整理整頓の極意として
「断・捨・離」ということが
いわれるようです。
私にとっても、そろそろ
身辺整理をしなければいけない
という頃です。
幸い京都へ転居したこともあって
その時に一応の断舎離は
必要に迫られて決行しました。
しかし、気を緩めるとまたぞろ
なんだか、
だんだんと増えてくるものです。
それとは別に、どうも‥‥
「断・捨・離」
この言葉が気になるのです。
坊主根性でこの言葉を見てしまいます
やはり、仏教の言葉にも
とても重要な言葉として出て来ます。
断、ということですが
お釈迦様が悟りに至る修行の方法
として、
三十七道品という実践項目を
説かれています。
その中に「四正勤」(ししょうごん)
があります、
これはまた「四正断」ともいわれます。
正しい努力ということです。
私たちの怠慢心を断ち、
修行へ向かわせるということです。
その四つは、
「律儀断」(りつぎだん)
これはまだ起こらない
悪を起こさせないようにする。
「断断」(だんだん)
すでに生じた悪を断つように努める
「随護断」(ずいごだん)
これは未だ生じない善を
起こさせるように努めること
「修断」(しゅだん)
今起こっている善をさらに
増大させるよう勤める、
ということです。
それから、
菩薩の四つの誓いの中に
「四弘誓願」(しぐせいがん)
というのがあって、
その二番目の誓いに
「煩悩無数誓願断」
(ぼんのうむすうせいがんだん)
誓ってすべての迷いを断とう、
ということがあります。
「捨」ということですが
一般的には捨てる、
ということになります。
しかし、仏教では平等ということを
あらわしています。
「四無量心」(しむりょうしん)
ということがあって、
(仏が衆生を導く四つの心
というか方法のことです)
それは、
無量の衆生に楽を与え、
苦を離れさせようとする
そういう四つの心です。
その四つが
「慈・悲・喜・捨」
(じ・ひ・き・しゃ)
ということです。
それぞれは、
「慈」は楽を与えること
「悲」は苦を除くこと
「喜」は他人が楽を得るのを見て
喜ぶということです
「捨」は他人に対して愛憎親怨の心が
無くなって平等の心になった。
ということです。
断・捨・離、ということも
物だけではなく、心ということも
大きく関わってくようです。
よく、
「心を大切に!」
ということをいいますが
具体的にはどうすればいいか、
それはモノを大切にすることです。
一杯の汚れたバケツの水でも
ただ捨ててしまえば、
「水が死ぬぞ!」
汚れた水でも庭木にやれ
どれだけ喜ぶか
といった、
滴水和尚という方がおられます。
一杯の水にも命を見る
そういうことも大切です。
最後に「離」ということですが
やはり、煩悩を離れるということや
筆舌に尽くせない、というような
意味合いも持っています。
十善戒の中に
不両舌という
二枚舌を使ってはいけない
ということで、
このことは人と人の間を割く
ということで、「離間語」とも
いいます。
こういう意味でも、離を使うし
また、
十地経の第二番目は
「離垢地」(りくじ)といって
垢は煩悩のことです。
誤りを起こしたり、戒を破ったり
煩悩を起こしたりする心から
初めて離れることができた。
という位です。
それから、
仏さまのさとりの内容は
離言の法性(りごんのほっしょう)
とか、離言真如といいます。
さとりとは言葉や思惟を絶した
ものであるから、
離言と、言葉を離れている
というのです。
仏教では離ということも
いろいろ使い方があるようです。
まあ、
「断・捨・離」ということも
何気ない言葉かもしれませんが
仏教から見ればとても重要な
修行の根本命題ということのようです。
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