表題の文字が変換できません。
『 阿閦如来 』 です。
七回忌のご本尊は 『 阿閦如来 』 です。
「 阿閦 」 難しい字を書きますが ( あしゅく ) と読みます。
「 もんがまえ 」 の中に 「 人 」 という字を三つ書きます。
高校生の時、 「 金子大栄 」 という方の 『 人・仏 』 という本を読んで
一番印象に残った 「 ほとけさま 」 です。
金子先生の文はとても格調が高く、それでいて高校生の私にも読める
とてもわかりやすく書いてあります。
「 わかりやすい 」 というのは、うれしいのですが、
ややもすると、品がなくなるというか、あまりに身近に書いてしまっても
問題があるようにも思います。
「 阿閦 」 の意味は ( 怒らない・腹を立てない ) ということです。
インドの言葉を翻訳せずに、そのまま音写したのです。
「 阿弥陀 」 という言葉も同じように、音写された言葉です。
インドの言葉は 「 あ 」 という文字が前に来ると、否定をあらわします。
「 NOT 」 という意味です。
昨日から 「 七回忌 」 のご法事があり、決まって
「 阿閦如来 」 のお話をします。
「 怒らないという修行をされて、仏さまになられた方です。 」
( 普通は ふ~ん ! とか へ~ ! とかで終わってしまうのですが、
今日の方は )
「 怒らない・腹を立てない、というのはどういう修行をされるのですか ? 」
と聞いてこられました。
一瞬、戸惑いました
… … ナムナム
そう
三浦先生の話を思い出しました。
「 自分も好き嫌いの激しい人間や !
けど、組織に立ったら、自分から好きになっていく努力をする。
こちらから先に挨拶する。
『 嫌い ! 』 と思っても、
口では相手のいいところを見つけて、褒める。
そうしていると、相手も好意的に思ってくれるようになる。 」
とっさに、そのような話をいたしました。
ふと思うのです。
自分はさほど苦労もしていないのに、本当に苦労された 『 三浦先生 』 という
師匠を持っていることは何とありがたいことでしょう。
ということで、最近は法話をするようにしています。
本当は当然のことなのですが、
今までは、「 興に任せて 」 というところもあったのです。
まあ~ 問題提起というか、話が広がりを見せることが
おもしろくもあります。
玄関先には 「 ど根性 菊 」 でしょうか
石垣の間から、小さな花を咲かせています。
家の方も、心優しいのです。 玄関の通り道でややもすると
踏みつけてしまうか、 邪魔 ! といって切り取ってしまうか、
でも、あちこちですくすくと育っておりました。