うべプラネタリアン

プラネタリウム解説の活動を通じ、いろいろ感じたことをさまざまに語りたく....

うじゃうじゃカメラ....(182)

2007年10月07日 21時52分36秒 | うべプラネタリアン
写真を撮るとは、レンズを通して結んだ映像をフィルムに焼き付けることだ。
まず、撮りたい物にカメラを向ける。フィルムの、何も写っていない部分(コマ)をセットする。
適切な絞りと露出を設定し、ピントを合わせる。
その前にフィルムの感度も知っておかねばならない。
これらを瞬時に設定し、カメラが動かないようにしっかり構えて、静かにシャッターボタンを押す。
いい作品を残そうとすると、カンと注意力が頼りで、こうした複雑なバランスの上にかろうじて成り立つのだ。
だから、こう言ってはなんだが、男の仕事だった。男の趣味だった。
やがてこれらの設定作業はすべて自動化された。全部機械(カメラ)がやってくれるようになった。
そのあげく、いまは、何もかもすべてデジタルになった。
フィルムすらが無くなってしまったわけだ。
次は、デジタルカメラの欠点を日進月歩で改善すればいい。
鮮明な映像を追い求め、ブレもなければ、失敗もない。気にいらなければ瞬時に消すこともできる。
結果、写真を撮るそのメカニズムがどうなっているのか、掌の小さなボックスの中はさっぱりわからなくなった。
それならばというわけで、カメラの本質的なメカニズムを知ろうとしたら、今、青少年会館の4階に来るといい。
そして、おびただしい過去のカメラを手に取れば、カメラメーカーが、いかに写真を撮る手順を省こうとしてきたか、
その手抜き手順の歴史を克明に知ることもできるだろう。
道具は、人類が一旦手に入れて、優れて便利になれば、決して元には戻らないことがよくわかる。
文明史の本質を知るいい見本を手にすることができる。
こうした、わかる人にはわかっているが、今から知る人にはさほどの意味もない近代カメラの変遷をたどってみたらどうだろう。

見れば見るほど途方にくれるおびただしいカメラを前に、ため息混じりの雑感。
画像は現役。即座に使える40台くらいの一部を選んで、現代のデジカメで撮った。