うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

仲哀天皇 1 ...(b10-1)

2007年10月08日 17時31分02秒 | 史跡散歩
下関市長府の忌宮神社の祭神は「仲哀天皇」で、後にそのお后の「神功皇后」を合祀して、
忌宮神社(いみのみやじんじゃ)となったと説明板にある。
忌宮神社は神殿は、めずらしく東を背にしており、西方500㍍の岡上にある仲哀天皇の殯の地(もがり=仮埋葬地)と
相対しているという。
忌宮神社のめずらしいのは境内の中央にある石である。
画像の通り、何の変哲もない、ただの石蓋のようであるが、外に出ているのは一部分だけかもしれない。
数方庭(すほうてい)という。
説明板によると、朝鮮から攻めてきた「塵輪(じんりん)」なる軍の将軍の首を埋めて蓋をしたところということだ。
そもそも「仲哀天皇」は“タラシナカツヒコ(足仲彦)”と呼ばれ、“仲(ナカシ)”は次男という意味、
“哀”は“若死”の意味だから、さだめし“夭折した次男坊天皇”という意味になる。
日本書紀には、熊襲(くまそ)征伐の途中、神のお告げを聞かなかった仲哀天皇は亡くなった、となっているが、
どうやら相手は熊襲ではなく、朝鮮から渡ってきた軍隊(あるいは熊襲との連合軍)で、
大将は塵輪、その塵輪とタラシナカツヒコは相打ちしたらしいことになる。
塵輪の首を埋めたという数方庭を囲んで、明らかに日本国内で異質なお祭りが、8月上旬に行われる。
古代神楽の言い伝えでは、塵輪は、仲哀7年7月7日におどろおどろしい紫雲とともに登場し、戦を仕掛けるという。
仲哀7年はAD199年、新暦換算8月14日に、月が火星を隠す惑星食があり、
同日20時15分に、火星が、月の明るい側からはき出されている。
今から1800年も昔の神代の時代が、天文現象の紛れもない事実の下に、何だか昨日のように具体性を帯びてくる。
どきどきしないか。