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outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

信用がない溝田

2008年02月19日 20時59分21秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日運んできた荷物を朝から片付けていました

ところが美由紀が・・・どんどん落ち込んでしまって・・・

必要で無いものが家を占拠していくから?

そのうちに・・僕の生き方がそもそも間違っているからこんな事になると

確かに普通でない生き方かも知れないけど

世の中なかなか難しい

今週末(23日土曜日)ヨットクラブの月例宴会があって、今月当番が当たっている僕は皆に美味しい冬ならではの「河豚鍋」を計画したのです

そしてクラブ員全員に配送されるメールで「参加表明」をお願いしているんですが

二度のメールにも関わらず表明者はたったの二人

いつもは20人位の表明があるのに・・「信用がない」としか思えない

今まで50回以上宴会をして500人以上が食べて皆生きているから大丈夫とメールに書いたにも関わらずです

「肝を溶きこむ」と言うのがどうも不安なようなのですが・・肝の入っていない河豚鍋は塩が効いてない漬物みたいなものなのに

河豚鍋を中止しようかと迷っています

うまいのにな~・・・

それから滅多に無いことなんですが・・竹内さんからお誘いがあった「蒜山別荘雪中宴会」を断りました

行きたかったんですが・・引越しが片付かない上に宴会用の河豚を入手しなければならず、おまけに憩室炎は治ったけどイマイチ体調が良くなくてお酒が殆ど呑めないのです

晩酌程度はしていますが

そんなんであまりパッとしない一日でしたが夕方に学友の柳田氏が寄ってくれたのが救いでした

忘れてましたそれといつも元気で乗れるものなら全てが好きなテク近藤氏より電話があって「面白い車見つけた」と言うので明日一緒に見に行くことになっています

その車は「モーガン」あの有名な二人乗りオープンカーです。乗るのはちょっと勇気が必要ですが
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時代変化

2008年02月18日 23時31分45秒 | ヨット世界一周クルージング
まあ今のご時世、何が変わったと言えば「パソコン」が一般的になったことによるものが最大ですよね~・・

先日ラー3世の金田氏がマレーシアから戻ってすぐCDを送ってくれました 去年から出回りだしたそうなんですが・・・

このCDはあんな薄っぺらで小さい物なのに世界中の潮の干満、海流の方向と強さがリアルタイムで解るだけでなく指定した何時の時間でも日でもたちどころに解ってしまうのです

おまけに月の満ち欠けから日の出日の入りまで

世界中の海図(海の深さが解る地図)もCD二枚に入ってしまうし、僕が出港した1993年には想像も出来ない大変化です。

今日このような変化を書こうと思ったのはマンションから荷物を運び出していたらそんなものが見つかったからなんです

一つはカメラとビデオなんですが・・・勿論デジタルやCD式でなくフィルムとテープ式でした。 ニコンの一眼レフには交換レンズが何本もあって・・8ミリビデオには使っていないテープが沢山残っていました

もう一つは衣料品です。殆どカジュアルですが中には買った時の事を覚えているのもあって・・・
「昔は高かったなあ~・・」と思ったわけです

今もブランド品は高いんでしょうが・・ユニクロ専門の僕は最近安くなったと感じています

まあ家を整理すると色んな事を思い出したりしながらなのでなかなか捗りません

そんな訳で今日も軽トラ満載の荷物を運んで戻ったら夕方の七時を過ぎていました

明日はまだ軽トラに乗ったままの荷物を下ろして片付けます

蒜山に別荘を造っている竹内さんが今週の水、木に雪の中で遊びませんかとお誘いの電話がありました

行きたいけど、荷物の事と今週末にヨットクラブの宴会があって今月は僕が当番

フグを獲って来てそれをメイン料理にする約束をしています。 行けない事もないけど少し厳しくもあり結論を明日まで持ち越しています
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捨てたいけど・・・

2008年02月17日 18時47分36秒 | ヨット世界一周クルージング
我が家の場合、普通の人のように生きてないから問題です

ヨットでもキャンピングカーでも家でもマンションでも暮らせるようになっているのは「僕の好み」なんですが・・・

どこも「どうにか暮らせればいい」程度なで電化製品も家具もその他家庭用品や衣料品も「とりあえず」生活が出来ればよしで「応急」でばかり揃えています

そこで今回のように一箇所を引き揚げるとなると同じような品物がダブってきます。

冷蔵庫と水屋だけは無理して良いのを買っていたから残しておいても喜んで使ってもらえますが他のものは「ほとんどゴミ」なので持ち帰るしかなく運んできたのですが・・・

使える物だから捨てるには「もったいない」けれど家に置いても同じような物が家にはあるから場所をとるだけ

家で使っているのが壊れた頃には全く新しい製品になっていると思うし・・

そんなんで昨日運んできた荷物の整理だけに一日かかってしまいました。

そしてどれも捨てれずドンドン宴会場と二階の一室を占拠しています

実際本当に必要な生活用品なんてホンの少ししかないのに・・なんでこうなるの?

考えてみれば家財道具もあればあるほどストレスになる。 

でも無ければ不便と板ばさみ。 ホロホロが長い間居たフィリピンのネグロス島、ボンボノン周辺に住んでいる人の家に入ると中にな~んもないけど生きているしストレスなさそうだったな~・・・なんて思いながら一日が終りました。

明日はまた新たな荷物を運んで帰ってきます。

しんどい仕事で疲れている溝田でした
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奥の手登板

2008年02月16日 21時33分14秒 | ヨット世界一周クルージング
少し早めに今年の山旅に出ようかと昨夜考えました

そうなると・・一昨年スキー場で二人のスキー板を誰かが持ち去ったので買わなければ行けません

それから旅の途中でお金が下ろせるように準備もしなければなりません。

ところが・・・であります

年末に買った株が売れない

我が家の場合年金がまだもらえない(もらえるようになっても国民年金だけど)から毎年10月に一年分を引き出しているんですが・・・(一度にまとまったお金が入るからスケベエ心で株に手を出す)

10月まで待てない。 アイフルやアコムに行っても仕事をしていないから貸してくれないし利子も高そうなんで

仕方ないから来年の分(今年10月の分)を引き出すことにしたんですが・・

全部の株価が戻る可能性も薄いような気がしてきました

そこでこの際全く使わないのに維持費、管理費電気水道ケーブルテレビ、有線など
毎月出費が要る徳島のマンションを貸そうと考え

ホームページにリンクがある友達「ハローホーム宅建」の高部さんに電話して6万5千円で・・・とお願いしました。

数時間後に電話があって「OK決まりました」と夢の様に早く若いお医者さんが借りてくれることになりました

(収入は当分生活費に使う予定はありませんが支出していた分が要らなくなるので随分楽になります)

それで急いで軽トラに美由紀と乗って荷物の運び出しに行ってきました

ボロばっかりがどんどん家に集まって来るので問題です。

と言ってもまだ何度も行かなければなりませんが・・・

そんな具合で2~3日、荷物運びと片付けに頑張ります。

それと山旅出発はやっぱり予定通り3月20日にします

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鶴林寺(かくりんじ)

2008年02月15日 22時07分19秒 | ヨット世界一周クルージング
このところ天気が良かったら山ですが今日もまた山に行きました

この季節で今日のように寒いと余り標高が高い山には行く気になれず(体力も無いけど)四国に多い八十八箇所寺20番札所「鶴林寺」に登りました。

鶴林寺は僕が生まれた「勝浦町」にあって子供の頃から親しんでいる寺なんですが
今回は勝浦側からでなく阿南市側から初めて登ったんです

最近の八十八箇所寺の多くは車で行ける様な道がついていてここも殆どの人は車で登ります。 

だから遍路道を歩く人は稀ですし、こんな寒い季節はお遍路さんも少ないのですが
二時間ほどの登りで三人の老人に会いました

流行でしょうか? 暇な人が多い? これがシーズンの4~5月だと50~60人に出会うこともあるんですから驚きです。

3~40年前は殆ど居なかったんたんだけど

なんでこんなことを書くかと言えば汗をかいて登っていくと寺の境内に入ったところに4階建ての白いビルが建っていたのです。寺が経営する遍路用ホテル?(遍路宿と呼ぶが)

全く寺に似つかわしくない建物を建ててしまう住職と言うか社長と呼べばいいのか

「坊主も人間」と言う人もいますがお坊さんはやはり「仏に仕える身」で唯の人間であってはいけないと思うのです。 

それが多くの寺の経営者は僕らの目で見ても一般社会の人間より人間らしいというか欲望と煩悩にどっぷりと浸かっているように見えるんです。

そうでなければこんなコンクリートの下品な建物が造れるわけがない。

ただそんな寺を巡って(僕も回ったことがある)も歩いている間には色々なことも考え、反省もしたりするものですが・・・終って戻ってくると元通りだったような気がします。

人間なんて簡単に悪くはなれても、なかなか良い様には変われないものだと思います。

その「変わる」「変わらない」なんですが僕らの年代の人達の多くは30年40年前と比べると随分変わっています。

歳とって白髪になったり禿げたり皺が増えたりは仕方がない事なんですが・・・

友達に会っているのに「態度」が「偉そう」に変わっている人もいます

夢を失って全くしょぼくれている人もいます

自分をしれば変わる方が自然なのかも知れませんが僕は何時までも変わりたくないと思って生きています。

進歩が無いと言えばその通りですが「簡単に変わってたまるか」と思っています。

それが良いのか悪いのかはわかりませんがそんな事にまで考えが進んだ白い建物でした

しかし凡人は良いですね~

何を書いても何を言ってもたいして相手にしてくれないし文句も言われない

「羊水が・・」の人は大変だけど僕が「35歳を過ぎたらマ○コが腐る」と言っても新聞もテレビも騒がない

孫の顔が見たいと自分で言えない人も大変だけど・・孫が出来そうもない僕は「そんなの関係ない、オッパッピー」です

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夜中に・・とモドキの13

2008年02月14日 21時32分15秒 | ヨット世界一周クルージング
夜中の3時ごろ急にお腹が痛くなって目が覚めそれからも痛い痛い

でも憩室でなく冷え腹みたいでトイレに来てしばらく座っていました。

出るものは出たけれどなんか本調子にならず10時前まで寝てました。

憩室炎が治ってからちょっと胃腸が弱っていたのに呑みすぎたのが原因?

美由紀の機嫌も悪くなったけど僕もがっくりです

でも気合を入れて朝食を抜いて昼に少し食べシイタケ狩りに行きました。小さいのを5個ゲット

小さな山ですが下っていって民家があるところに降りてビックリ

公園のように綺麗にした野菜畑発見  タケ囲いでぐるっとまいて約300坪に芝生の部分が3割、野菜部が二割、果樹部が二割、花が二割他にビックリは大きな直径10メートルほどの水車とその回転を利用した「回る家」に頭が下がりました

76歳、大工仕事をやめて6年間毎日ここに来ているというおっさんは「回転物」が好きならしく、他に二つの水で動く装置を作っていました

次回は写真を写してきます。 兎に角愉しくなるアイデア満杯の300坪です。

呑んでいて「ふと気が付くと窓から見える景色が違っている」こんな素晴らしい夢の家を現実にしてしまったおっさんの写真もアップしますね。

文章がうまく書けず恥ずかしいですが書き始めたの最後までアップしますがやはり体調が悪い時の文章はいけません。  ごめんなさい。


   13章



打ちひしがれている多恵に対して言い出しにくい事だったが松田は二人を解剖するよう勧めた。

このまま火葬してしまうと何かの証拠があっても消えてしまう。

 殺されてから投げ捨てられた可能性もある。

本人の確認から胃の内容物、外傷など細部まで調べて記録しておけば後で役立つかも知れない。

 遺書に書かれていた文は短く「浩二さんと死にます」とだけだった。 遺書の字の筆跡を確認したのは多恵と伯父だった。

浩二の遺書は無かった。 多恵は松田の勧めに従うことにした。

 多恵自身二人の死が心中とは思っていなかった。

警察は二人の間柄から「道ならぬ恋」の終着と解釈しているようで後日多恵のところに話を聞きに来ることになっているが
全く事件とは考えていないようだった。

ここ南海病院で解剖は出来ない。堂島浜通にある大阪大学医学部付属病院に移すことになる。

折衝があまり得意でない松田は今回も週刊誌記者の山崎に頼もうと電話を入れた。

山崎は店に電話したと言った。 そして岡田の車から松田が発見した薬の包み紙に付着していた成分が整腸薬だったと言った。

その答えに松田は落胆したが、そう思ったような成分が出るとは限らない。 それは一部ながら予期していたことだった。

週刊誌の記者と言うのは色々なところにコネがある。 

「週間新話」の威力で事件を前提として二人を解剖してくれることになった。

阪大付属病院で解剖の手続きをするのに松田は付いて行ったが多恵は怯えていた。

もうすぐ22歳になるとは言っても世間知らずの小娘である。

 両親と、まだそれほどの期間を過ごしてはいなくても浩二は夫だった。

子供の頃から良く知っていた岡田を含めて四人が立て続けに死んでしまった。いや殺されてしまったのだ。

次は自分か伯父と思わざるをえない。 怨恨かと考えても思い当たらない。 伯父に聞いてみようと思った。

松田と一緒に家に寄って身の回り品を持ち出した。 伯父の家で当分過ごすことになる。

伯父の家は高校一年と二年、それと中学一年の三人の子がいる。女、男、男で家族は五人だった。

小さい時から伯父や伯母、三人の子供も良く知っている。

 みんな良い人だと解っているから伯父が家に来るように言ってくれた時からそう決めていた。

とても一人で家にいられる状態でもなかった。 

伯父の家は伯母さんが買い物に出る時以外いつも誰かがいる。 日常の買い物は御用聞きで済んでいた。

常に誰かといないと不安だった。 

テレビを点けると二人の投身自殺を心中と見て調べていると放送されていて不快だった。

新聞も週刊誌も安藤建設が大阪では知られた会社だし、母と娘婿の心中事件を大きく取り扱うだろうと思い気が重かった。

今頃は家の電話も鳴り続いているだろうと思う。

明後日には解剖の結果も出ることになっていた。 

それを聞きに松田と行くことになっている。 それが少し嬉しく感じた。

母や夫が死んだばかりなのに・・・

自分は薄情なと思い浮気性なのかもしれないと思う。 

シャツを通して感じる松田の引き締まって頑強そうな体が目に浮かんだ。 

結婚して二ヶ月、浩二との間に気持ちのつながりは出来なかった。 

毎日一度か二度の交わりはあったが快感を覚えることも無かった。浩二の求めに従うだけだった。

 一緒にいることが嫌でもなかったが、結婚する前のほうが良かったと思う。

どこかにすっきりしない何かを感じてそれが消えなかったのだ。  

葬儀の準備も母がいない今、多恵には全く何もできないし、何をすれば良いのかも解らない。

伯父がなんとかしてくれるだろうとそちらの方は成り行きに任せるしかなかった。 

伯父は忙しく話す機会がないまま一日が過ぎた。 
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雪が・・・とモドキの12

2008年02月13日 20時36分46秒 | ヨット世界一周クルージング
目が覚めて寝室?から出てみるとワイパーから上のフロントガラスに雪が積もっていました

僅かとは言え家の周りの積雪は今年初めてでした

でも太陽が出ているし天気も良さそうなので津の峰山へ「陽だまり登山」と決めて出発。今日は弁当を持たず水とおやつだけ。

神社に着くと今日は神社の祭日で4人の神主さんが烏帽子を被り氏子が数人来ていました。

年寄りばかりでした。 このような祭日行事もやがてなくなってしまう運命なのかも??

そう思うと大きく書かれた「皇紀2668年」の文字も寂しそうに見えました。

帰り道でスーパーに寄ると純米の新酒一番絞りが並んでいました

喜んでそれを一本買ったんですが・・家には呑みかけがまだあります。

新酒を呑みたいけどそれを開けると怒られるので辛抱しましたが・・のみたいな~

午後時間が出来たのでサスペンスモドキの続きを少し書きました。




    12章

松田が店に出ると電話が鳴っていた。

受話器をとると多恵が泣きながら「すぐに病院に来て」と言う。

理由を聞くと「母が・・」と言った。

その南海病院は店から近い。 

小夜がまだ出てきていなかったので書置きをして店を出た。

夕陽に照らされた雲が異常に紅かった。 

普段の夕焼けは黄色を含んだ暖かさを感じるが今日のそれは不吉を感じさせた。

安藤誠三、岡田俊好に続いて紗枝まで事件に巻き込まれたのか。

松田が病院の受付で「安藤の身内の者ですが」と言うと地下に行く説明をしてくれた。

急いで階段を駆け下り言われたところに行くと10人ほどの男が長椅子に向かい合って話していたが多恵は見えない。

その人たちに聞いてドアを開けると多恵が泣いていた。 

前にある二つのベッドに載せられた二人の遺体がある。

近づいて多恵に来たことだけを知らせドアの外にでた。 

松田に電話をしてきたのだから多恵は事件と思っているはずである。

でも今は泣くだけ泣かせたほうがいいと思った。

松田も二人とは思ってもいなかったし原因も聞いていない。

 多恵に聞くより外に居る人から事情を聞くほうが早いと判断した。

外の長椅子に腰を落として隣の人に聞くと「心中らしい」といった。

 安藤建設の本社は六階建てで天王寺にある。 この病院からも近い。

その「屋上の手摺を乗り越えて二人が飛び降りた」というのだ。 

紗枝の遺書があったことから警察も心中とほぼ断定しているらしい。

浩二は多恵と結婚してまだ数ヶ月しか経っていない。

 紗枝にしても夫である誠三が亡くなって一年にならない。

いくら男と女の関係が予期せぬものであると言っても、そんな事があったとは信じられない。

紗枝は多恵の母であり、浩二は多恵の夫である。

 多恵が受けた衝撃の大きさを考えると松田の心も痛んだ。

これも今までの事故に見せかけた殺人に続く殺人事件に違いないと思う。

今までと違い今回はまだ遺体が現存する。

 捜査の世界で「遺体が話す」とか「遺体に聞け」という言葉を松田は思い出した。

再度ドアを開けて中に入り、一つの遺体の前で手を合わせて静かに被せてあった布を持ち上げた。

男だった。 男の衣類だったと言うべきかも知れない。

損傷がひどかったのか頭部全体が包帯でぐるぐる巻きにされていて顔が解らなかった。

六階建てビルの屋上から飛び降りたとすれば当然かも知れない。

次に多恵が泣いているところに行って手を合わせてから布を持ち上げると包帯は頭部と顔の一部だけで識別は容易な状態だった。

もう少し考えようと外に出ると多恵がついて出てきた。

多恵にお悔やみの言葉を言ってから松田は気兼ねしながら顔が見えないが浩二に間違いないかと訊いた。

多恵は首を縦に振り、包帯をする前に見ているし、体型、着ている物からも間違いないと思うと答えた。

「思う」と言ったことから顔の損傷がかなり酷かったことがうかがえる。

しかし松田は多恵が遺書の確認と余りの出来事に動転している状態だからそれほどしっかり見ているかどうか不安が残った。

浩二については替え玉もありうると思った。

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耳の具合とモドキの11

2008年02月12日 20時36分13秒 | ヨット世界一周クルージング
「ほなけんさっき呑むんでってきいたでえ」とヨメハンが怒ります

晩飯の席について一杯呑もうとしたら「肴」がないんです。

それで「肴ないんか」と聞いた答えでした

僕も大分前に「なんか言ってるな」とは思ったんですが・・・

なんか言ってる場合の3割は僕に説教です。片づけが悪いとか・・・

そして5割はたいしたことがない話しです。

2割くらいは必要な事も言うのですが・・ついついわけがわからんまま返事をしてしまいます

それらが原因でいつももめるんですが・・皆さんはどうでしょうか?

よそのヨメハンや娘はんが言ってることなら一生懸命聞くんですがねえ~

今日は朝起きたら雨でよしえちゃんと山に行く予定はボツ。

昼から天気が良くなって

この前から気になっていた「美由紀の車のタイヤの空気圧が少ない」

家の裏の修理工場に持っていってタイヤ圧を計ると2~2.3なければいけないのに1も無い

それも全てのタイヤが チューブレスのタイヤと言うのは毎日乗らないと思いのほか早く空気が減るそうです。

空気圧が足りないと燃費が悪いしタイヤが変に減るとの事で慌てて僕のロードスターを持っていくとそれも同様ぜんぜん不足

次は罠用の軽トラ。これは去年6月に買ったばかりだから大丈夫と思ったのですが圧は1でぜんぜん不足

バスも持っていこうと思ったけど・・面倒なので次回にしました。

皆さんもタイヤ圧計って見てください。燃費が2~3割違うそうですから

そしてこの前から書いているサスペンスモドキを書きました

興味がある方は読んでください


    11章

何気なく車内を眺めていた松田の目が止まった。

すぐに手を伸ばしたのは灰皿だった。 慌てたように開けると数本の吸殻が黄色く変色している。

そこに黄色く変色した紙が一つ小さく丸められていた。

それを取り出して広げる。 正方形の白い紙、それが薬を包む紙であることは明白だった。

家族かトヨタの人間も灰皿の中までは見なかったのだろう。 松田が一番期待していたものが発見できたのだ。

丁寧にビニール袋に入れてジャンバーのポケットにしまいチャックを閉めた。

包み紙から中に入っていた薬の成分を調べることは可能だ。 

それが事故を誘発するものであれば単なる事故でなく殺人事件であることの証明になる。

大阪に戻る松田の心は弾んでいた。

すぐ山崎に電話を入れたが不在で伝言を頼んだ。 

店に出てすぐ小夜に岐阜に行って岡田の車から薬を包んであった紙を見つけたことと山崎に頼んで成分を調べてもらう予定だと話した。

多恵に一度会いたいと電話した。 多恵にやって貰いたいことを思いついたからだった。

小夜にも言ってある。

これまで調べてはいるが全てが勘だけで何一つ事故に見せかけた殺人と断定できるものは上がっていない。

薬の包み紙から事故を誘発させる成分が見つけられない可能性は十分にある。

もしそのような成分が見つかったにしても他に証拠となる物か動機を発見しなければならなかった。 

それを多恵に頼みたいのだ。

翌日の昼過ぎ多恵にあった。  初めから可愛い顔立ちだと思っていたがそこに落ち着きのか自信のようなものが加わっている。

多恵は会うごとに綺麗になると松田は思った。

永田会計課長の使い込みについての回答はまだ来ていないという。

松田は森野に会って欲しいと頼んだ。

二人きりで会っても前社長の娘である。前もって予約をしていけば他に会うことを知っている人がいると考えるだろうから危険があるとは思えない。

この際単刀直入に質問してその反応を見るのが一番だろうと松田が言った。

その質問を多恵は手帳に書いた。

1、父と岡田総務部長を事故に見せかけて殺害した事故を誘発させる薬を知らないか、毒草や毒キノコも含めて

2、犯人の狙いはなにか

この二つの質問をどのタイミングでするかを詳しく打ち合わせた。

数日松田は山崎からの連絡を待った。 

包み紙は絶対を期して京都から琵琶湖に向かう途中の山科にある「日本毒物研究所」に山崎が依頼していた。

琵琶湖を囲む山々は薬草の宝庫でもある。

ここの毒物研究所では科学毒物の分析だけでなく自然毒物の分析研究で日本一と言われていた。

そこの宮城所長の毒物に対する取り組みを「週間新話」に掲載した事があった。

その時担当したという経緯がある。

山崎は電話で詳しく事情を話し、書留郵便で包み紙を送っていた。

その結果が出る頃だった。
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一合五勺

2008年02月11日 20時01分42秒 | ヨット世界一周クルージング
スカッと晴れたいい天気の徳島県阿南市でした。

ザックにコンロとカップラーメンとミドリのタヌキを入れて出発。

こんないい天気は「明神山」の視界を愉しもうと出かけました。

ポケットには三つの秘密兵器を忍ばせて

しばらく林道を歩き谷沿いの道を上がります。昨日は何も持たずで歩いて登って快調だったけど今日は普段通りの荷物を背負っているので少々心配だったんですが、全く痛みなし

よ~し!とポケットから取り出したのは「煮干芋」 僕は登る時に良く飴玉をしゃぶってたんですが・・そうすると登っても登っても「太る」心配があったんです

今回昔潜っていて今は山に登っている藤本氏が親が作ったという煮干芋をくれたのでそれを細かく飴玉サイズに切って口に含んで登る方法に変えたのです

事前に試していた通り、長持ちするしボチボチと体に効いていい感じでした

そして休憩。 ここで取り出したのは「干し柿」これは一昨年から愛用している岐阜の高橋氏が送ってくれた名産干し柿です甘くて元気が出ます。

頂上に着くと日陰に雪が残っていましたが視界は最高日本百名山の剣山やその周辺の山々が雪を被って光っていました。僕は明神山が徳島で一番視界がいいと思っている山なんです。

風を防いでくれる社務所前の陽だまりでキクラゲを入れて湯を沸かし、それを二つのカップ麺へ

出来上がったそれは「至福の味」でした

「元気が一番」と言う言葉がありますが、元気で体を動かし食べる食事は最高です。

数日前まで寝たきりだったから余計にそれを感じました。

帰り道、林道に下りてからですが「セリ」発見

ポケットから出した最後の秘密兵器は100円ショップで買った「スイスアーミー風8徳ナイフ」なんでこれが100円で出来るのかと不思議に思えるこのナイフはナイフ、はさみ、缶きり、栓抜き、マイナス&プラスドライバー、コルク抜き、ツメヤスリがついているんです

そしてナイフも結構切れます。そのナイフでセリを収穫

夕方家に戻っても何処も痛くありませんでした

夜は今日も鍋ですが今晩は「豆乳鍋」鍋にはお酒と昨日に続いて純米酒を

昨日は18日ぶりだったのでお猪口3杯でいい気持ちになったけど今日は足りない。

3杯は4杯になり五杯になり・・・9杯飲んだらホンワカしてきました

今日もいい日でした

元気が一番、そして体を動かせるのが一番です

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おちょこ3杯

2008年02月10日 20時40分41秒 | ヨット世界一周クルージング
待ちに待った「完全復活」の日がやってきました

朝は少し心配しつつ「シイタケ山」に行きました。

山と言っても高さが殆どないんですが・・最初に小さなシイタケを見つけてあったところへ行くと径は5センチくらいだけどもう開いていたので6個収穫寒いから大きくなれずに開いてしまうようです。

それから緩やかな道を歩いたんですが「調子が良く」て「嬉しくて」往復6キロほど風は強かったけど愉しく歩きました

そして魚が充実しているスーパーへ

カサゴにしようかイカにしようかハゲにしようかと散々迷った末「ハゲで鍋」に決定戻ってきました。

食後しばらく様子を見ていましたが「全く痛くない」これは完治?

それなら一日も早く脚力を戻さないとと思って次に鍛冶が峰へ行きました。

ここは登る距離は少ないけどかなり急坂です。それを登っても全く痛みを感じません

早足で駆け下りても大丈夫。不安消滅

夜ハゲの鍋の肴で久しぶりのお酒(純米酒)をおちょこについでちびりちびり

18日ぶりのお酒のうまいこと、うまいこと。それと酔うこと酔うこと

数日前にテレビでお酒を飲んでるシーンを見てから呑みたくて、辛い辛抱をしていたのです。

でも油断禁物と3杯でストップしました

電話をして明後日はよしえちゃんと発病前に決めていた山へ行きます。

明日も美由紀と二人で近くの山へ行きます。

何処も痛くなく体が動かせる嬉しさを感じています

皆さん方のご心配やご指導に厚くお礼申し上げます 
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有名人とモドキの10

2008年02月09日 22時54分36秒 | ヨット世界一周クルージング
徳島県阿南市では朝少し雨が降りましたが大阪では10センチ積もったとか積もりそうだとか

今頃は東京近辺が雪になってる? 交通事故が増えそうで心配ですね。

話しは変わりますが・・今日は余り言わないけど、ここ二、三日は若い新大阪府知事と歌手の「羊水が腐る発言」問題をどこのテレビ局も騒いで賑やかでした

大阪府知事は張り切っているけど「大変だろうな」と思います。皆それぞれが自分の子や孫の時代のことより今の損得が優先してるようだし、特に議員さんの顔を見ると「代表にふさわしい」今しか見ていないようだし

で歌手の発言ですが、確かに言ったことは間違っていると思うし全国放送ではまずいと思いますが、若い女の子の会話では結構そんなことを言ってるようだし、お医者さんがでも言ったならともかくあそこまで言うこともないんではと思ってしまいました。

まだ25歳で見ている世界だってまだまだせま~いでしょうし・・・でも凄いですよね。 それほど影響力があるというのが

動けないからテレビの前で青くなったり赤くなったりしている僕の感想でした。

憩室炎ちゃんは確実におとなしくなってきました 明日は少し歩きに行ってみます

美由紀に「どこいくぞ」と声を掛けたら「シイタケ見に」と言う事なのでそれを見に行ってみま~す

今日もモドキの続きを書きました。下手ですが興味がある方は読んでね

ちょっと最初からの設定が間違ったなぁ・・と後悔中なのですが・・書き直せば少しはよくなるかな?? 振り向けない性格だからぬ多分出来ないだろうけどね



   10章


松田は週刊誌記者の山崎に岡田総務部長が高速道路上で事故を起こした車を探してくれるよう頼んでいた。

何かの手がかりが残っているかも知れないと思ってのことである。

警察は事故と片付けているから車内にあったものを調べたとは思えないし、家族にしても特に大事なものが無い場合そのままになっていると思われた。

何も出なくても何かが解ると思いながら連絡を待っていた。

多恵の家では切実な問題の発生で犯人探しどころではない。

三人が納めなければならない贈与税の総額は三億五千万円。母でこそ今までの預金と父の生命保険で三千万円ほどあったが浩二も多恵も無一文と言ってよかった。

株券や自宅の土地、建物を担保に銀行から借りたとしても金利だけで年間二千四百五十万円。

一ヶ月二百万円以上になり元金の返済まで計算する必要がない、絶対不可能な金額だった。

相続した株式を売るしか選択の余地はない。

三億五千万円、父や岡田総務部長が健在なら裏金を回してもらったり、他の方策もあったかもしれないが頼りにする社長の伯父は事務の面は疎かった。

しかし伯父に相談する以外方法はなかった。 二人は若かったし母も会社から長く離れすぎていた。

数日が過ぎた。

伯父は精一杯で力してくれたと思う。 三輪銀行から取締役を一名受け入れる条件で三人が持つ株式を買ってくれることになった。

それが最良でありそれ以外の方法はなかった。各自が10パーセントづつを手放しても、過半数は身内が確保できる。

伯父が20パーセント、母が20パーセント、浩二と多恵が各10パーセントで合計60パーセントあり経営の主導権は変わらない。

浩二と多恵の不足額を母の余った額で補うとぴったりとなって手元に一円も残らなかった。

もともと自分が起こした会社でもないのにただ父の子であると言うだけで相続した株式が20パーセントでも10パーセントでもあまり気にならなかった。

父の思い出として全て無くなるのは困るが10パーセントの持ち株があれば配当金だけで年間五百万円ある。

税金を払っても食べていくには十分すぎる金額だった。

そう思うと今回の相続税で持ち株が減ったことが愉しい事の始まりのように思え父に感謝した。

名神高速を走るCB450のメーターは120キロを指していた。 最高時速180キロのホンダが世界に誇るオートバイにすれば余裕であった。

 岡田のクラウンハードトップが「岐阜トヨタ」に事故後引き取られそのまま残っていると山崎から連絡があって三日になる。

夕方には店に戻り準備をしななければならないので朝に出発した。 

岐阜に着いて整備士の案内で工場の裏に行くと前部が大破した白いクラウンが草むらの上に放置されていた。

フロントガラスの運転席側が丸く抜けている。 

激突した弾みで運転席の岡田はそこから飛び出したのだろう。

助手席側の折れ曲がった広いドアが少し開いた状態で縛ってあった。 ガラスはない。

その紐を解いてドアを開けようとしたが少ししか開かなかった。

運転席側に回って半開きのドアを開けた。

中に血痕は全く無い。

助手席シートは座る余裕が無いほどダッシュボードが迫っていた。 

ハンドルが歪んでいた。

助手席前のダッシュボードを開けて中を見ると汚れた手袋とこの車の車幅灯か方向指示器のものと思える電球が一つしか残っていない。

助手席足元のマットは雨で湿っていた。シートの下を覗き込むと黒い鼻緒の下駄があった。

それを除けて見たが何も無い。 下駄を戻してサイドボードを開ける。 が空だった。

運転席の下、後部座席の足元と探したが何も見つけることは出来なかった。

一通り探して運転席のシートに座った松田はハンドルを持った。

ボンネットの左側が折れて持ち上がっているのをぼんやり見ていた。

中のものは全て家族に送ったか家族が来て整理したのだろう。ちり紙さえなかった。

しばらくそうしていて後ろに回りトランクを開けたが同様だった。

無駄足にはなりたくない。再度運転席に座った。

この事故の裏には何かがあったと今の松田は確信に近いものがあった。 それを嗅ぎ取りたい。

何か一つでも感じ取りたい。 このまま引き下がりたくなかった。

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僕なら貰ってしまう話

2008年02月08日 19時04分11秒 | ヨット世界一周クルージング
ひょんなことからビックリ感心ニュースを見つけました

まあとりあえず読んでみてください

ニンテンドーDSの大ヒット作「脳トレ」の看板教授は、「仕事が好きだから」という理由で一切の報酬を受け取ることを断っていると話している。

「Dr. Kawashima's Brain Training」(日本版の名称は「東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修脳を鍛える大人のDSトレーニング」、米国版は「Brain Age」)は英国だけで100万本以上販売されており、ニンテンドーDSの販売数を押し上げ、ゲームの魅力をより広い層に広めた。

しかし、このゲームの看板教授はAFPとのインタビューで「私の財布には一円も入ってきていない」と話している。この48歳の教授は、印税の半分- -およそ24億円(約2200万ドル)

--を受け取ることもできたが、同氏は1100万円(10万ドル)の年収で満足しているという。

その代わり、この支払いは同氏の雇用者である東北大学に対して行われている。

川島氏の家族は本人ほどは淡泊にはなれなかったらしく、問題が生じたという。同氏は

「私の家族はみな私に腹を立てているが、お金が欲しければ自分で稼ぐようにと言っている」と認めた。

何より感心してしまったのは怒っている家族に「お金が欲しければ自分で稼げ」と言ったことですよね~・・

でも僕なら貰っていただろうな~

給料が1100万あって、年金も国家公務員だから人並み以上あるとはいえ「断る」のは難しいと思います。

僕はこの人のことを随分考えたのですがヒットしてしまった事が不幸の始まりのような気がして気の毒でした。

なぜならそれは貰っていても、断っても多分「後悔」すると思うからです。

まして自分だけでなく家族も巻き込んでいる

宝くじの一等に当たって幸せになった人は極めて少ないと聞きますが「アブク銭」はなるべく離れたところを通って欲しいとつくづく思います。

人生「太く短く」でも「細く長く」でもなく「平穏な心」で生きれるのが一番じゃないでしょうか?

そう言う僕も時々宝くじは買いますが

まあ僕の場合近づきたくても近づいてくれませんからいつも割合に平穏です

今日も憩室炎ちゃんは良さそうな余り変わっていないような状態です

よしえちゃんが「どう?」と寄ってくれましたが・・山に行く日の約束が出来ませんでした

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快調報告とモドキの9

2008年02月07日 21時27分48秒 | ヨット世界一周クルージング
朝はやっぱり調子がええな~・・・でも毎日午後から夜にかけて憩室がシクシク泣くので今日もかな~と心配してたんですが今なを良い調子です

そう思えば昨日も今までで一番良かったし、どうやら本格的な復帰が近そうです

ほんとに皆さん心配頂いてありがとうございます。

今日は家で変わらずテレビなどを見てゴロゴロしていたら「ぐあいどうぞ~・・」
と学友の柳田氏が寄ってくれました

そして還暦の人間が三人ですから話題は「病気かあの世へ行く」ことに自然と向かいます

柳田氏が「良い人ほど早い」と言い出したのです

そしたら美由紀が「天国から見ていて天国に必要な人から迎えに来て性根が悪い人は天国も欲しくないから迎えが来ない」と言うのです

それってもしかしたら地獄の人は時間にルーズなの?それとも悪行が多いほどイジメがいがあるからもっと悪行を重ねさせている

なにはともあれ柳田氏は次々と早く逝った人の名前をあげて・・・その裏づけをとるのですが・・そう言われてみれば確かにそんな節もあるような

皆さんはどう思います??

それから昨晩もテレビを見ていて思ったんですが・・・ドラマは昔と違ってずいぶん内容が良くなっていると確信がもてて嬉しくなりました

いまだに俗悪番組もいっぱいありますけど・・・

 テレビの影響って結構あると思うのでこれから日本は経済は悪くなっても気持ちよく暮らせるところになるような気がします



今日もサスペンスモドキを書きました

興味がある方は読んでください。



     9章

チョウセンアサガオに限らず簡単に野山で採集できるものから、事故に見せかけて殺害できる可能性は見つかったが森野がそれをするなら動機があるはずだった。

山野草の知識があれば誰にでもスコポラミンは精製できる。キノコも同様だから森野に薬草の知識があっても限定するには早すぎる。

小夜の店に集まった四人はそれぞれが掴んだ情報を交換した。

永田、森野、水谷、香田の四人の中に犯人が居るという前提で進んでいる。

松田は森野が山野草に詳しく、山野草の成分を抽出すれば事故を誘発させることが出来ることを皆に説明した。

だからと言って森野と断定できるものでないと言うのも忘れなかった。

小夜は永田が会社の金を使い込んでいる可能性が高いことを報告。それを確かめたいという。

多恵は三輪の香田が双栄建設の水谷が紹介した女を囲っていて、それが原因か家庭がうまくいっていないらしいと言った。

山崎は水谷にも女が居ることと工事が近隣住民の反対でストップしそうな状況にあり、もしそうなると次期社長は難しいだろうと
言った。

順調そうに見えても調べれば人はそれぞれ問題を抱えている。

人間と言う強欲な生物はお金に余裕があればトラブルの種までも抱え込もうとするのかも知れない。

多恵は小夜から頼まれた永田の使い込みを調べてもらうために伯父に会いに行った。

伯父は律儀な性格で母や小夜を心配してくれるし、全てに信用しているが今回のことは全てを話せない。

これは殺人事件と思っているがあくまで直感であり警察も会社も事故として片付いている。

しかし伯父とゆっくり話せる機会も余り無いので三輪銀行や双栄建設のことを聞いた。

双栄建設は大手だが双栄建設は同業他社の下請けはしない方針なので今まで取引は無いと言った。

だが最近安藤建設が持っている工法特許を双栄が買いたいと言ってきているそうだ。

ただし売るつもりは無いとの事である。

安藤建設のメインバンクは以前、大阪銀行だったが今は三輪がメイン銀行になっていた。理由は預け入れや貸し出しの金利を特別有利に計らってくれるからとの事だった。

また三輪銀行は最近大阪銀行と近畿銀行から安藤建設の株を買い取り7.5パーセントの株主になってくれていると言った。

株の話が出て伯父は思い出したように「丁度良い、時間あるか?」と聞いて電話をとった。

呼ばれて来た税理士の話しによると相続した株式の評価が税務署の調べで確定し、それが発行価格の十五倍だったという。

一度は何気なく聞き流したがその額に気付いた多恵の顔から血が引くのが解った。

父が保有していた株式は額面で五千万円。 十五倍と言えば七億五千万円になる。

多恵と浩二がそれぞれ三億、母が一億五千万の相続となると特別控除があってもとても払える金額でない。

相続時清算と言って年度末を待たずに払う方が有利と言われても・・多恵は息を呑んだ。

多恵と浩二の相続税はこの額だと各自四千七百万円の控除があるそうだが課税対象額はそれぞれ二億五千三百万円。

それに対して七十パーセントが税金になる。(平成15年以後は五十パーセント)一人一億七千七百十万円。

多恵に貯金などあろうはずが無い。

浩二も安藤建設に来て特別待遇だが貰っている給料は15万円ほどだから似たようなものだ。 

母は株式の贈与は少ないが自宅の土地や建物があるので一億円近くになるという。

母にもそれほどの預金があるとは思えなかった。

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愉しい病気の友とモドキの8

2008年02月06日 19時49分54秒 | ヨット世界一周クルージング
悪くもならないけれど良くもならない憩室炎とウロウロオロオロしながら過ごしています

去年僕らがフィリピンのホロホロに居た頃は暖冬で日本中で雪が降らない温暖化と騒いでいたと思うのですが

今年は一転寒いし良く雪が降りますね

こんなに雪が降ると日本海に近い豪雪地帯では雪掻きだけでも大変とお察しいたします。

そんなことを思うと蒜山で別荘建設中の竹内さんは今頃どうしているだろうかと気になって電話しました

2~3年前にはそこでカマクラを造って(山友近況に写真アリ)中で鍋をしたことがあるほど雪が積もる場所なんです。

今日は水曜日で水、木が休みの竹内氏でもこの雪だから行ってないだろうと思ったのですが電話を受けたのは別荘の中でした

「雪で仕事は出来ないけれど行かないと休みを無駄に過ごした気がする」と仕事が終わってから一休みして夜中に一人で徳島を出発する竹内さんは明らかに愉しい病気です

さすがの僕もここまで根性はありません。 

美由紀はまた近くの山を歩いてシイタケ一個と小さなエノキ数本収穫してきてました

僕は動かずまたまたテレビを見たりサスペンスモドキを書いて過ごしました。

興味のある方は読んでください




  8章

山の東にある安楽寺の駐車場に森野のカローラが入ったのを見て、松田はオートバイを見えない場所に停め急いで荷台のザックを解き靴を履き替えた。

面識は無い。 森野が歩き出すのを待って後についた。 

追いついて一緒に登るつもりだった。

コースは水越峠に出て稜線を頂上に向かって進む一般ルートのようだ。 このコースは前に何度も歩いていた。

葛城渓谷に沿って登ると「祈りの滝」がある。 峠に出た後少しの間急登になる。頂上まで約二時間。 峠まで分岐はない。

祈りの滝で休憩するタイミングを見て話しかけその後一緒に登るつもりだったが森野は山菜を採りながら進むので遅い。

松田も山菜は良く知っていたが誰もが知っているワラビ数本とタラの芽一つを手に持って声を掛けた。

森野はアサツキ(ノビルの仲間)とタラメを採っていた。

松田がアサツキを指差して山菜初心者を装って名前と食べ方を聞いたのだ。 

森野の知識が松田を凌いでいることは容易に解った。

と同時に「毒草」が浮かんだ。 一般の人々は日本の山の何処にでも多くの毒草があることを知らない。

毒殺などに古来から使われる猛毒の「トリカブト」がこの周辺の山々も含め日本中にいくらでもあることさえ知らない。

安藤社長、岡田常務の事故に毒草が使われた可能性はある。そう思うと毒キノコの可能性もある。勿論他の薬物も含まれる。

松田はそれらを調べる必要があると思った。

葛城山頂付近から見下ろす満開のヤマツツジの赤は眩しいほどだった。 

一緒に弁当を食べ「長尾道」を下ると言う森野と別れて松田は「ジョウモン谷」を下った。

滝を見るのが好きなのだ。

このコースには二つの滝がある。ブナの原生林を下って「行者の滝」を見て「櫛羅の滝」から車道にでた。

アパートに着いたのは五時だったが疲れは無かった。

すぐに山野草図鑑を開いて「毒草」を調べた。

事故を起こさせる可能性がある毒草の心当たりはあったが、それを詳しく読んだことはなかった。

翌日仕入れを終えて図書館に行き「菌類図鑑」を調べた。 菌類とはキノコの事である。 

キノコの仲間は一万種以上もありその中には食べてから10日以上経過してから肝臓を破壊し、死に至らしめるものや幻覚を覚えるものが多くある。

松田はキノコの事は余り知らない。

マッタケは時々採るが他にシイタケ、ヒラタケ、マイタケ、ナラタケ、シメジ、キクラゲ程度しか採って食べた事がなかった。

がドラッグとして使われるキノコがあることは知っていた。

事故を誘発させる可能性は「幻覚」「興奮」「酩酊」「意識喪失」などが考えられた。

そんなキノコが何種類かあった。

森野が山菜に詳しく、事故を誘発できる毒草や毒キノコが簡単に入手可能であることが解っただけで十分だった。

例えば「チョウセンアサガオ」について説明してみよう。

チョウセンアサガオは元々日本にあった植物ではないが江戸時代に薬用として輸入されたものを始め、観賞用も含め現在では10種類程が帰化植物として日本中の野山に分布している。

勿論世界中にある。(どれも殆ど変わらない成分を有する)

名前の通り花はアサガオに似るが草丈は一メートル~4メートルになるものもあり茎もしっかりしているが一年草である。

根はゴボウに似て若い実はオクラに似ている。 根、茎、葉、花、種子など全てに同じような成分が含まれている。

1804年蘭医学者「華岡青洲」はこのチョウセンアサガオで全身麻酔をし世界初の乳癌摘出手術に成功した実績もある。

そのことから「日本麻酔医学会」ではこの花がシンボルマークとして使われていた。

チョウセンアサガオに含まれる成分の中で大部分を占める「スコポラミン」と言う物質があり、それが全身麻酔に利用されるのである。

スコポラミンは特に種子に多く含まれ、種子を潰して煮沸すると上に集まる。

その上澄み液をとり、とろ火にかけ蒸発させ濃縮する。

スコポラミンは無色、無味、無臭であるが目薬量で二~三滴を飲み物に混入させると数分で運動能力は残るが意識は完全に喪失する。

多すぎるとそのまま死に至ることもあるが殆どの場合意識をなくす時間が長引くだけである。

症状は瞳孔が開き、痛みなど全く感じなくなるばかりか数時間の間の意識は全て失ってしまう。

薬から覚めた時、自分がなぜここにいるのか今まで何をしていたのか全く解らないという。

これを飲まされ南米や東南アジアなどで多くの観光客や地元民が性犯罪や泥棒被害にあっている。

たとえばこのようにチョウセンアサガオから抽出した液を小麦粉と混ぜ、乾燥させたものをカプセルなどに入れて飲ませることが出来ればカプセル次第で時間調整が出来る。

そしてそれが溶けて体内に吸収されると数分の間に夢遊病者の状態にすることが出来るのだ。

この状態で事故を起こして死亡した場合、、有機リン系の中毒だと瞳孔が閉まるから薬物中毒と疑われるが「瞳孔の開き」は死者の常であり毒草と疑われる可能性は殆ど無い。

身体に致命的と思われる損傷がある事故で解剖に回されることは殆どないのが現状である。






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サラリーマン川柳とモドキの7

2008年02月05日 19時50分43秒 | ヨット世界一周クルージング
今朝の地元紙「徳島新聞」に愉しい記事がありました

いつも新聞やテレビの報道を見るとどちらかと言うと腹立たしい事の方が多くて「体に悪い」のですが・・

それは毎年発表される第一生命の「サラリーマン川柳コンクール」でした

「安い値の ガソリン探し 遠出する」とか

「貼り替えは 昔障子で 今、日付け」

「箸つけた 俺を見てから 食べる妻」

などなど面白くて思わずニンマリしてしまいました

そんな中で最近の風潮から、ありそうで一番大笑いしたのは次の句でした

  「俺社食 息子給食 妻美食」  面白いでしょ

僕の憩室炎は少しよくなったか??相変わらずなんですがもうしばらくの辛抱と思っています

そんなんで出かけることも出来ず家でゴロゴロ。粗大ゴミしてましたがこの前からのサスペンスかミステリーかはっきりしない作文を少し書きました。

興味がある方は読んでみてください

今日今までのを読んで思ったんだけど、話が合わなくなるといけないとの思いから説明に近い文が多すぎ?省略したほうが締まってよさそうなところがかなりありますね 今回もだけど・・まあ一旦最後まで書いてしまいます。



      7章

五月の連休は日本中から博覧会場へ集まった人達で京都から神戸までのホテルや旅館は満員となり、関西に住む人達は親類縁者を受け入れるために恐慌状態になっていた。 

松田も連休を見込んで仕入れや仕込みに奔走した。

予想通り夜のミナミは人が溢れ、小夜の店も満席が続き忙しい毎日で連休明けの今日まで松田の調査は何も進んでいない。

小夜は三人で会った翌日から連休までの数日に店に来た安藤建設の社員から二人の身辺について聞いていた。

そして永田が日曜日にレースがあれば競馬場に出かけていることと、森野が毎週のように一人で山に行っていることを新たに知った。

永田の趣味はマージャンとなっていたから競馬に行くのも解る気がする。賭け事が好きなのだろう。 他の賭け事に手を出している事も考えられた。 

会計課長であれば社の金を流用している可能性もあった。

それがバレて上司である常務を殺害する可能性は十分ある。

森野は趣味が登山になっていたから毎週のように山へ行っていることはうなずける。

大阪の人口は多いがその歳で本格的な登山をするなら松田も名前位は知っているはずだが思い浮かばない。

同じ山好きでも近くの山にしか行かない人達もいる。 そんな人なのかも知れないと思った。 

連休明けの火曜日、CB450に乗らず地下鉄と電車で十三駅に着いた松田は森野の家を探した。

山に行く場合、電車を使うか車を使うかを予測するためである。 

森野の表札がある家は新しく一階の半分が駐車場となっていた。 車を置くために家を建て替えたのだろう。 

道路は狭く普通車がやっと行き違える幅しかないが車の通行量は少なかった。

駐車場の横の洗濯竿二本に肌着らしいものが沢山掛けてあるのを横目に見て通り過ぎ、しばらく進んでから引き返して駅に戻った。

駅前の自転車預かり所でオートバイを預かってくれるか確かめ梅田行き阪急電車に乗った。 これだけ解れば今日は十分だった。

ただ何処の山へ行くか解らない。山によって出発の時間も違うし車で行かない場合も考えられる。

眠る時間は殆どないが朝五時半に行くことに決め小夜に伝えた。

日曜までの四日間が長い。 森野が仕事を終わってからの動きも探りたいが松田は動けない。

松田は何か新しい情報が入っていることを祈りながら山崎の会社に電話を入れた。

山崎は声を聞いただけで松田と解ったらしく「連絡しようと思っていたところだった」と言って教えてくれた内容はこのような事だった。

双栄建設関西支社長水谷は所轄内で請けた大型工事で近隣の住宅多数が傾くなど多大の損金が出そうな状況でこのままでは次期社長も危うい様である。

 傾いた住宅住民の押さえ込みに暴力団に要請している節もあり仕事としても興味が涌いてきたと言った。

その対策か三輪銀行の香田とも良く会っている。安藤建設の森野が双栄建設に来た日もあるらしいが下請けなど同業者の場合当然かもしれない。

また森野が農林省から安藤建設に移った手土産は阪南検疫所新築工事だったようだが検査課長から大手建設会社でなく地元中堅の建設会社に天下りすると言うのは異例のことらしい。

山崎は工事の失敗と住民の押さえ込みに興味があるようだが今後も新しい情報が入れば教えてくれるだろう。

松田は日曜の朝、仕事から戻りシャワーを浴びて二時間半仮眠してCB450に跨った。

一日二日寝ていなくても日帰り登山程度ならなんら不安がないだけ日頃から鍛えている。

十三に着いて一度森野の家の前を通り車を確認した後周辺を少し走って様子を見た。

そのあと駅よりで森野の家が見える「お好み焼き屋」の前に停めてオートバイの掃除を始めた。 

何もせずに居ると付近で気付いた人が不審に思うだろうと考えての事であった。

ここに居れば森野の移動が電車でも車でも慌てず対処が出来る。

掃除が殆ど終わった六時過ぎに白いカローラがゆっくり道路に出てきた。

完全に車が方向を変えるのを待って松田はホンダに跨りエンジンを掛けた。

176号線に出ると車が多くなる。淀川を渡り、御堂筋に入って大国町で25号線に入った。

ヘルメットの中で幾つかの山名が浮かぶ。

やがて大和高田から166号線に入り目標の山は葛城山だと解った。 近くに大阪府最高峰の金剛山がある。

古来よりこの一帯は金剛山も含め「葛城の峰」と呼ばれていた。葛城山は大阪と奈良の県境に位置するだがブナの原生林も残っている。

何より今は一目百万本と言われるほどのヤマツツジの花が緩やかな山頂付近を覆っている季節だった。


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