outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

衣食住について

2010年05月31日 19時58分56秒 | 退職生活
ご心配をお掛けしましたが、倶留尊山の登山口を確認に行って、郵便局で野暮用を済ませた後「御杖」の道の駅で温泉にゆっくり浸かってのんびりしていたら、かなり体調も戻ってきました

みつえ温泉「姫石の湯」は村営ですが広く、サウナや色々な湯があって、良い所ですよ

体調が戻ったとは言え、どうも呑みすぎの様なので今晩はお酒を我慢します

その温泉の中に書いてあった事からの延長で

話しは今日のタイトルに変わりますが「衣食住」は人間として生活の基本となるものです

最近は「服を着せられた」犬や猫、猿などを良く見かけますが食や住と違い本来人間だけのものでした

ずっと昔まで遡れば人間も服を着ていなかったんですが、現代では世界中を探しても全く衣類を身に付けていない人達は居なくなってます。(フィリピンの何処か高地に居ると言う話しも聞きますが・・)

人はいつの間にか表皮が弱くなり、怪我防止や体温調節に衣類が欠かせなくなってしまいました

そしてその衣服が、現代では怪我防止や体温調節など本来の目的から離れ「着飾る」部分が重要視されもいます。

「着飾る」の「飾る」は元々戦いで相手に、自分を強く見せるために始まったものですが、これが現代でも大して変わってなく、着飾る事で自分を良く見せようとしています

これを言い換えると「中身は伴っていない」のであり、寧ろ「中身が無いから」そうしていると言えないこともありません

祭りの御輿などがキンキラに飾られますが、あれも「中身が無い」から飾る事でそれらしく見せています

確かにブランド品などは実用面でも優れていると言えますが、「見る目が無い」から世間の評判に従っていると言えるでしょう。

そう考えると、お金があるからと・・・本来の目的以上の高価な衣類を買い、着る事は「中身の無さを示す行為」に思えます

食についてですが、動物は何かを食べなければ生きられませんが、食べ過ぎると体を壊します

昨日呑みすぎで体調を崩していた僕ですが、健康に生きる為に必要な事が現代では「食べない事」になりつつあります

「美味しい物を食べる」喜びは犬や猫でも見ていて解るほどです

でも、美味しいものしか食べない犬や猫は運動不足なだけで、充分に運動し、健康な犬や猫は何でも喜んで食べます

食の喜びは非常に大切ですが、今の日本の食生活のように、無駄を平気でし、貧しい国の人達の食料を奪い、飢えさせたりしてはいけません

日本の牛肉がどれほど世界の貧民層を飢えさせているかを日本人は余り考えないようですが、世界中で非難しています。

障害があって動けない人は仕方ありませんが、出来る限り体を動かし、「何でも美味しく食べられる状態」になるよう、そして食べ過ぎないよう心掛けるのが一番だと思います

次に住ですが、「立って半畳、寝て一畳」と言うように、大きな家は要りません。大きな家や立派な門は「飾り」で「中身が無い証」のようなものです

実際、余りに大きく立派な家を見ると殆どの人が「品の無さ」を感じると思います

余りに高価なものを身に付けているのも同様ですが

住は寒さや暑さ、雨風が凌げて食事が作れて眠る場所があれば、それ以上は無くても困りません

僕は長さが14メートル余り、幅が最大で4メートル余りのヨットで実質十年以上暮らしました。

バスは実質三年足らずしか暮らしていませんが長さが8メートル余り、幅が二メートル余りです。

狭いけれど、愉しく過ごせましたし過ごしています

確かに「寛げる」事が必要ですが、大きく立派な家は必要ありません。

そんな事を考えると、「お金持ち」になっても、ボランティアをする以外「お金の使い道」はありません

人に必要な物は確かに「衣食住」ですが「衣食住」がどうにか足りたら、次に必要な物は「夢」だと思うんです

僕は何度もブログにも「計画」を立てるように言っていますが、計画は夢が無ければ立ちません

夢が無い人の行く道は決まってお金でしかありません

夢があれば計画ができます 計画が出来れば実行できますそして愉しい日々になります

「夢」ありますか? 

最後に「中身」とは何なのか言えば「社会に奉仕する心」「信念や夢」でないでしょうか。

明日は5月の会計報告します
コメント
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