goo blog サービス終了のお知らせ 

outdoor life by mizota

ヨットでのクルージング日本の名山に登るキャンピングカー旅ダイビング野鳥撮影ジギング等溝田正行がした事する事を報告します

白い服の天使

2008年02月04日 22時21分20秒 | ヨット世界一周クルージング
今日も起きたときは極めて快調なコンディションでした。

「もう手遅れの師匠」(ちりとてちんの話)も頑張っていますが僕も少し歩かないとこの歳になると(50までは平気だったけどなあ~)脚力の衰えは坂道を転げる雪ダルマのように増大しますから美由紀に運転してもらって「井関の池」の周りへ散歩に出かけました

久しぶりの自然は「メジロ」や「ヒビタキ」も顔を出し山茶花が沢山咲いていますゆっくり歩いていると痛みも殆ど無くいい気持ちです

でも少し坂道があると力が要るので痛みが増します

もう一週間になるのに・・・無理をしてはいけないと美由紀を残して早々と車に引き上げました。

戻ってからも特に悪くはなっていませんが良くもありません。

昔は何度も入院したことがありその時は出歩かなくても辛抱出来ていたのですが20年近く出歩く生活を続けた今は苦痛の度合いが桁違いです

そんな話を電話が掛かってきたテクの近藤氏にすると・・「病院には看護婦さんがおるけんな~・・・」

さすが近藤氏、その一言で「なるほど!!」と納得しました

病院のベッドは時には塔がたっている場合もあるけれど白衣でカムフラージュしているから病人の潤んだ目ではかなり美人にみえるオンナが

若ければ益々で天使に見えますそんなオンナが入れ替わり立ち代り優しく手をとって数時間おきに脈を計ってくれるから・・辛抱でなくいつまでも居たくなります

ところがです。 家で寝ていても 時に見に来たヨメハンは「ごはんできたけんはよー食べよ」と面倒臭そうに言うだけです

だいたい女と言う生物は強いものが好きで弱いもの、弱っているものは嫌いなようです。

そんなんで僕は体の自由が利かなくなったら早々と施設へ入って、たとえ商売であっても優しくしてくれる「白衣の天使」のところへ行こうと企んでいます



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サスペンスモドキの6

2008年02月03日 21時31分13秒 | ヨット世界一周クルージング
徳島県阿南市は朝から雨が降っていました。二階に上がって外を見ると山の上は雪で真っ白です。

そんな天気ですからかなり寒いですが美由紀はこの前見つけた豆粒ほどのシイタケの成長が気になって傘をさして見に行ってました

そして「早からこんなになっとう!」と言って傘径が3センチほどのシイタケを一個だけ採ってきてました。

昼過ぎこの前事故で入院していたみかちゃんから「完走した」とメールが入りました

僕たちも一度一緒に練習したマラソンのことなんですが今日は香川県でハーフマラソン大会があるとは聞いていたのですが・・まさか走るとは

やはり普通では考えれんようなことをする宇宙人みかちゃんでした。

憩室炎の調子は朝は超快調で全く正常ゆっくりしてたこともありますが午後になってもほんの少ししか痛みが出ないので夕食前からパソコンの前に座りました

そしてここ数日休んでいたサスペンスかミステリーか曖昧な作文の続きを書きました

興味がある方は読んでください

  



  6章

多恵はまだセックスの絶頂を知らない。

一月前はそれを知りたいと思い心も体も快感を知ろうと必死だった。 新婚旅行に行って朝から晩までし続けても良いと思っていた。

それを思って体が熱くなったことも何度かあった。 

ベランダに出れば前にワイキキビーチがありカラフルなパラソルと砂の上に多くのカップルが思い思いに寝そべっている。

沖ではサーファーが波を待っていた。

左側は青い空と蒼い海の間をダイアモンドヘッドが切り裂くように突き出している。  

夜はビーチに囲んで造られたレストランでメラメラ燃える竹の先に付けられた灯油ランプの灯りで激しく腰を振る
ポリネシアンショーを見ながらカクテルを飲む。 ロマンチックな歌も披露された。

背が高い椰子の木の上の方で葉が擦れ合う音を聞きながら食事を済ませ部屋に戻る。

浩二が被さってくるのに身を任す。 唇を塞がれ着いてすぐ買ったムームーをとられると下着だけ。 それもすぐに外される。

唇や手が多恵の首筋から乳房、股間を這う。 やがて異物が多恵の体に進入してきた。

激しい動きとともに息遣いが多恵の上で続くが多恵の頭は醒めている。 

絶頂を知っていればやがて支配する自律神経系統も、それを知らない多恵は感じようと随意神経を働かせるしかなくそこにある微かな疑惑がそうさせなかった。 


小夜は便箋を前にしばらく考えてから筆をとった。

そして岡田常務の死亡事故だけでなく、多恵の父親安藤前社長の事故についても自分は不審に思っている事を書き
新婚旅行から戻ったら出来るだけ早く店に来て欲しいと電話番号も入れた。

書き終えてアパートを出た後、美容院でセットを済ませ、ポストに手紙を入れて早めに店に入った。

板前の松田にこれらの事件を相談しようと決めていた。

信頼できる男の手と機動力が必要になると考えての事である。

松田勉は中古で買ったと言うホンダドリームCB450に乗っていた。

1961年世界グランプリの250CCクラスで優勝したホンダがアメリカ、ヨーロッパの大排気量車を超えるオートバイとして開発したDOHC二気筒エンジンを搭載している。

どんな車の尾行でも可能な性能を備えていた。

松田は小夜が店をする前から居た板前だが徳島出身であることが解り四国同士で安心できた。

35歳なのに独身で女遊びをするでなく、酒もタバコも博打も全くしないから飲み屋に居る理由が解らず余りに真面目なので初めは逆に心配したほどだった。

が今は山登りが好きで大きな板場で働く場合の板前同士の遊び付き合いが嫌で一人で働けるバーを選んだのが解っている。

寡黙で料理の腕も良かった。生前の安藤も小夜も気に入って早くから仕入れの全てを任していた。

松田は足腰を鍛える為に店が始まる前の僅かな時間でもジョギングを欠かさない。

休みの日曜日は毎週のように山の会の仲間と登っていた。 正月休みには雪の北アルプスに登っていたと言うほど山が好きな人である。

小夜はそんな松田に「二人の死は仕組まれた罠で、殺人事件」と思うので犯人探しに協力して欲しいと頼んだ。



ハワイから戻った多恵は疲れていたがすぐに届いていた手紙類には目を通した。 お祝いの手紙が殆どの中で小夜の手紙に驚いた。

父の事故も事件かも知れないと書かれている。 一日も早く会いたいと思いながら挨拶回りと片付けに五日が過ぎ、浩二が初めて安藤建設に出勤した日に小夜の店に行った。

松田と三人で始めての会合を持った。

相変わらず動機は漠然としている。 事故か殺人事件かもはっきりしない。警察は両方共事故と片付けている。

「仕組まれた罠だとすれば動機が見つかるはずであり、殺人と決めれば事故を起こす原因が存在するはずだ。この二つが糸口になる。でもこの三人では難しいからもう一人頼もう」 

松田は四人の調書を何度も見て二人に言った。

心当たりはあった。おなじ山仲間で週間新話の大阪支社に勤める山崎である。

山崎郁夫は二十八歳で独身だった。自由に動ける上に情報網があることを説明して二人の了解をとった。

先ず多恵が怪しいと言う四人を出来る限り調べて事件の糸口を探す事。

多恵は三輪銀行の香田、小夜は経理課長の永田、松田が営業顧問の森野、双栄建設の水谷は記者の山崎に頼むことなった。

次回は十五日に集まりそれぞれが調べたことを報告し、その後の方針を決める計画である。 

日を決めることによって効率が上がることを知っている松田の考えだった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女は収穫好き

2008年02月01日 20時55分35秒 | ヨット世界一周クルージング
完全に上を向いて寝ていると非常に調子いいんですが調子が良いと動きたくなり、横向きに寝たり少し動くとまたジリジリと痛みが出てくると言った具合で「尻焼け」の溝田には辛い一日となっています

そんな僕を尻目に美由紀はまた近くの山へ出かけて「野生しいたけ」多量と「マゴジャクシの小型」を4つ採集してきました

僕はイマイチですが、今や美由紀はキノコ採りの「達人」で今年になってからも毎日野生キノコを食べていますが食べきれず冷凍室に溜まっていくほどです

2~3日前から「毒入りギョーザ」で忙しいマスコミですがその中で「中国産椎茸」の話が出ました。

普通日本で椎茸を栽培しても殺虫消毒することは無いから中国でも消毒しないと思っていたんですが「している」そうです

嘘か真か、理由は「日本人は虫を嫌うから」だそうで椎茸に虫が混じっていたら売れないから「出荷する時に消毒」するんだそうです

今まで余り気にせず中国の野菜や加工品を買っていた我が家はちょっと焦っています

徳島の(全国的ですが)の場合市内でさえ放置された農地はそこらじゅうにあり、昔の人が汗水たらして開墾した畑に杉や檜を植えて「山」にしている農地が沢山あります。

農業で生計を立てるのは難しいですが今の農業政策(今は自宅の近くで3反以上まとまらないと買えない)を変えて、誰でもが少しの面積でも農地が買えるようにしてくれると暇な退職者が自分の食べる野菜くらいは作るから日本の自給率も上がり食の安全も守れると思うんですが・・

農家を守るのも大事ですが何処も殆ど老衰寸前の人しか農業してないから益々心配です

実際にそうなれば誰もしなくなった農地を農家の老人達は現金に変えて楽な老後が送れると思うんだけどな~

何はともあれ、少なくても野生の椎茸は誰も消毒しないから「安全な食材」で我が家は去年から「キノコ」に目覚めたことを大変喜んでいます


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

屁が出ました

2008年01月31日 19時07分32秒 | ヨット世界一周クルージング
あまり上品なタイトルでは無いのですが大変重要な事なんです。

憩室炎は盲腸(虫垂炎)と殆ど同じようなものらしく盲腸の手術をした後「「屁」が出たら言ってください」と言われます。

これは僕だけかも知れませんが憩室炎が出た後のよい方向に向かう一つの目安が「屁」なんです

そんなんで出たら非常に安心します

ボチボチながら回復しているようです。

昼前に僕は茶の間でゴロゴロしてましたら先日車の事故で入院していた美香ちゃんが柚子の実を持って元気に現れました

それから世間話をしながら美由紀と二人で「柚子豆板醤味噌」を作って遊んでいました。

縫い傷にはバンドエイドを貼っていますが他は完全に元通りの「ぶっ飛び美香ちゃん」になっていますので知り合いの方々、ご安心ください

そんなんで話ばかりが長引き読もうと思っていた本も読まず「粗大ゴミ」のような一日でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人はイロイロ

2008年01月30日 17時53分33秒 | ヨット世界一周クルージング
ずいぶん昔に島倉千代子?が「ジンセイいろいろっ」って歌っていましたが

今までの人生で入院は殆ど誕生日周辺にやってきます

これは年末年始にどうしても飲む機会が多く、その習慣がしばらく続くのと、その結果が少し遅れて出るためで毎年注意していたのですが

昨日の夜、ブログをアップしたあとの僕は悲惨でした

突然下腹部がジリジリとなり始めて「あっ!憩室炎」と思う間もなく激痛と寒気と吐き気が襲ってきました。

憩室炎は僕の「持病」なのでヨットで生活していた時はなんだかんだ言ってもすぐに信頼できる病院に行けないからお酒の量も加減していました。

ところが日本へ戻って7ヶ月あまり。 すっかり油断して暴飲暴食

駄目押しは日曜の夜のヨットクラブの誕生会で最後まで多量の焼酎を飲んだことなんですが・・・唯の二日酔いと思っている期間にジワジワと進行していたのに

油断があるから気づきもしませんでした。

今回は「入院?」かと思ったのですが一軒挟んだ隣に「玉真病院」というのがあってそこの院長は良く知っているし以前盲腸炎と憩室炎で緊急入院したこともあるので辛抱出来るところところまで辛抱しようと美由紀に布団を運んでもらって横になりました

とにかく「横になって安静」が一番なのです。 「体は自分で治そうとする」と
信じて痛みをこらえて痛みが引くのを待ちました

そのうちに徐々に落ち着いて「病院」に行かなくてもなんとか越せそうと判断できるようになったんですが、今日も動ける状態ではなく一日中布団の中で過ごしました

「セイシの間を彷徨う」とまではなっていませんがあの痛さは本当にそんな気分になります。

このブログを見てくれている人は僕を良く知っている人も余り知らない人もいると思うのですが例えば僕が「セイシの間を・・」と言うと良く知っている人のセイシは「精子」で普通の人や良く知らない人は「生死」と解釈してくれるものと信じております。

もう峠は越えましたが、このような状態になると当分安静しかありません

しばらく読めてない本でも読んで静かに過ごします

皆さんも暴飲暴食にご注意くださいね


****お知らせ****

時にこのブログにコメントを書いてくださる方がいます。大変嬉しいのですが前日のブログを見る習慣がもてない僕はコメントに気づかず失礼なことになってしまいます。 申し訳けございませんがホームページの掲示板に書き込みくださいますようお願いいたします
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりのヨットは

2008年01月28日 16時51分55秒 | ヨット世界一周クルージング
昨晩ヨットクラブであった誕生会は日曜の夜であったため参加者が少なく少々寂しいものでした 翌日仕事だと飲んで車に乗れないからたへんだもんな~

皆が早仕舞いする中、僕はヨットで泊まる理事長を無理に引き止めて夜中までしつこく飲んで完全に飲みすぎました

宮下理事長すみません

来月僕が「炊事当番」だから「ふぐ鍋」頑張りますのでお許しください (昨日の宴会の席で来月はふぐ鍋すると言ったら・・心配する人が結構多かったのが心配ですが・)

ぶらぶらとホロホロまで歩き転げ込むように布団の中に潜り込んですぐに爆酔。

朝曇り空で時間が感じられず電話で起こされたら昼前だったのは驚きでした

エンジンをかけてビルジポンプ(船内に溜まった水を出す)をかけたついでにいろいろなスイッチを入れてみると・・・幾つかが故障していました

漏電? スイッチそのものの故障? じっくり調べないと判らない。

あまり船に行かないとこんな問題が次々発生して最終的に手が付けられなくなるのは判っているのだけれど・・・日本の冬は寒くて川風に吹かれて何日もヨットで作業する気になれないのが現実です。

今のところ3月20日に山旅に出発するつもりなので・・・10月20日以降でなければ修理が出来ない。

日本に戻ってくると色々雑用から遊びの計画が多すぎてヨットが放りっ放しになってホロホロが可哀想  長い間共に生きてきた「戦友」なのに・・

もっと行って大事にしてやらなければと反省したホロホロでの一晩でした。

3月になったら数日泊り込んで修理しようかな~・・・それしか・・・

ヨットに一月ほど住んで完全に修理する計画を立てないと「動けないヨット」になってしまいそうなホロホロ3世なのです。

近くのスーパー「サティ」も2月に閉店撤退するので買い物も不便になるけど、なんとか頑張らないといけません

でも家に戻っても二日酔いでイマイチ元気が出ません。

明日はまた雨だそうです。 どうもいかんな~・・・気合入れんと

美由紀は相変わらず元気だけど・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サスペンスモドキ4 他 

2008年01月27日 15時30分24秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日はブログアップできずすみませんでした

朝の折込チラシを見ると敷地が広い「売り家」が出ていたので見に行っていました。

でも中途半端なんですよね~・・そんな思ったような「物件」が簡単に見つかるとも思えないですが。

家に戻ってゆっくりしていたら車の音がして、藤本氏が来てくれました

藤本さんは多分185センチ位あります。勝手口の半分がガラスなので光の遮断具合である程度「人が解る」のです。顔を見る前に藤本さんだろうと解っていました

藤本さんも山に登るんですが今まで一度も一緒に登った事がありません。そんなんで最近お気に入りの「津の峰山」へ一緒に行こうと誘いました。2月中頃?楽しみにしています。

今日は朝からこの前からの小説の続きを書いていました。 筋書きを言ってしまう事は出来ないのですが・・仕掛けが大きいのでナカナカ進みません。 

頭の中で出来上がっているんですが今日までで全体の二割弱です。思わぬ展開と進行、楽しみにしてください。

な~んて、うまく文字に出来るといいんですが・・・

急いで書いたので変なところはまた直しますね



     4章
浩二は会社を休み朝の新幹線で大阪に着いた。 

安藤建設常務取締役岡田俊好の葬儀に故社長の娘婿として葬儀に参列する為だ。

こんな機会に顔を売っておくと何かと役立つ。

ピースを咥えて改札をでて火をつけ大きく吸った。

大阪に来るたびに思う何とも言えない大阪の匂いが人里離れたこの駅の構内でも感じられた。

街に近づくに連れて濃厚になる人が放つような匂いが好きでなかった。

それは大阪弁そのものが放っていると思えなくもない東京には無い臭いだった。 

金のダンヒルを軽く上に放り投げてからポケットに戻し公衆電話に向った。

葬儀に参列した多恵は一人でも多くの人と話し、その中から怪しい人を探したいと思っていた。 

浩二と落ち合った後、母と一緒に会社の車で来たが母や浩二から離れて動いた。

二人には何かが解ってから話すつもりでいた。

犯人は「会社の人間」と思っていた。 会社の人かどうかは胸のバッチを見れば解る。 安藤建設のバッジは両手を上げて太陽を挟んだ人がイメージされていて良く目立つ。

父が良く会社の人達を自宅に招いていたので一人娘の多恵を会社に長くいる社員はみな良く知っていた。今は花嫁修業中でも中学、高校とバレーボールをしていた運動好きの物怖じしない明るさはおじさん達に人気があった。

年配で良く知らないのは省庁から安藤建設に移って来た人達だけだったがそんな人にも挨拶をし、一言二言の話しをして回った。  

念の為に会社以外でも要職にあると思える人のところには行った。

母は挨拶の度に横にいる浩二を紹介していた。

小夜は「誰が得をするか」を考えながら一人一人の様子を見ていた。 「得ばかりではない」「二人が居ては困る」人も動機がある。

「安藤建設の人間」と限定することも無かった。この二つの要素を持った人を七百人もいる参列者から探し出すことは難しい。

「もし自分が犯人だとしたら」 この席でどのような態度をとるだろうか・・と考えてみる。

事故と断定されたのだから、心の中では「バンザイ」と叫びたいだろう。 しかしそれを隠して神妙にしているに違いない。

そう思って見渡すと殆どの人は神妙な顔をしていた。 しかし大声で笑うこともなく神妙な顔をつくろいつつも何かを一生懸命話して居る人は意外に多かった。

自分の身内でもなく岡田の死によって生活に影響が無い殆どの人のとる普通の態度なのだ。

このような態度の人は除外できそうに思えた。 かと言ってどのような態度や顔をしているのが犯人なのか思いつかない。

疑惑だけが先行している今の状態では目星さえつけようが無かった。 動機も解らない現時点でこの人数だと対象が多すぎた。

参列者の間を忙しく動き回っている多恵だけが目立った。

多恵の事は安藤の葬儀に参列して知っている。バーのママとして挨拶もしたし安藤や会社の人達から色々な事も聞いていた。

自分が安藤の「女」であることは知らないはずだった。

多恵の動きを見ているうちに、「もしかすると同じ考えで探っているのでないだろうか」と思った。

声を掛けて問いたい気持ちはあったが今それをすると邪魔となると考えて止めた。

だが多恵も疑惑を持っているらしいことで確信は深まった。 店に来る安藤建設の人達に聞けば「得をする人」も
「二人が居ないほうが良い人」も少しは解るだろう。

今日はこれでいいと思いながらも、なんとなくアチコチの数人を眺めていた。

一方、張り切って動き回った多恵も全員とは話せない。が身なりや恰幅がいい要職者と思える200人近くに挨拶をし僅かながら話しをした。

このような悪事に関わる人はそんな人だろうと漠然と思えたからだ。 

その結果、「何かが引っかかる」人は4人だった。 この四人の中に直接手を下していなくても真相を知っている者がいるような
気がした。

その四人の名前は解ったが四人とも良く知らない人だった。 二人が安藤建設の社員で永田利治と森野義明だった。 
永田は総務部で森野は営業部と名刺に書いてあった。

他の二人は取引先で三輪銀行天王寺支店長香田馨のと大手の双栄建設関西支社長水谷謙一だった。

誰が特にと言えるほどではなかったが4人なら一人づつ調べてもそれほど時間は掛からないだろう。

「きっと見つけ出してやる」空を見上げて深呼吸すると先ほどまで空半分を覆っていた厚く黒い雲が不気味な紅に染まっていた。

小夜は安藤の娘多恵と話せる機会を一日も早くつくりたいと思いながら店に向った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不当広告にご注意を

2008年01月20日 13時42分13秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日の朝地元紙「徳島新聞」の中に広告が入っていました。

「これは安い」とすぐに電話して予約をとり、美由紀と二人で徳島に向いました

なんの事かと言えば「家と土地」なんです。 今僕らが住んでいる家は国道沿い(今はバイパスが出来て旧国道になってしまったけど)でなおかつ以前ダイビングショップをしていた時のままだから商売には良いんですが住むとなると不都合が多いのです

ただバスも含め車が多いので駐車に便利なことと「皆が場所を知っている」ので宴会などに便利で住んでいます。

しかし徳島の中心地はやはり徳島市で友達も徳島市内が多いし、大阪や東京、海外に出るのも便利です。

そんなんでバスも含め家の車の他、友達の車も停める事が出来る広さで、誰にでも場所の説明がし易く、なおかつ安い値段と非常に勝手な条件で探すほどでは無いけれど気にしていたのです。

その新聞広告は市内中心部に近く、146坪あって1980万円
広告文では「大家広菜園庭」と書かれていたのです

だいたい市内中心部に近くその周辺の地価は随分下がりましたが住宅地で坪25万円はするのです。 だから僕は最初からその案内人に「何かあるの?」と聞いたのです。

確かに家は築35年と古くそのまま修理して使うにしろ壊して新しく建て替えるにしろかなりのお金は掛かります。

でも坪単価が半額は安い、安すぎる。   そして見てみると「何となく狭い」感じがしました

でも新聞にまで掲載広告する不動産会社がそんな出鱈目を書くとは思えないし・・

この金額なら「今住んでいる所」と「マンション」を賃貸に出せば家賃で買えると考えて「買います」と返事をしたのです

「契約書を作りますので事務所へ来て下さい」というからその人の車について行きました。 その事務所はかなり市内から西のほうに離れていて遠いこと遠いこと

到着してすぐ謄本を持ってきてからの説明に「腰が抜けました」

「謄本で146坪余りになっていますが隣りの敷地の人とは身内で真ん中に適当にブロック塀を建てたらしいから広さははっきり解りませんがそれでいいですか?」と聞くのです

隣りの土地は謄本では37坪になってましたが塀は殆ど真ん中にありました

この土地は道路から少し上がっていてそのロスが10坪ほどでます。そうなると全然安くないと言うより壊す費用などを考えると「高い」じゃないですか

最初に「何かあるの?」と聞いたのに

こちらもこちらで「そんなうまい話があるわけない」のに乗ってしまった

おかげで一日時間が潰され燃料を多量に消費して地球温暖化してしまいました

でもこんな時代にこんな人を騙すようなやり方の会社が存在することが不思議です。 広さが解らない土地を謄本と全く違うのが解っていて買う人がいますか?

夕方家に戻ったらぐったり疲れ、焼酎を呑むと眠くなってバスの布団にもぐりこみました。

皆さんもご注意くださいよ

一昨日の夜久しぶりに走った太腿が今日の朝になって少しですが張っています。

歳とると筋肉に傷みが起きるのが一日ずれるのが面白いですね。 全ての反応も遅くなっているんでしょう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故郷探訪

2008年01月18日 22時54分00秒 | ヨット世界一周クルージング
こんな言い方は少し変かも知れませんが現在住んでいる「阿南市」は僕にとって四つ目の故郷でここに移ってきたのは25歳でした。

来てすぐ「潜水屋」を開業したので近くの海は良く知っていますが陸上のことは「働く者」の常として必要なところ以外行く暇もなく、仕事を辞めてからも旅ばかりで全くと言えるくらい「阿南市」を知りません。

そんな中、先日興味を持った「阿南中心部」に住んでいた人達が「津の峰神社」へ参拝するのにバスや汽車が無かった頃の参道を求めて朝から二人で歩きました

近くの山は美由紀の方が良く歩いているので美由紀に従って阿南駅前の「阿南公園」の中腹まで上り、別れ道を頂上でなく津の峰山の方へ進むと果樹園に出てそれ以上すすむ道は無くなりました

でも少しヤブ漕ぎをして平野に出たら思いもしない「池田」と呼ばれる阿南市街の裏に出ました

早い話、阿南公園の山を越える必要は無かったのです。

丁度降りたところで犬を散歩させていた男性に「津の峰神社へ行く参道知りませんか」と聞くと、さすがにここで生まれ育った人で参道の入り口までついて行ってくれました

其処は現在市営墓地となっていましたがこんなところにこんなに広い平野があったのかと驚くような場所で山の一番低い場所を緩やかに登ると峠となり、昔多くの参拝者が通ったことがはっきり解る道でした

残念ながらその道は途中で工事用の土を取る為に削られて絶壁になり反対側に降りることは出来ませんでしたが

でも本道ではない細い道は発見して「次回」行くことを決めて引き返しました。

「旅」は未知の世界を訪ね、未知の人と出会いそれらの事を「感じて愉しむ」ものと思っている僕の「旅心」を充分満たしてくれた旅でした


夕方仕事を終えた「みかちゃん」少し遅れて「えみちゃん」が我が家に到着

先日のフグ宴会の時に「走りに行こう」と約束していたのです

みかちゃんとえみちゃんは4月に行われる「徳島マラソン」出場の為に何度か練習に走っています

それが12月に行われると思っていた僕らも出場予定だったんですが4月は「山旅」に出ているので参加は出来ません でも走りたい。今どの位走れるのか知りたい。けど自分達だけで行く勇気も無い59歳です。

二人のお陰で「阿南高専」(学校)のグランドへえみちゃんのオペルに乗せて貰って行きました

美由紀の記憶では2001年に日本へ戻った時ハーフマラソンが鳴門市であって二キロ走ってリタイヤしたのが最後だそうです

その時は有名ランナーに惑わされて初めにスピードを上げすぎ失敗した思い出があったので少し練習をしている二人に惑わされないよう自分のペースで走りました

一周が400メートルなんですが約半周遅れましたが12周(二人は13周)してまだまだ走れる余裕をもって終了しました

帰って一緒にありあわせの鍋を(ビリーの運動するDVDを見ながら)食べ「今度はもっと走ろう」と約束して解散

一昨日から多量に水やお茶を呑み汗と小便を出すので指の腫れは殆ど無くなってきました

そんな具合で一日中動き続けたけど愉しい愉しい一日でした。

みかちゃん、えみちゃんありがとうございました
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見晴らし最高

2008年01月17日 17時57分06秒 | ヨット世界一周クルージング
住居がある徳島県阿南市には「阿波の松島」と呼ばれる「橘湾」があります

ヨットホロホロ3世が世界一周に出かけたのはその湾の奥のほうにある港なんですが、その橘湾には沢山の小島がある上に四国島最東端の蒲生田岬とそれに並ぶように椿泊埼があってかなり複雑な地形となっています

そのうち人が生活している島は二つ(伊島、小勝島)だけです。他の10個ほどの島は「無人島」ですが木が繁り生活をしようと思えば出来る位の島も幾つかあります

そんな橘湾が見渡せる「津の峰山」に今日は南側の橘湾側から登ってきました

南側のコースは中腹の展望所から表参道、裏参道と道が分かれていて周回できるようになっているのでこれも変化が愉しめてよかったです

頂上に津の峰神社がある良く行く山なんですが今日のコースは初めてです。

山の南側に住む退職者達の多くが毎日のように登っているようで今日も10人ほどに会いました

五合目まで車も通れる広さの道があるんですが皆下から歩いています。途中に湧き水(飲料水)が出ているところや展望所など綺麗に整備されて「公園風」なんですが愉しいハイキングコースです

特に展望所兼休憩所から見える橘湾や紀伊水道を挟んで対岸の和歌山県の海岸線も
複雑で非常にいい感じです。

頂上に行った後そんな展望所まで下ってオニギリとラーメンを食べて下山しました

昨日痛風が出てからから食物の制限と食べる量の制限をしています

水をたっぷり飲んで沢山汗と小便を出すと調子が良いようです

振り返れば去年の6月、ホロホロ3世に乗って日本へ帰りついた時の体重は64キロでした。

ところが半年しか経っていないのに73キロになっています二ヶ月近く山旅に出たにも関わらず・・・

日本に居ると色々な食材が溢れているから・・ついつい買ってしまい買ってしまうとついつい余分に食べてしまいます。 そして日本で生まれ育った我々には全般に外国で手に入る食材と比較にならないくらい味が合うのです。

宴会も多くなり、そのときも加減が出来ると良いんですがぼくの場合目の前にモノがあれば無くなるまで食べてしまうんです

日本に住んで太らない為には強い意志が必要です

しばらく「一汁一菜」を心がけ「減量」します

写真は展望所(山の中腹)から見た橘湾です。綺麗でしょ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分本位

2008年01月15日 16時41分40秒 | ヨット世界一周クルージング
今日は今晩の宴会に備え朝からフグを料理しました そして余りにも包丁が切れないので100円ショップで二種類の砥石を買ってきて
6本の包丁を砥ぎました

4本はこれも100円ショップの包丁です。 昔を考えると100円でこんなに切れる包丁が出来るとは思いもしませんでしたよね~

残る二本は刺身包丁で一つはプロが持つような20年余り前に3万円ほどした本物です。でも本物は身だけを切るのはいいのですがぶしょうをして骨を叩いたりすると簡単に「刃こぼれ」を起こしてしまいノコギリの様になっていました

 刃渡りが40センチ余りもあるからうまく砥げませんがそれでもかなり良くなったように思います

もう一つの刺身包丁はステンレス製でこれは数千円のものです。

元々僕は非常に不器用で男三人兄弟の中で何をさせても常に一番下手でした。特に刃物を研ぐのは極めつけでしたから大人になっても余りしたくない
仕事の一つなのです

随分前から美由紀に「包丁が切れん」と何度も催促されていたのですが・・「買ったらええ」と逃げていたのでした。

そんな「勇気が必要」な仕事をしながら思った事があります

時々人は僕に「好きなように暮らせていいなぁ」と言ってくれます。 確かにしたい事をして日々過ごしています。

でも・・でもです。「じゃあ貴方は?」と聞くとちょっと考えて「子育てがあるし、生活のために仕事をしなければ・・」と「したくないことをしている」ように答える人が殆どです。

本当でしょうか? 

本当に貴方が仕事をしているのは「子供にしてやりたい」と思うことをしているのであって結局自分がしたい事をしているのに気付いていないだけでしょう。


生活の為と言うけどそれだって「自分がしたい生活」の為にしていると思うのです。

そんな事を思うと生きている限り人は「自分本位」で自分がしたい事をしているだけなんだとはっきり解って気持ちが良くなります

嫌々ながら包丁を砥いだのは「美由紀に怒られない為」です。うちの場合怖いからねぇ~・・「保身の為」です 切れなくても飛んでくると危ないからねぇ~

場合によっては「喜ばせてやろう」と嫌な仕事をする事もありますが・・

でも結局ぶっちゃけた話しボランティアも仕事も遊びもみ~んな「自分本位」 自分がしたい事をしているんです。

そう思いません?  そう思うと何でも割合愉しいですよ

できればそうしている自分やそうさせてくれる色んな人やモノに「感謝」できるともっといいんでしょうが・・なかなか出来ません

包丁砥いでる姿が見えたから・・と松葉氏が仕事の途中で顔を出してくれました  

今晩の宴会に誘ったけど・・あの美人娘は先日家に
帰って「あのおっさんは異常じゃ」と言っていたそうです。 すこし迫りすぎたかな~・・・

今日はフグ宴会で多分いつも通り僕は呑みすぎてバスの中へ転がり込むなり爆睡状態となるでしょう。

そんなんで今日は早めにブログを更新しました 

じゃあ今から準備しま~す!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説家

2008年01月13日 17時56分07秒 | ヨット世界一周クルージング
すご~く寒くてチンチンが引っ込んでしまうような徳島県阿南市です。

太陽は全く出ず厚い雪雲が威圧するように覆いかぶさって僕は縮んでいます

そんな具合で殆ど外に出る勇気もでず「サスペンス小説」でもと思い書き始めました

出ることも無いと言うより多分何処の出版社も相手にしてくれないだろうけど・・趣味で時々書いているのです


ブログに書くような出来事も無かったから・・サワリだけでもアップしてみますね 下書きですが・・

     

紅い雲

    一章

1970年3月14日、吹田市の千里丘稜で大阪万国博覧会始まった。日本は東京オリンピックも無事終えて高度経済成長著しくアメリカに次ぐ経済大国となっていた。

その成長の象徴である万博開催地として大阪では大規模的な開発が進められ地下鉄の路線も増やされ高景気に浮かれていた。

開催前から特に話題となったのていたのはアメリカ館で展示されるアポロ11号が月から持ち帰った石だった。

開催当日の夜、浩二を駅に送って戻ってきた娘に母親の紗枝が「今日の浩二さんなんか違ったね、あんなにお酒を呑んでもよえへんし・・」

そう言われて多恵は何故か背中に冷たいものを感じた。

多恵(21歳、短大卒、高槻住)と浩二は年明け早々、父の知り合いの紹介で見合いをして来月には結婚することになっている。

父も仕事上で以前から浩二を知っていて気に入っていたので話はトントン拍子に進んだ。

多恵は21歳、短大を出てから花嫁修業に料理やお花を習って一年になる。 少し色が黒いと言えない事もないが小さな顔にぱっちりした目と少し厚めの唇が小悪魔的ですれ違った人の何割かが振り向くほどだった。

見合いからまだ二ヶ月半しか経っていないが一目見た時気に入っていた。言葉にするのは難しいけど信じられる気もした。

自分の夫として認めることが出来ると思った。 結婚するつもりだったので二度目に会った時に多恵は浩二に体を許していた。

自然な成り行きだったし多恵自身興味もあったから逆らう気持ちは殆どなかった。もしかすると多恵のほうがその気にさせたのかもしれないと今となっておもっていた。

 ただ気持ちと異なり少しだけ両腕が抵抗したと思っている。

初めての体験は特に痛みも快感もなくオシッコを漏らしそうで息をするのがやっとだった。
学生の頃仲が良かった友達二人から聞いていた経験談とは全く違っていた。

行為が終ってから少し涙がでたがこれは天井を見すぎたせいかもしれない。 心のどこかで何か覚悟のようなものが出来たと思えなくも無かった。 

会ったのは今日で6回目だった。二度目にそんなことになったので会うたびにそうなると半ば期待もあったが時間の都合や打ち合わせで
今日の午後が二度目だった。 

快感ではなかったが、どこかに快感に変わっていきそうな息苦しいような胸を締め付けられるようで水が飲みたいような咽喉の渇きがあった。

浩二は東京に住んで虎ノ門の大手建設会社に勤めていた。この三月末で会社を辞め大阪の多恵の家に来る。入り婿だった。

仕事は父が起こした「安藤建設」(天王寺)で営業部員としてスタートすることになる。 

突然の事故でまだ44歳の父が逝って半年、今は母(45歳)の弟になる伯父さん(42歳)が副社長から社長に昇格している。他に三人の取締役がいた。

母は安藤建設が始まった時から専務取締役として10年余りの期間経理を担当していたがその後は多恵を育て主婦業に専念していたのだが父の急死で会社に出なければならなくなっていた。

多恵自信情が薄いとは思っていなかったが、この頃は父が亡くなったショックから完全に立ち直っていた。

これは母も同じで余りに全てが忙しくなって最初の事故の報告を受けた時をピークに日々回復しているように見える。


安藤建設は1948年、23歳の父がツルハシとスコップだけで始めた会社だった。 上場していない親族会社だが父や伯父の真面目な性格は官公庁でも人気が高く、民間企業からの受注も順調で業績は伸びていた。 

毎年の様に色々な省庁からの退職者も受け入れていた。父の営業は主にそれらの省庁周りだったが毎日現場にも顔を出していたらしい。

今期の売り上げは念願だった20億円を超えることがほぼ間違いない。大阪の業界では中の下といったクラスだが財務内容は極めて良く堅実経営で知られていた。

とは言っても短期借り入れが便宜上発生することはあるからずっと以前から会社の敷地、建物や多恵が住んでいる家も「根抵当」に入ったままになっている。

現在、株式の70パーセントは創始者である父と母の名義だった。会社を始めて五年くらい後から手伝い始めた現社長の伯父夫婦も20パーセントを持っている。残りの10パーセントは取り引き銀行4社が保有していた。

創設時当時は祖父や祖父母、父の兄達も登録上の株主だったそうだが亡くなった時に買い取る形で父の名前にしたと聞いている。

父が逝ってしまった今、父名義の株式の名義を期末までに変えなければならなかった。現在の株主資本金一億円のうち父名義が50%で5千万円分ある。

 これは出資金としての額で実際に株式市場に上場すれば二十倍以上の評価はあるそうだ。

だが資金面の余裕があるので上場の必要はなかった。上場すると知名度が上がり、資金を公募などで簡単に調達出来る特典がある反面
決算報告や監査、株主総会などの基準が厳しくなり時間と費用がかかる。

大口資金が必要になるまで上場はしない方針だった。

当面の問題は株式の名義を変えることにある。名義を変えると相続になり相続税も払わなければならない。

同族会社でもこの規模になると出資額面通りの評価でなく現在の資産なども評価対象になるので上場企業ほどではないものの莫大な相続税を払うことになる。

会社の将来や相続の事を考えて一人娘で唯一の継承者である多恵の結婚は急ぐ必要があった。

            

まあこんな感じなんですが・・・「続きが読んでみたい」と思います?






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本を読んで

2008年01月11日 23時59分59秒 | ヨット世界一周クルージング
天気が悪くなる予想と4日連続で山に登ったので今日は休息日と決め、バスのカーテンをイッパイに開いて外が見えるようにしてパソコンのスイッチを入れました

カーテンを開いても家の横の駐車場なので隣の修理工場の車が見えるだけなのですが でも全く外が見えない我が家よりは気分的に愉しいのです

そしてホームページにアップする今回登った山の写真と文を書きました

それが終って先日高松に行った時に西松建設副社長の石橋さんがくれた新刊本「人間の関係」を読みました。

五木寛之氏はこの本の中で一番伝えたかったことは本の題名通り「人と人との関わり方」だと思うし僕が信じ実行している(思っているだけかも知れませんが・・)事も多く大いに納得したのですが・・・僕が一番感心し「これは面白い」と思ったのが冒頭の「三冊のノート」でした

僕は若い頃(十代後半から20代前半)には良く「鬱」になっていましたが何時ごろからかどちらかと言えば「躁」となってそれが続いているので関係ないようなのですが・・・

五木寛之氏本人が鬱状態から抜け出す為に最初に作ったノートが「歓びノート」次が「悲しみノート」そして最後が「あんがとノート」(有難うの意味)だったそうです

それぞれ鬱になった時の年代が10年ほどの間隔なのですが「歓びノート」には一日の終わりに一つだけ「楽しかった事」を毎日ノートに書き込む事で脱出したそうです

ところが二度目になったときは「歓び」で脱出できず鬱を肯定する「悲しみ」を書く事で脱出し三度目は「感謝」で脱出したと書かれていました

人はどんな立場や環境にあっても毎日探せば必ず楽しいことも、悲しいことも、感謝することも可能な事は解っていても「文章にして書きとめる」ことまで殆どの人はしないと思います。

鬱でなくてもやってみると面白いのではないだろうかと・・愉しい想像ができました

皆さんももし「鬱」になったらやってみてください。特に定年退職者に多いそうなので・・・ きっと抜け出せるような気がします

夕方「鬱」には全く縁がない不動産業の「前川さん」が来てくれました

不景気知らずの前川さんは時々このブログにも登場してくれる常に最新型最高級ベンツに乗り大型クルーザーももっている人なのですが徳島の同業者間でも「謎の人物」で僕の友達の中でも多くの人は「大きな組関係人?」と疑問を持ちながら見ている不思議な人です

でも僕が家にいると何故か時々顔を出してくれて、いつも愉しい話しをイッパイしてくれるのです 

30年ほどの付き合いがありますが、主に東京や大阪で年間百億円以上の話しをまとめる事業に成功している人ですから「人を見る目も時代を読む目」も確かで今日の様に二人でゆっくり話しをすると教えてもらう事ばかりなのですが・・とにかくいつも笑顔でなおかつ話しが面白いのです

そんなことで、あっと言う間に七時間が過ぎブログのアップが遅くなりました

明日は前途の本を読んで本の中には無かった事ですが「思った事」がありますのでそれを中心に書いてみます
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フグ鍋はうまい~!!

2008年01月05日 11時16分49秒 | ヨット世界一周クルージング
昔先輩に「酒はな~・・・・」と教えられたことを今朝思い出しました。

「呑む人」と「呑まれる」人がいるのだそうですが・・・昨日の僕は後者でした

そして過去を遡って考えて見ると僕の「人生」に酒はいつも傍に居て常に「後者」であったようです

でも・・です。 必ずしも後者が「悪」だとは言えない様に思うのです。 呑まれてもそれほど人に迷惑を掛けていない(と思っているだけですが・・)しそれで一番苦しむのは自分だけれど「ストレス解消」だったり「呑んでいる間(酔っている)は特別愉しい」のです

そんな具合で昨日は昼過ぎよりゼラチンタップリの美味なフグ鍋を北海道のきみちゃん、山女よしえちゃん、ゴルフのみかちゃん、ヨットクラブの三谷さん、松葉母娘さんプラス我が家の三人の9名で5時過ぎまで・・・

松葉氏娘が22歳の超美女であったが故に僕の焼酎のピッチが上がり下半身のボルテージも異常に上がり宴会がお開きになったとたんにダウン。

バスの中の布団に潜って意識を失いました

今回のフグ鍋は今まで使っていなかった「皮」も使ったのですがこれがゼラチンの宝庫でダシはスッポン鍋のような感じに仕上がりました

もともと肝を溶かさないと濃厚さが出ないあっさり系のフグ鍋ですが肝を溶かす前から濃厚に仕上がったのは大正解でした

余りに美味かったので・・寒いこの冬の間にもう一度フグを調達したいと考えております

今日の午後は歯医者さんで右下奥歯に被せ物ができます。 これで歯の修理はひとまず終了

夜は・・・小宴会の計画です。

忘れていましたが昨日の株式市場はパニック状態で日経平均が600円以上の大暴落となり僕の予想は「大ハズレ」

今年が最悪と書かれていた「高島易断」の僕の運勢も暦に反して年明けから良いことが続いていたのですが・・・またまた不吉な予感

このさき一体どうなるのでしょうか・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フグ調達出来ました

2008年01月03日 18時21分50秒 | ヨット世界一周クルージング
昨日は反省を要するほどの呑みすぎでしたが理由はあるのです。

午前に美由紀(手伝い)と海に行ってナマコを拾ってきました

戻ったら丁度お昼で、久しぶりのナマコだし正月だから・・ナマコを肴に呑み始めたのです

ところがこのナマコは小型ながら柔らかく大根おろしとダイダイの酢と醤油と一味のマッチングがなんとも素晴らしかったのです

お酒はススミ一時間ほどの間に3合ほど呑んで、もう「酒を置こう」としたところへ柳田氏が野菜のほか秋に獲って自宅横で餌を与えて飼っていた大きな「モクズ蟹」の茹でてまだ暖かいのを届けてくれたのです

脚を一本食べてみるとしっかり身が詰まって味は極めて濃厚です

この蟹にお酒がなければ余りに蟹が可哀相ですそこで一度は仕舞ったお酒をだしてお喋りしつつ(蟹を食うときは余り出来ないものですが)蟹とお酒を口に運んでいると・・すっかり「完酔い」となってしまったのです

これはもう寝るしかないとバスに入って布団にもぐりこむとすぐ深い眠りに入ってしまいました

ところがいきなり「けたたましく」美由紀の声が

そしてフラフラしながら起き上がると「テク近藤氏」がバスの席に座って僕が目覚めるのを待っていたのです

早速家に戻ると新たに大川氏から「アオリイカ」が到着していました更なるナマコとアオリイカを調理して「迎い酒」を始めました

芋焼酎を二合ほど呑んだところでヨットクラブの三谷さん一家四人到着

こうなるともう呑み過ぎなど気にしていては愉しくありませんから・・・・ドンドン呑んで気が付けば日付が変わっていました

「これでは・・・」と体調の心配しながらバスで近藤氏と二人、枕を並べて寝たのですが・・・朝少し背骨の横が痛いだけで頭も結構すっきりしていました

朝食を食べて九時に近藤氏のランクルに潜水機材を積み込んで出発11時20分潜水開始。

水温暖かく透明度高く視界がいいので気持ちよく沖へ泳ぎグレ(メジナ)やカマス、青ブダイ、イサギ等の群を愉しみながら約一時間の海中を愉しみました

帰り久しぶりに(16年ぶり)宍喰の「ひこうせん」に寄って超大盛りの「海の子ピラフ」を注文 奥さんが覚えていてくれて・・・
でも今日も大盛り過ぎて全ては食べつくせませんでした

相席になった二人の女性とキノコの話で盛り上がりながら食べたので美味しく愉しい昼食でした。

家に戻って潜水機材を洗って干し、二匹のフグを明日の「なべ用」に料理 大きいのとフグは捨てるところが無いので二匹を食べきるには15人くらいいないと・・・

大きな「肝」もありますよ~・・うまいですよ~・・・

そんな状況なので明日の昼に時間がある方は是非おいでください
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする