 無 」 も
どちらも否定的な意味合いを持っているようですが、
無 ( ない ) ということとは違うようです。
「 空 」 という字の意味の変化は
そら ・ むなしい ・ ひろい、とりとめがない ・
むなしく ・ 実在しないこと とあり、
最後に仏教用語として
「 世の中のすべての物事はみな因縁によって
起こる仮のもので、実体のないこと。」
と出てきます。
この般若心経を翻訳された 「 玄奘三蔵 」
は 「 空 」 という風に訳されたのはずいぶんとご苦労があったのでしょう。
時代によっては、
「 無分別智 」 と訳されたこともあります。
勉強して身につける 「 分別智 」 に対して
無分別の智慧なのだ、と訳されたのです。
いかにも世の中を達観したようで、
「 無分別 」 の方も見かけますが、
やはり、ここに智慧がないと
大きな違いになります。
また、「 空 」 ということも
名詞と考えるより、動詞としてとらえた方が
実践的で、固定したものでない、
ということの方がわかりやすいと思います。
適切ではないかもしれませんが、
「 竹の強さ 」 は
中が空っぽだからといえます。
空っぽということは何もないということではなく
何もにも変わる力を秘めている。
何もないというのではなく、
いろんなものに姿を変えることができる
なにかそのもの、というようなもの、ハタラキ
がある、というような気がします。
どうも中途半端ですが、
「 駐車場 空アリマス 」 の看板が目に付いて
『 空 』 という字が気になったので
調べてみなした。