憩う、楽しむ 広島・湯来通信 

広島市中心部から1時間。新たな交流・体験エリアである湯来地区の最新情報。天然温泉と豊かな自然が皆様をお待ちしています。

湯来に伝わる民話「次郎五郎の滝つぼ」

2011年07月26日 07時09分29秒 | 民話
7/26(火)22℃         


 おはようございます。
 昨日の朝はよく降りました。膝下まで傘を被っていたのにびしょ濡れ。天気予報どおりに、一日中雨が降ったりやんだりするのかと思えば、午後からは蒸し蒸し。
 今日も午後から突然の雨が降る地域があるそうですから、おりたたみ傘の持参と体調管理に気をつけましょう。 ん~~、蒸し暑い


 今日は久しぶりに湯来に伝わる民話を語ってみましょうか?暑いし、チョッと涼しくなれるものがいいかも知れません。では、「次郎五郎の滝つぼ」の始まり始まり~。

 むかし、川角に年老いた猟師の夫婦が住んでいました。若い時には子どもに恵まれませんでしたが、歳をとってから男の子が二人生まれました。兄を次郎、弟を五郎と呼んでいました。お爺さんは成長した二人の子どもを連れて、自慢の鉄砲で鳥や獣を射止めるため山野を歩いていました。
 ある年、世にも珍しい大鹿を射止めました。
 「なんと、普通の鹿の倍以上もある大鹿だったげな」
 「皮を剥いで広げたら六畳の部屋いっぱいあったそうな」
 と近郷の大評判になり、わざわざ見に来る人がありました。
 その年の暮れから翌年にかけて、お爺さんは体の調子が悪くなり、身体中に鹿の角に似た腫れ物ができる病気にかかり、苦しみながら死んでしまいました。
 次郎、五郎の二人の子どもは、村人たちの勧めもあって猟師の仕事を続けることにしました。兄弟が協力しあって漁をするので、田畑を荒らしていた鹿や猪やウサギが少なくなり、川角から日浦畑(湯来町の南部地域)の方の人達からも喜ばれていました。お爺さんが亡くなって三年の月日が経ったある秋のことでした。
 「今日は天気がいいし、収穫があるぞ」
 と二人は勇んで出かけました。
 しかしどうしたことか、その日に限ってウサギ一匹見当たりません。
 「おやかしいのう、窓が山から魚切の方へ行ってみよう」
 と二人は足を早めました。窓が山の山すそまでたどり着くと、二頭の小鹿を見つけました。しかも、珍しい白鹿です。
 「おい、可愛い小鹿じゃけえ、生け捕りにしようや」
 と二人は両側から追い討ちをかけるように後をつけましたが一頭は見失ってしまいました。もう一頭の後を追って二人は山深く入っていきました。
 山へ追われた小鹿は、今度は谷間の方へ一目散に逃げました。川沿いで追い詰められた小鹿は、ある大岩の上に駆け上ったと見ると急に姿を消してしまいました。その岩の反対側は絶壁になっており、その下は深い滝つぼになっていました。追い詰められ、力の限り逃げた小鹿は踏み止ることができずこの滝つぼに落ちたのでした。
 「大岩の上に追い詰めたぞー、反対側にうずくまっているはずだ、それー」
 と岩に駆け上がりましたが、二人とも勢い余って滝つぼに落ち中に吸い込まれてしまいました。そのまま、鹿も兄弟も上がってはきませんでした。
 それから何年か経ちました。その頃、この滝つぼに大きな鯉が二匹泳いでいるのを見かけるようになりました。村の人たちは『この鯉は兄弟の化身』と信じ、この滝つぼを「次五郎の滝」と呼ぶようになりました。


 次回の湯来に伝わる民話は「とろへい餅」です。お楽しみに。


 今日は涼を求めて”水”に関係する民話の一つを選んでみましたがいかがでしたでしょうか?
 えっ、まだまだ?では、実は今日、「幽霊の日」だったんです。知らなかったでしょ。

 1825(文政8)年、江戸の中村座で四世鶴屋南北作『東海道四谷怪談』が初演されたことに起因してるんですが、この東海道四谷怪談(通称『四谷怪談』)は、実際に起きた事件だそうで、夫民谷伊右衛門に毒殺された四谷左門の娘お岩の復讐話です。1枚・2枚・3枚・・・・・・、一枚足りない。ドドドドドド~

 チョッとは涼しくなれましたでしょうか????夜中、一人でトイレに行けなくなってしまったのなら、ゴメンナサイねー。



 セミの鳴き声が一段とうるさく聞こえています。きれいで冷たい水に足をつけてと日光浴。源流探索や滝飛び込みもできるきれいな湯来の川。楽しみたいなー


 今日も一日、なんとか乗り切りましょ!!
 良い一日でありますように。
コメント (3)
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